新珠三千代
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私が新珠三千代のことが気になりだしたのは、高校時代に『悪の紋章』(1964年東宝/監督:堀川弘通)を観てからでした。秋吉台の洞窟で、死体をノコギリでバラバラにするというショッキング・シーンは忘れることができません。清楚な仮面の下で、目的のためには鬼にもなれる悪女。それまでは“社長シリーズ”での小料理屋のママさんのイメージしかなかったので、この作品での彼女にはシビレましたねェ。 それから、『人間の条件』(1959年松竹/監督:小林正樹)の若妻役もよかったですね。作品的にはこちらの方が先なんですが、大学時代にリバイバルで特別上映された時に観たので、私にとっては後になります。朝の10時から夜の10時まで、全6部が一挙上映(入場料にプラスして幕の内弁当代も含まれていた)されたんですよ。 前線の哨舎で再会した夫(仲代達矢)と抱き合うシーンはよかったなあ。ヌードシーンは吹き替えだったようですが。戦争という極限状態の中での芯の強い女性を見事に演じていました。 |
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「銭の花は、清らかで白い。だが、つぼみは血がにじんだように赤く、その香りは汗のにおいがする」と、彼女のナレーションで始まるTVドラマの『細うで繁盛記』では、和服の美しさを見せてくれました。新珠三千代といったら、着物のイメージが強いのは、このドラマの影響かもしれません。逆境に負けず商売に生きる根性ドラマなんて好きじゃないんですが、つい見てしまったのは熱演型(根性ドラマは、やたらキバル演技が多いんですよね)でない彼女の魅力に惹かれたからです。それと、大友柳太朗が出演していたからですかね。 機会があったら観たいのが、玄人筋では川島雄三監督の最高作と云われる『洲崎パラダイス・赤信号』です。『細うで繁盛記』のヒロインとは正反対の女性を演じているんですよ。 役は違っても、常に同じキャラクターという女優さんが多い中で、彼女は意外な演技派でした。彼女は亡くなっても、作品は残っているので、これからも彼女の違う側面を発見する楽しみが残されています。 |
『洲崎パラダイス赤信号』(1956年・日活/監督:川島雄三) 洲崎遊郭の入口にある飲み屋“千草”の女将・お徳(轟夕起子)は、女と駆落ちした夫・伝七(植村謙二郎)の帰りを待ちながら店を守っている。そこへ、求人ビラを見た蔦江(新珠三千代)と義治(三橋達也)がやってくる。二人は食うや食わずで流れ歩いており、蔦江は“千草”に住み込み、義治は蕎麦屋に住み込んで働き始める。蔦江は店の客・落合(河津清三郎)に惹かれはじめ、彼の愛人となって姿を消す。義治は仕事を放りだして蔦江を捜しまわるが、空腹で路上にぶっ倒れる仕末。あきらめた義治は、お徳から何かと彼の世話をしてくれる蕎麦屋の玉子(芦川いづみ)と一緒になれと水を向けられ万更でもない。お徳のところへ何年かぶりかで後悔した伝七が戻ってきて、生活をやり直しはじめるが、駆落ちした女が追ってきて伝七を殺す。その晩、落合に飽きた蔦江が義治に逢いに“千草”に来る…… |
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社会の底辺で愚かしいほどに執着をもって生きている男と女。緻密な風俗描写と洲崎遊郭入口のチカチカするネオンに見られる鋭い映像感覚で、愚かしい人間たちの言動が愛すべき存在となって迫ってきます。 『幕末太陽伝』と比べると完成度は劣りますが、愚かしい人間の愚かしい言動に人間の面白さを見出すという監督の意図は見事に表現されています。 甲斐性のないダメ男を演じた三橋達也も良かったですが、ちょっと崩れた、はすっぱな女の魅力を見せた新珠三千代が良かったなァ。 |
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『野生の証明』(1978年・角川/監督:佐藤純弥) 東北山中の山村で、村人全員が殺され、頼子(薬師丸ひろ子)という少女がひとり生き残るが、記憶を失っていた。当時、山中で単独踏破訓練をしていた自衛隊特殊部隊の味沢(高倉健)が頼子を養子として引き取り、退役して平凡に暮していたが、羽代市での事件がもとで、ふたりの暗い過去が蘇ってくる。 出演者の顔ぶれだけが賑々しい、どうしようもない大作。テレビ宣伝が話題になりヒットしましたけどね。私もその宣伝につられた観たクチです。 推理小説的な謎解きは途中でどこかに行って、アメリカのB級アクション映画のような現実感のないアクションが展開されます。総製作費12億円のうち、戦闘シーンに5億円かけたそうですが、それだけの価値があったかどうか……。 角川春樹は、「男の内に潜む、暴力を否定しえない野生を描きたかった」そうですが、動物的な野生を呼び起こす人間的憤怒は、リアリティーある社会的契機があってはじめて共鳴できる(例えば『ランボー』→続編でなく最初のやつネ)わけで、絵空事の世界では虚しいだけです。 健さんには悪いけど、まるで大人の心を見透かしているかのような力強い眼差しが衝撃的だった薬師丸ひろ子の存在感だけが収穫でしたね。 |
