劇場未公開西部劇


『報復者』(1972年/監督:ダニエル・マン)

BS2で放映以前に『復讐の荒野』という題名で放映されています。製作されたのが、マカロニ・ウエスタンを含め、西部劇そのものが衰退している時期だったので、毛色の変わった特徴ある西部劇でないと商品価値がないと判断されたのでしょうか。サントラCDのジャケットがマカロニぽかった(私は、マカロニと間違えて購入したんですよ)のと、メキシコを舞台にしているのでマカロニぽい感じですが、作品そのものは正統派西部劇です。

白人に率いられたインディアンによって一家を皆殺しにされた牧場主が、白人ボスを捜し出して復讐する物語です。一家皆殺しのシーンは陰惨な描写でなく、本場西部劇らしく実にアッサリしています。

メキシコの刑務所で仲間を集めて追跡を開始しますが、この牧場主が南北戦争の英雄で、指揮官として優秀であることを本筋に入る前にさりげなく紹介しており、こうした丁寧な作り方は好感が持てます。つまり、「何でそうなるの?」と考えさせるシーンがないんですよ。つねに伏線が張られており、物語に破綻をきたしません。

だけど、作品的に素晴らしいかというと、それほどでもないんですね。それは、演出において何もかも平凡で、ハッとするような映像表現もなければ、声をあげたくなるようなアクションシーンもないからです。シネスコ画面いっぱいに現われたインディアンが攻撃してくるクライマックスシーンの迫力のないこと。ダニエル・マンは、この手のアクション映画には向かない監督かもしれませんね。

主演はウィリアム・ホールデン。彼の最後の西部劇作品です。他にアーネスト・ボーグナインやウディ・ストロードが出演しており、いい味を出していました。それと、珍しいところでスーザン・ヘイワードが顔を見せていましたよ。

サントラCD

 

『アリゲニー高原の暴動』(1939年/監督:ウィリアム・A・サイター)

RKOが『駅馬車』のヒットに便乗して、ジョン・ウェインとクレア・トレバーを招いて製作した日本未公開西部劇。

1760年代の開拓時代(独立前)のペンシルバニアを舞台に、インディアン相手に武器を密売する商人に対して、インディアンの脅威に怯えている開拓民の先頭に立って不正をただす快男児の物語です。

町に着いた旅人がランプで次々に看板を照らし出すタイトル(看板がクレジットになっている)は意外とシャレていて期待を抱かせてくれたのですが、インディアンとの壮絶な戦闘シーンもなければ、迫力ある決闘シーンもなし。

ブライアン・ドンレビーが敵役だし、もっと面白くなってもいいのですが、サイター監督(他にどんな作品があるのだろう?)は見事にツボを外し、全く期待外れでした。

左;クレア・トレバー

中:ジョン・ウェイン

 

『ワイルド・ウエスタン・荒野の2丁拳銃』(1998年/監督:ジーン・クインターノ)

セルジオ・レオーネの原案をトニー・アンソニーがプロデュースしたマカロニへのオマージュとでもいうべき作品。好きだなあ、こんな映画。

拳銃の連射で床をブチ抜いて階下へ逃れる、堀江卓のマンガ(といっても、知らない人が殆どだろうけど)に出てくるようなシーンや、棺桶から予測通りに機関銃が出てきたりで、嬉しくなります。コメディにせず、まじめに撮っているのは好感もてますね。

南北戦争末期、南軍が隠した黄金の在処がわかるという四つのガンベルトを巡って、北軍ゲリラや主人公を追う自警団、さらにはメキシコ軍まで加わって、射ち合いの連続。マカロニが全盛期だった頃を想い出してノスタルジックな気分で観ましたよ。

 

『牛泥棒(オックス・ボー事件)』(1943年/監督:ウィリアム・A・ウェルマン)

世論が一丸となって戦意高揚を煽っている時に、群集心理における危険性をモロに表現した作品が製作されたことに驚きを感じます。サイコ・ウエスタン(心理西部劇)の先駆的作品として現在では評判の高い西部劇ですが、アメリカでは公開当時は大コケし、日本でも戦後の西部劇ブームの時でさえ公開されませんでした。

