まとめてカツシン


『破れ傘長庵』(1963年・大映/監督:森一生)

町医者・良伯(中村鴈治郎)の内弟子・長蔵(勝新太郎)は、良伯の養女・お加代(万里昌代)に惚れていたが、一方で質屋の後家(角梨枝子)の夜伽をして小遣いを稼いだり、質屋の女中ともよろしくやっていた。ある日、良伯が出世のためにお加代を大身の旗本へ妾奉公に出すことを知り、長蔵はお加代を犯し、良伯に破門される。しかし、長蔵は良伯を脅して口止め料を取り、さらに質屋の女中が横領した金を奪って姿をくらます。それから数年後、村井長庵と名を変えた長蔵は、表向きは町医者だったが、裏では御家安(多々良純)を手下にして悪業を続けていた。馴染みの芸者・小鶴(福田公子)が唐木屋に身請けされたと知り、唐木屋の金を狙う。藤掛道十郎(天知茂)の妻りよ(藤村志保)に惹かれた長庵は、唐木屋を殺して道十郎に罪を被せようとたくらみ……

白塗り二枚目から『不知火検校』でピカレスク俳優へと開花したカツシンが、『不知火検校』と同じように狙いをつけた女を犯し、平然と悪事を働く男を演じています。だけど、『不知火検校』で見せた身体不具からくる悪の執念といったものがこの作品にはなく、表面的な二番煎じに終わっていますね。それにしても藤村志保の佇まいは、凛としていて美しいで〜す。

 

『まらそん侍』(1956年・大映/監督:森一生)

安中藩の恒例の行事として遠足(とおあし)というのがあって、つまりマラソンなのですが、家老の娘(嵯峨美智子)が見初めた有望な若手侍二人(勝新太郎と夏目俊二)が、その娘との結婚をかけてマラソンをするのです。

この二人の恋路をジャマするのが次席家老のアホ息子(大泉晃)でして、大泉晃がバツグンに可笑しいんですよ。あのシュールな走り方を見ると、本当にお脳に障害があるんじゃないかと思うくらいにね。原作はNHKのラジオ放送だけど、ラジオでは大泉晃の視覚的面白さは出ないだろうなァ。

この映画ができた昭和31年というと、戦後の男女同権、民主化教育が花開いた頃で、「あ〜ら、ヘッチャラよ」と、自分の意見をはっきり言う家老の娘にしろ、カツシンに惚れて、“思い込んだら命がけ”の料亭の娘(三田登喜子)にしろ、屈託がなく、きわめて現代的で青春しているんですよねェ。

 

『花の二十八人衆』(1955年・大映/監督:斎藤寅次郎)

旅人の政吉(勝新太郎)は、清水一家の身内・ヌケ六(堺駿二)を騙して彼の家に厄介になるが、ヌケ六の女房・おすき(清河虹子)にヌケ六ともども追い出されてしまう。二人は途中で、犬に吠えつかれたお雪(矢島ひろ子)という娘を助ける。お雪は清水次郎長(市川小太夫)の女房・お蝶(入江たか子)の妹だったが、そうとは知らない政吉はお雪に清水一家の中政と名乗り……

官軍の東征にあたり、旅人に変装して清水次郎長の動向を調べにきた勤皇浪士が、保下田の久六の悪企みから清水一家を救う物語。カツシンのコミカルなところが前面に出た作品です。

ところで、これってマキノ雅弘の『清水港』(1960年に同監督がリメイクしたのが『清水港に来た男』)と内容が全く同じなんですよ。喜劇の斎藤寅次郎なので、お笑いシーンは多いですけどね。著作権は如何なっているんだろう……?

 

『天下を狙う美少年』(1955年・大映/監督:荒井良平)

紀州の片田舎で暮らす小坊主の宝沢(勝新太郎)は手のつけられない暴れん坊だった。育ての親のおさん婆(浦辺粂子)は、立派な僧侶になることを願って宝沢に、実の父親は将軍吉宗であることを告げ、証拠の書付と短刀を見せる。それを陰で聞いていた山内伊賀亮(大河内伝次郎)は、宝沢を恭しく祭り上げ、名も天一坊と名乗らせて、ご落胤の噂を広める。宝沢も父に会いたい一心で伊賀亮の指示に従い……

カツシンの天一坊は、邪気のないイタズラ坊主的存在で、世の中への反逆精神はありません。平凡なキャラで魅力ありませんな。

逆に大河内伝次郎の山内伊賀亮は、これまでのバンツマ(素浪人罷り通る)や右太衛門(八百万石に挑む男)の立派すぎるキャラと異なり、山師ぶりを見せて悪の魅力があります。アウトロー・ヒーローが似合う大河内伝次郎の本領発揮といったところでしょうか。

 

『紅あざみ』(1959年・大映/監督:安田公義)

新選組局長・芹沢鴨(小堀明男)は、倒幕の密勅を奪うために青蓮院宮の屋敷を襲う。桂小五郎(黒川弥太郎)と宮の侍女・朝香(近藤美惠子)は脱出するが、青蓮院宮と吉村新八(本郷功次郎)は捕まってしまう。しかし、謎の覆面・紅あざみが青蓮院宮と吉村新八を救出する。芹沢は、放蕩公家として有名な鷹野中納言(勝新太郎)を買収して勤皇公家と紅あざみの内偵密告を要請する。中納言の妻・三千代(青山京子)は、夫の裏切り行為を嘆くが……

コシヌケを装って敵を欺き、正体を隠して味方を助けるという“快傑ゾロ”的ヒーロー映画。定番キャラが定番通りの行動をして、定番通りの結果となる定番娯楽時代劇ですな。だけど、最近この手の時代劇がないので、楽しめましたよ。

 

『千代田城炎上』(1959年・大映/監督:安田公義)

継母に疎まれた千鶴(新珠三千代)は大奥へ奉公に上がるが、お末と呼ばれる最下級の女中だった。女中頭のおくら(千石規子)のイジメにも挫けず、新年の祝いの余興でお部屋さま(阿井美千子)の前で男装して踊り、満座を魅了する。年寄・稲月(村田知栄子)は千鶴を部屋子として登用した。火の番として見回りをしている時に、大奥に忍び込んだ老女を捕え密書を奪う。老女は自害したが、密書には世継問題における年寄筆頭・藤波(角梨枝子)の策謀が記されていた。表使いに昇進した千鶴は、新任のお勝手係・安藤伊予守(勝新太郎)に密書を渡す。藤波は追放され、稲月は年寄筆頭となり、千鶴は中年寄に出世する。伊予守から大奥の財政緊縮の相談を受けた千鶴は稲月と対立するようになり……

クレジットではトップですが、新珠三千代が主人公の大奥物語で、カツシンは刺身のツマのようなものです。およそ時代劇の似合わない現代女優による最近の“大奥”ドラマより安心して見てられま〜す。

 

 

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