時代は戦国


『風雲児信長』(1930年日活/監督:マキノ正博)

濃姫との婚礼から、正徳寺での斎藤道三との会談までを描いた、鷲尾雨工原作の織田信長。ステロタイプの信長像ですが、片岡千恵蔵が演るとピッタリ決まっています。

この手の映画にノレルかどうかは、自分が持っている信長のイメージと役者が一致するかどうかなんですけど、片岡千恵蔵には満足、満足。

濃姫は宮城千賀子。フィルムセンターで開催された“ゴスフィルモ映画祭”の『お市の方』で戦国清純スターの宮城千賀子を知っているので、この作品での違和感はありませんでした。

平手政秀は志村喬。当時としては老け役だったんでしょうが、老けてからの志村喬を知っているので、これまた違和感がありませんでした。逆に若い志村喬って想像がつかないんだよね。

フィルムが古いので画像は悪いですが、エキストラを大量につかった映像は現在では味わえないものですよ。

 

『若き日の信長』(1959年大映/監督:森一生)

市川雷蔵の信長は線が細いですね。片岡千恵蔵の印象が強かったので、どうしても比較してしまいます。演技は雷蔵の方が上手いのですが、俳優として持っている雰囲気は千恵蔵に軍配を上げざるを得ません。雷蔵は信長の激しさを『新・平家物語』で見せたような演技で表現しようとしていますが、どこか違うんだよなァ。演技以前の問題として、雷蔵には戦国武将が似合いません。

物語は、信長と平手政秀親子の主従関係を中心に、今川へ寝返った山口左馬之助の娘を絡めて展開していきますが、全体的にダラダラしていて盛り上がりに欠けます。

平手政秀は小沢栄太郎。この人も若い頃から老け役で、青年姿をスクリーンで見たことがないなあ。

 

『織田信長』(1955年・東映/監督:河野寿一)

美濃の斎藤道三(進藤英太郎)は、隣国尾張の織田信秀(柳永二郎)の嫡男・信長(中村錦之助)に娘・濃姫(高千穂ひづる)を嫁がせる。信長がうつけ者で尾張を治める器量がないと考え、ゆくゆくは尾張を手中に収めようとする考えだった。信長の奔放にふるまいを、信秀や守役の平手政秀(月形龍之介)は頼もしく見守っていたが、信秀が死に、政秀は信長に領主としての自覚を持たせるために、自害して諭すのだった。道三は尾張攻略を考え、対面のため信長を正徳寺に招くが……

錦之助の信長演技は力みが目立って青臭く、龍之介や英太郎の演技と比べると浮いた感じがしました。発展途上段階だったんですね。

合戦シーンがあるわけでなく、戦国モノとしては物足らなさがあります。凡作。

 

 

『尻啖え孫市』(1969年・大映/監督:三隅研次)

紀州雑賀の若頭領・孫市(中村錦之助)は、京で足だけを見て惚れてしまった女性(栗原小巻)を捜しに岐阜にやってくる。雑賀衆は3千の鉄砲隊を有する傭兵集団で、戦国大名から一目おかれていた。織田信長(勝新太郎)は、木下藤吉郎(中村賀津雄)に孫市を味方にするように命じるが……

原作は司馬遼太郎。技術だけで大企業へ挑むテクノクラートの生き方に共感を覚えますね。バブルがはじけて、企業主義が見直されるようになった現在、雑賀衆は現代的な存在ですよ。自由に生きたい私としては、感情移入できた作品でした。

それにしても、この頃からカツシンはどんな役を演じてもカツシンですね。信長だろうが秀吉だろうが、同じなんです。錦之助も同じですね。例えば、カツシンと錦之助の役を入れ替えても、錦之助は信長でなく錦之助そのものが出るし、孫市もカツシンそのものが出るでしょう。スターのキャラクターが役のキャラクター以上になっています。スターがスターらしかったのは、60年代まででしたねェ。

 

『出世太閤記』(1938年・日活/監督:稲垣浩)

 

木下藤吉郎(嵐寛寿郎)が織田信長(月形龍之介)の家来となり、墨俣に築城するまでの物語。

当時の宣伝パンフレットによると、“いまや全世界は、未曾有の大転換に直面している。世界地図に描かれる空前の激動。この時こそ英傑中の英傑、太閤秀吉を見るべし! 出場人員実に延べ5万3千人、馬匹920頭に及ぶ。セットまた76パイ、ロケーション近畿・中部・関東席捲、まさしく映画界瞠目の百万円映画!”とあり、当時としては大変な大作だったことがわかります。

実際、合戦シーンは迫力に満ちており、ハリウッド史劇に劣るものではありません。稲垣浩の演出のレベルの高さがわかりますよ。

稲垣浩は、当時の大スターでライスカレーを食ってサマになるような軽さというものが出せるのは嵐寛寿郎しかいなかったと語っていましたが、アラカンはなかなかの名演技を見せてくれます。だけど、月形の信長がもっと素晴らしい。アラカンを完全に圧倒していましたよォ。

 

 

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