物語は単純です。

牧場主が三人の牛泥棒に殺されたという知らせが町に届き、自警団が組織されて牛泥棒を追跡します。町外れで野営している三人の男(ダナ・アンドリュース、アンソニー・クイン、フランシス・フォード)を見つけた一行は、彼らを牛泥棒だと思って私刑します。追跡隊の中には、ヘンリー・フォンダのように私刑に否定的な者もいるのですが、多数決(賛成21、反対7)で処刑が決定します。処刑した後で、牧場主は負傷しただけで生きており、真犯人も捕まったことがわかります。

この作品のテーマは、ラストでヘンリー・フォンダが読み上げる、私刑で殺された男が妻へ宛てた手紙(遺書)に全てが語られています。

「愛する妻よ、仔細はデイビスが話してくれるだろう。おれの苦痛は一瞬だが、彼らは終生、良心の呵責からのがれられまい。気の毒にさえ、おれは思えてくる。掟というのは、法律書のことでもなければ、判事のことでも弁護士のことでも、保安官のことを指すのでもない。掟とは、めいめいが心の中にもっている、善悪の見分けをつける良心のことなのだ。その良心こそが、ヒューマニティの真髄なのだ。その良心なくしては、文明というものもありえない。その良心を通して、われわれは神に触れることもできるのではないか。めいめいの人が、心の中に持っているささやかな良心、それが最も尊いものなのだ」

群集心理が持つ怖さ、心理学者のエーリッヒ・フロムは、これを“見えざる権威”への服従と言っていましたが、現代社会でも似たようなことが発生しています。“見える権威”への服従より、命令の送り手の姿がなく、それに対する服従が服従として自覚されないことほど恐ろしいものはありませんね。

 

『銃撃』(1966年/監督:モンテ・ヘルマン)

賞金稼ぎだったウィレット・ガシェイド(ウォーレン・オーツ)は、弟コーリンが友人二人と開いた鉱山へやって来る。しかし、友人の一人は何者かに殺され、弟は何処かへ逃げ出したことを、一人残っていたコーリー(ウィル・ハッチンス)から聞かされる。翌日、奇妙な女(ミリー・パーキンス)が現れ、キングズレーの町まで案内してほしいという。高額な報酬と、コーリーの同行を条件にウィレットは女の依頼を承諾する。女の勝手な行動にウィレットは不安なものを感じはじめるが、コーリーは女に惹かれていく。やがて、女が雇った殺し屋ビリー(ジャック・ニコルソン)が加わり……

「西海岸でサミュエル・ペケットを演出した若きニューヨーク出身のインテリ青年による、反知識人的な知的B級西部劇の傑作」と蓮實重彦氏が評した作品。どんな作品か期待して観たのですが、蓮實氏の評が意味不明だったことがわかりました。

監督がDVD特典の音声解説で言っていたように、深読みするから難解になるので、物語は至ってシンプルです。説明的なセリフが一切ないので、観客は登場人物の会話や表情から状況を推理していく必要があり、難解と感じるんですよ。

テレビ西部劇『アリゾナ・トム』のウィル・ハッチンス、『アンネの日記』のミリー・パーキンス、それにウォーレン・オーツとジャック・ニコルソンが、素晴しい演技を見せてくれます。特に男たちを地獄へ引きずりこむ謎の女を魅力的に演じたミリー・パーキンスが抜群でした。

 

『旋風の中に馬を進めろ』(1966年/監督:モンテ・ヘルマン)

ヴァーン(キャメロン・ミッチェル)、ウェス(ジャック・ニコルソン)、オーティス(トム・ファイラー)は、テキサスに行く途中で駅馬車強盗が隠れていた小屋に一泊する。翌日、彼らは自警団に囲まれ、強盗団の仲間に間違われる。囲みを破って逃げようとして、オーティスは自警団に射ち殺される。ヴァーンとウェスは何とか農場にたどりつくが……

この作品は『銃撃』と同時に撮影されています。場所はユタ州のカナブ。資金を出したのがロジャー・コーマンで、1本当りの制作コストを下げるためです。

特典の音声解説で、監督が撮影テクニックを色々語ってくれています。この作品では何といっても『銃撃』とは全く違う演技を見せるジャック・ニコルソンに脱帽です。

内容は不条理ドラマですが、『銃撃』と比べると後味のよい結末となっています。映像感覚が素晴しく、決して古びることはないでしょうね。

 

 

トップへ   シネマ館へ   目次へ   次ページ