テレビ的演出の『長崎ぶらぶら節』(2000年9月)
|
上の息子がもらってきたタダ券で、カミさんと『長崎ぶらぶら節』を観にいきました。 タダでも観たくない映画だったので、カミさんに「友達と行けばー」と言ったら、「ひとりの友達とだけ行くと、他の友達と気まずくなる」んだって。それで無理やりつきあわされて、映画は今イチで、おまけに夕食までおごらされてしまいましたよ。 『長崎ぶらぶら節』は、長崎に実在した芸者愛八の半生を描いた作品。 原作は、なかにし礼の直木賞小説。小説を読んでないので断言できませんが、小説をなぞっただけのような感じを受けました。映画としての盛り上りがなく、作品に深みがないんですよ。だから、人情家愛八に対する感動がわいてこない。家庭に恵まれない二人の少女との絡みは、泣けるシーンにならなきゃならないのに実にアッサリしているんです。こちらは泣こうと待ち構えているのに拍子抜けでした。 脚本の市川森一と深町幸男監督は、どちらもテレビ出身で、演出にテレビの連続ドラマと同じ感覚が見受けられます。テレビの連続ドラマだと多彩な人物を用意して、回毎に山場を作る必要がありますが、映画だと小さな山をたくさん作ると、逆に総花的になって焦点がボケてきますね。 戦艦土佐の話なんか若い人にはピンときませんよ。私ですら、なんでこんなアナクロなものを持ち出したのか理解できないんですから。若乃花に指導を受けた土俵入りシーンも必要ないですね。(話題作りにはなりましたが) 吉永小百合はガンバッてるんですが、魅力は感じなかったなあ。いしだあゆみなんかガリガリに痩せて見ちゃいられなかった。それに比べて藤村志保はトシ相応の魅力がありましたね。キリッとして品があり、情に流されない強さを持つ料亭のオカミ。私にとって、この映画を観た唯一の収穫でした。 |
|
年配者ばかりだった『ホタル』(2001年6月)
|
癒しきれない過去を背負いながら静に生きる夫婦を軸に、昭和の終わりとともに死んでいった友人(特攻隊の生き残り)や、韓国出身の特攻隊員の真実を描いた感動大作。 以上、宣伝文句。 この手の作品は降旗監督の得意分野なので、高倉健の持ち味をうまく出していました。男の哀歓を身体で表現できる役者は、今や健さんだけですからね。健さんにセリフは必要ない。 ただ、最近の作品をみると、健さんのイメージが固定化しているのが気になります。年齢的にアクションは無理でしょうが、サスペンスものは観たいですよ。 妻役の田中裕子は巧いなあ。若い時から自然な演技が身についています。シリアスなものだけでなく、コメディーやホラーもできると思いますよ。 もっと巧かったのが、“知覧の母”役の奈良岡朋子。お別れ会の挨拶シーンで、平凡な答辞から一転して、花束を受けた後の情感あふれるセリフには涙がボロボロ。泣けて泣けて困りました。人の優しさや温もり、人生の切なさや儚さが、三人の演技を通して心に沁みてきます。 だけど、井川比佐志の孫役(名前を覚える気もしない)は、ヘタクソ! 新人で演技が未熟なのはわかりますけど、映画全体のバランスを崩すのはどうもね。キャスティングの失敗じゃないかなァ。シナリオにも問題があるなァ。 日韓友好を謳うのはいいけど、表面的すぎます。感動が盛り上らず、ラストがとってつけた感じなんですよ。戦時中の在日韓国人の問題をお涙頂戴の手段にするのは…… それにしても、冬にホタルが飛ぶのはいくらなんでも……。なんで夏に設定しなかったんだろう。もう少しバランスよく作って欲しかったですね。 |
やっぱり、『スターウォーズ』(2002年8月)
|
用事があったので、街まで出かけたついでに、カミさんと久しぶりに映画を観ました。何を観ようかと、食事しながら決めたのが、結局、『スターウォーズ・エピソード2』です。 これまでリアルタイムでずっと観てきているものだから、年に1〜2回しか映画館で観ない映画ファンにとっては無難な選択でしょう。日本語吹替え版は、子供連れが多そうだったので、字幕版の方にしました。 エピソード1から10年経過。アナキン(ヘイデン・クリステンセン)はジェダイの騎士になるべくオビ=ワン(ユアン・マクレガー)のもとで修行中。何者かに命を狙われているアミダラ(ナタリー・ポートマン)護衛のために再会したアナキンはアミダラと恋に落ちる。その頃、闇の力に指図されたドゥークー伯爵(クリストファー・リー)が、通商連合を結集して共和国に反旗を翻そうとしていた…… 「エピソード1が、お調子者のジャー・ジャーを紹介するためにだけあったことが、これを観てわかったわ」 (確かに、クローン軍団設立提案する重要なキャラクターには違いないが) 「ジェダイの騎士って、処女と童貞の集まりなの。気持ちワル〜イ」 「ドゥークー伯爵って、ドラキュラじゃないの」 (ドラキュラの綴りを縮めるとドゥークー?) (ウルトラマンじゃないぞ) 以上、カミさんの感想で〜す。 |
|
|
|
期待の『たそがれ清兵衛』(2002年11月)
|
上の息子が持っていたタダ券を取り上げて、カミさんと一緒に、『たそがれ清兵衛』(2002年・松竹/監督:山田洋次)を観に行きました。 公開開始翌週の日曜日第二回目の上映時間帯というのに、場内はガラガラ。30人程度の入りか。近くのシネコンでも公開していましたが、わずか1週間で打ち切られました。某週刊誌には大ヒット作品と記載されていましたが、どうも信じられません。 でもって、山田洋次が時代劇を初監督した話題作なので、期待をこめて観ましたが…… 適材適所のキャスティング(真田広之:自然な演技、立回りの動きも良し。宮沢りえ:細やかな感情表現ができている、少し太ったのか、綺麗になった。田中泯:存在感あり、立回りにおける着物の乱れが少し気になるが、動き良し。その他傍役:全て良し)で、見応えのある人間ドラマとなっています。 しかし、リアリティを追求するあまり、時代劇としてみた場合、何箇所かに私は違和感をおぼえましたね。 |
一つは、清兵衛の身なりです。男やもめの貧乏藩士とはいえ、臭いのは困ります。お城勤めをしている侍がホームレスのような匂いを発散しているのはね。それと清兵衛だけが極端に貧相なんですよ。清兵衛と同じような小禄の藩士は他にもいると思うがなァ。 二つめは、上意討ちに行った目付けが、一人で乗り込んで、あっさり斬られたこと。やはり、映画的には小者を2〜3人率いて乗り込み、全員斬られ、他の役人は怖れをなして屋敷を取り囲んで様子を見る、というようにして欲しかったですね。要するに、もっとチャンバラ・シーンを見たかったに過ぎないんですが。 私は、チャンバラの面白さは、本当らしいホントを見せるのでなく、本当らしいウソを見せることにあると考えているもので、人間ドラマが良かっただけに、チャンバラにもう一工夫が欲しかったと考えるわけで〜す。 |