旗本退屈男


直参旗本・早乙女主水之介、人呼んで“旗本退屈男”は、佐々木味津三が創出したチャンバラ・ヒーロー。無役ながらも千二百石の大身で、住まい本所割下水。一丁四方(900坪)の大邸宅に17歳になる妹の菊路と下働きの女三人、庭番二人、門番兼若党一人の計七人で住んでいます。映画に出てくる老用人はいません。菊路には霧島京弥という恋人がいます。前髪立ちの美少年ですが揚心流・小太刀の使い手で、十二万石・榊原大内記の家臣。

主水之介は身長五尺六寸(約170センチ)のスラリとした長身(当時としては)で、33歳、独身。剣は篠崎竹雲斎の諸羽流で、奥義の正眼崩しは天下無双。体術は揚心流・息の根どめ。軍学もマスターしており、武芸十八般に通じる達人なのです。外出には、黒羽二重の着流しに、蝋色鞘の平安城相模守を落差し、素足に雪駄ばき、正体を隠すためか深編笠か宗十郎頭巾で顔を隠します。トレード・マークの額の三日月傷は、長州藩七人組でならした悪質な剣客集団を浅草雷門で斬り倒した時に受けたもの。アイデアは、原作者・佐々木味津三の小刀で額に傷つけた幼い頃の傷痕がもとになっているそうです。

小説では1929年4月の「文芸倶楽部」に登場し、31年4月までとびとびに続いて、全部で11話ですが、映画は1930年の第1作『旗本退屈男』から始まり、1963年の第30作『謎の竜神岬』まで続いた、日本映画史上最長のシリーズとなりました。探偵劇としてはコケおどかしばかりの幼稚な作品ですが、市川右太衛門の魅力で見せています

 

若き日の市川右太衛門(1982年マツダ映画社)

市川右太衛門のサイレント時代、戦前の名シーンを編集した作品。1930年に製作された「旗本退屈男」の第1回作品(もちろん、無声映画)も断片ではあるが観ることができました。

殆どの作品が、フィルムが痛んでいたり、散逸したりしているのですが、『怒苦呂(どくろ)』という映画だけがほぼ完全な形で残っています。それにしても昔の映画の題名って難しいですね。他にも『雄呂血(おろち)』とか『魔保露詩(まぼろし)』とか……

でもって“旗本退屈男”ですが、右太衛門さんは、町人たちには絶対にやさしく、弱い者を助け、悪い奴はどんな相手でも容赦しないところに惚れ込んだそうです。“旗本退屈男”は豪放磊落な右太衛門のキャラクターにピッタリあい、右太衛門以外の退屈男は考えられないくらいです。

 

旗本退屈男・江戸城罷り通る(1952年・松竹/監督:大曽根辰夫)

右太衛門と岸恵子

将軍の御落胤と称する浄海坊(高田浩吉)が江戸へ乗り込んでくる。行列を見た早乙女主水之介(市川右太衛門)は、浄海坊に邪悪の相があるのを見てとる。主水之介は、小姓の霧島京弥(宮城千賀子)を女に変装させて、浄海坊の宿舎に潜入させる。浄海坊の参謀・内膳正(柳永二郎)は、主水之介の行動を阻止するために、主水之介の妹・菊路(岸恵子)を誘拐する……

浄海坊は、いわゆる天一坊ですね。それに本物の御落胤が絡んで、退屈男が大活躍。退屈男の衣裳は、モノクロということを考慮にいれても派手な感じはしませんでした。カツラも普通のムシリに近いものだし、私たちが見慣れた退屈男のあのスタイルは東映で完成されたものといっていいでしょう。だけど立回りは、後年の見得を切って動きが止まるようなことがなく、逆に見応えがありましたね。

宮城千賀子は男の役で、それが女装して奇妙な色気がありましたよ。それと、当時ニューフェースだった岸恵子が綺麗だったなあ。特に縛られた姿は色気があって、ゾクゾクッとしましたね。

 

旗本退屈男・謎の怪人屋敷(1955年東映/渡辺邦男監督)

“旗本退屈男”は1930年に始まり1963年まで続いた日本映画史上最長のロング・シリーズで、戦後は1950年『旗本退屈男(前後編)七人の花嫁・毒殺魔殿』を第1作としてシリーズが再開しました。本作品はシリーズ17作目。戦前に9本作られているので、戦後8作目ということになりますね。

退屈男が将軍側近の柳沢吉保の悪企みを見破り、綱吉に意見するという物語。月形龍之介の将軍綱吉、阿部九州男の柳沢吉保というのは、シックリきません。特に柳沢吉保は、山形勲のような知能犯タイプでないとね。阿部九州男じゃ凶悪犯で〜す。

それと敵役が実在の人物なので斬りすてるわけにいかず、消化不良の結末でした。これじゃあ、平均以下の出来だァ。

右太衛門と高峰三枝子

 

旗本退屈男・謎の伏魔伝(1955年東映/佐々木康監督)

京都に滞在していた退屈男が、ヒョンなことから密輸事件に巻き込まれ、京都所司代の与力を助けて密輸団の正体を暴く物語。

千原しのぶがアッサリ殺されてしまうのは物足りませんが、退屈男が能役者にばけて敵陣に乗り込み能を舞う、おなじみのラストシーンは満足で〜す。あの笑い声とともに、能面をはずし、悪人の前に現れる。マッテマシタ!と掛け声をかけたくなりますね。

左記画像は、右太衛門と若山セツ子

 

 

 

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