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『太陽の墓場』(1960年・松竹/監督:大島渚) 通天閣を眺めるスラムを舞台に、社会の底辺で生きる人たち(バタ屋、日雇い労務者、泥棒、ヤクザ、売春婦等)の欲望や怨みつらみを赤裸々に描いた作品。 60年安保闘争の影響が色濃く反映された作品として当時評価されたようですが、直接世代でない私としては、残念ながらそこまで読み取ることはできませんでした。 しかし、戦後派監督のアナーキーなエネルギーは感じることができましたよ。ただ不満をいうなら、多彩な登場人物を巧くさばいているんですが、表面をなぞっているだけなんですね。小沢栄太郎を中心とするバタヤ部落か、津川雅彦を中心とする新興ヤクザに話を絞ったら作品に深みが出たと思うのですが…… 私としては、主演の炎加世子を見るのが最大の目的でしたから、まあ内容は二の次でいいんですけどね。ドキっとするポスター画像に、「セックスする時が最高よ」という名文句で当時のマスコミの話題になり、ず〜と気になっていた女優さんです。演技以前のキャラクターそのもので、確かにこの映画での存在感はバツグン! ところで、昭和30年代の社会の底辺を描いた映画に必ず登場してくるのがバタ屋。当時バタ屋が大勢いたんですよ。バタ屋を現代風にいうなら廃品回収業者。背中に竹で作った大きな籠を背負い、長い竹のハサミで街の中に捨ててある物を背中の籠に入れて集め、仕切り屋と呼ばれるそれ専門の買い屋に売って、いくばくかの金を得る貧しい生活をしていました。彼らはたいてい川のそばの公営地を不法に占拠してバラックを建て、集団で暮していた。これがバタ屋部落と呼ばれるスラムです。 小学校時代、私の同級生にもバタ屋の子がいたけど、炎加世子のような女の子はいなかったなァ。 |
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『淑女は何を忘れたか』(1937年・松竹/監督:小津安二郎) 大正15年(1925年)のアサヒグラフの俳優番附によると、東の横綱が栗島すみ子で、西の横綱が岡田嘉子となっています。写真では見たことはあるのですが、映画では見たことがなかったので、機会があったら見たいと思っていたんですよ。 この作品は、恐妻家の大学教授(斎藤達雄)が、大阪からやってきた姪(桑野通子)の行動に刺激されて、高慢ちきな妻(栗島すみ子)に反抗する喜劇です。 斎藤達雄が巧いなァ。戦後、小津が斎藤達雄を使わなくなったのは何故だろう。本を読んでまで調べるのは面倒くさいので、知っている人がいたらメールを下さい。 写真で見た桑野通子は美人だと思ったけど、この作品では今イチ魅力を感じません。田中絹代と比べたら、当時としたらモダンな女性で、それが魅力になっていたんですかね。私としては、娘の桑野みゆきの方に魅力を感じま〜す。 でもって、目的の栗島すみ子なんですが、当時35歳。俳優番附で横綱だった頃の、憂いふくんだ美貌は衰えていましたね。おまけにトーキー(小津にとってはトーキー2作目)で、チャキチャキの江戸っ子弁で喋るものだから、憂いとはほど遠い存在です。逆に亭主を尻に敷く役はピッタリでしたが。 彼女は、翌年の『泣蟲小僧』を最後に映画界から引退しま〜す。 |
『東京の女』(1933年・松竹/監督:小津安二郎) タイピストの姉(岡田嘉子)に大学の学費を出してもらっている弟(江川宇礼雄)が、姉の副業を知ってショックを受け、自殺するという、わけのわからない映画。“インテリというのは精神的に脆く、頼りにならない存在”ということを云いたかったのかなァ。 岡田嘉子は、この作品の時は31歳。私生活での奔放な行動から、イメージ的に洋風美人かと思っていたのですが、意外と日本的でしたね。とはいっても、この作品にも出演している田中絹代と比べると、洗練された美しさがあります。それと、自立する女性の意志の強さを感じました。 若い頃の岡田嘉子の映画をもっと観たいなァ。 |
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