コメディ西部劇


『テキサス魂』(1970年/監督:ジーン・ケリー)

カウボーイをしているジョン(ジェームズ・スチュアート)は、死んだ弟の遺産を相続するため、テキサスから相棒のハリー(ヘンリー・フォンダ)を伴ってワイオミングにやってくる。相続したのは“シャイアン社交クラブ”という売春クラブだった。ジェニー(シャーリー・ジョーンズ)をはじめ、みんな気のいい女たちだったが、ジョンには売春クラブの経営は性格にあわず、結局ハリーとテキサスの牧場に戻るのだった……

ジミーとフォンダが持ち味を出していて、この二人のやりとりを見ているだけで愉しくなります。まさに良質の漫才コンビ。ツッコミがフォンダで、ボケがジミーね。

ジミーが無法者と対決して、フォンダがいつも食べているナッツの殻を割る音で、勝利を得るのですが、フォンダが食べていたナッツの実が何んなのか気になりました。クルミみたいだけど、クルミだと掌では割れないよなァ。

復讐にきた無法者一味との射ち合いでは、二人とも年季の入ったところを見せてくれます。芸達者な二人に満足、満足。

※フォンダのナッツですが、後日、拙サイトの訪問者からメールがあり、ペカン(ピーカン)だと判りました。ペカンはテキサス州の州木で、私も食べたことがあります。クルミより甘みとコクがありましたね。剥き実だったので、気づきませんでした。

 

『夕陽に立つ保安官』(1968年/監督:バート・ケネディ)

墓穴から金が見つかり、ゴールドラッシュの波が押し寄せた小さな町は、秩序と風紀が乱れに乱れていた。町議会は保安官を雇うことになり、オーストラリアに行く途中で、金でも見つけて資金稼ぎをしようと考えていた流れ者(ジェームズ・ガーナー)が、手っ取り早く金にありつこうと、保安官を志願してくる。町の外れには無法者一家がおり、息子の一人を殺人罪で逮捕するが……

ガーナーが腕前を見せるのに、コインを空中に投げて射ち抜くのですが、ガーナーのトボケぶりが実に可笑しいんです。

無法者の息子がブルース・ダーンで、留置場でのやりとりや、息子を助けに来る親父のウォルター・ブレナンが牢破りに失敗して、留置所のダーンが言う一言には大笑いしましたよ。

「荒野の決闘」や「真昼の決闘」のパロディはもちろんのこと、西部劇でのお馴染みのシーンが、次々にパロディとなっており私の口許はゆるみっぱなし。

コメディ西部劇の傑作で〜す。

 

『地平線から来た男』(1971年/監督:バート・ケネディ)

大年増の酒場のマダム(マリー・ウィンザー)と結婚するはめになった男(ジェームズ・ガーナー)が、途中下車して逃げ出した町は、二人の鉱山主(ハリー・モーガンとジョン・デナー)が対立していた。男は凄腕のガンマンと間違われ……

バート・ケネディとジェームズ・ガーナーの『夕陽に立つ保安官』の姉妹編。

傍役にもハリー・モーガン、ジャック・イーラムと同じ顔が揃っています。ジェームズ・ガーナーは、彼の出世作となったテレビ西部劇『マーベリック』の同じイメージですね。

腕のいいギャンブラーで、口先と度胸の男。社交上手で女性には特に目がない。といっても鼻毛を抜かれるわけでなく、頭の中では常に計算をしている。

町の酒場のマダム(ジョーン・ブロンデル)に言い寄って(これが、マリー・ウィンザーを口説いたのと同じ文句)、酒代をサービスさせたり、仲良くなった飲んだくれのジャック・イーラムを凄腕のガンマンに仕立てて、ハリー・モーガンから用心棒代をせしめたりと、このガーナーのとぼけた調子の良さは、ブレット・マーベリックと同じキャラクターです。だから、ルーレットの玉の転がる音を聞くと発作が起こり、有り金を全部賭けてしまいスッテンテンになるシーンには、『マーベリック』の見事なパロディとなっており、思わず声をあげて笑ってしまいましたね。

上記の他にはチャック・コナーズのスキンヘッドくらいしか映像で見せる笑いがなく、セリフや言葉での説明が多かった分、前作の『夕陽に立つ保安官』と比べると少し落ちる気がします。ハリー・モーガンとエレン・コービーが自転車に乗ってデートするシーンがあったら、笑えたのにねェ。

それから、気が短くてすぐに銃をふりまわすスザンヌ・プレシェットの役名がペイシェンス(忍耐)というのは、『夕陽に立つ保安官』でオッチョコチョイぶりを見せたジョーン・ハケットの役名がプルーディ(淑女)といったのと同じ言葉遊びですね。

 

『正午から3時まで』(1976年/監督:フランク・D・ギルロイ)

銀行強盗に失敗して皆殺しになる夢を見たグレアム(チャールズ・ブロンソン)は、馬がダメになったことをいいことに、荒野の豪邸に居残る。その屋敷には金持ちの未亡人(ジル・アイアランド)が住んでおり、グレアムは未亡人とよろしくなり……

実生活におけるブロンソンとジルの仲良し夫婦ぶりを逆手にとったような皮肉タップリのおトボケ西部劇です。伝説が形成される過程とその裏側に隠された真実の物語によって、巷間に伝えられている西部劇の真実はこんなもんだよと、作者がほくそ笑んでいるのがわかります。

原作・脚色は『必殺の一弾』の原作・脚色で非凡なところを見せたフランク・D・ギルロイで、この作品の成功は全て物語の面白さにありますね。ただ、自ら監督せずに、バート・ケネディあたりが演出していれば、もっと洒落っ気のあるコメディに仕上がっていたと思いますけど。

音楽はエルマー・バーンスタインで、主題歌の「ハロー・アンド・グッドバイ」はジル・アイアランドが歌っています。

 

『テキサス』(1966年/監督:マイケル・ゴードン)

スペイン貴族の末裔ドン・アンドレア(アラン・ドロン)は、フィービー(ローズマリー・フォーサイス)との結婚の日、フィービーの婚約者が現れ、過って彼を二階から突き落としてしまう。男は死んでしまい、殺人犯にされたドンは、まだ合衆国に加入していないテキサスへ逃げることにする。テキサスはコマンチ族の脅威にさらされており、村を守るために腕の立つ男を探していたサム(ディーン・マーチン)にドンは雇われる。村に行く途中で、まじない師の生贄にされそうになっていたインディアン娘(ティナ・オーモン)をドンが救ったことから……

キングストン・トリオの歌う主題歌がナレーションになっています。60年代前半までは、主題歌で内容を紹介する西部劇が結構ありましたね。

アラン・ドロンの西部劇初出演作品で、ドロンは楽しんで演じています。ディーン・マーチンも持ち味が出ており、のんびり愉しめるコメディ西部劇でした。蛇足ですが、魅力的なインディアン娘のティナ・オーモンは、この作品時点ではティナ・マルカンです。

時代背景が、合衆国がテキサスを併合する1945年なので、パーカッション拳銃に似せたインチキ拳銃(コルトSAAをウォーカーモデル似に改造)を使っていたのが笑えました。60年代までの西部劇は、拳銃の考証がかなりいい加減なので〜す。

 

 

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