新東宝の時代劇


南部騒動・姐妃のお百(1959年/監督:毛利正樹)

南部藩の積荷が崩れ、人足の惣七がケガをする。藩士の内海幸次郎(明智十三郎)は責任を感じて病床の惣七と娘のお百(小畑絹子)を廻船問屋の桑名屋徳兵衛に頼む。しかし、徳兵衛は幸次郎からの見舞金も渡さず、お百を女中にして手込めにする。その上、惣七まで殺し……

姐妃のお百というのは、講談や歌舞伎では有名な存在でして、色仕かけで男をたぶらかし、男の妻を追い出し、遊蕩をすすめて大店を破産させます。邪魔になった男を殺し、捕らえられ佐渡送りとなりますが島抜けをし、海上を漂っているところを秋田・佐竹藩の船に助けられます。持ち前の美貌と手管で藩主の愛妾となり、藩主を毒殺して御家乗っ取りを企てますが失敗、処刑されるという希代の毒婦です。

映画の方は佐竹藩が南部藩に変わっているだけでなく、悪いのは男たちばかりで、全然毒婦ではありません。淫らで暴虐を好み、紂王を堕落させ、殷滅亡の原因となった姐妃の名が泣きます。小畑絹子では姐妃のイメージじゃないものなァ。

中村竜三郎と小畑絹子

 

和蘭囃子(1954年/監督:若杉光夫)

南風洋子と大谷友右衛門

シーボルトのもとで医学を学んだ柳小路蘭平(大谷友右衛門)は、江戸に戻る途中で女スリのお万(南風洋子)と知りあう。お万に横恋慕している不良旗本の下平源之進(小笠原章二郎)からお万を救ってやったり、蜂須賀家の姫君(嵯峨三智子)の病気治療をしたりと、次々に事件が発生する……

山手樹一郎原作の明朗時代劇。悪党の親玉が、なんせ小笠原章二郎ですからね。戦後はチョイ役ばかりだと思っていたのですが、バカ殿役を演っているこんな作品があったとはね。

小笠原章二郎や森川信たちのコメディ演技と、水島道太郎や佐野浅夫たちの真面目演技が融合しておらず、内容的にはウ〜ンです。

宇野重吉がチョイ役で出演していたけど、あれは何だったのだろう。

 

番場の忠太郎(1955年/監督:中川信夫)

長谷川伸の『瞼の母』なので、ストーリー紹介はパス。

三村伸太郎の脚本は原作にない八州役人(森繁久弥)を登場させたり、金町の半次(三井弘次)の妹・ぬい(桂木洋子)に忠太郎(若山富三郎)への恋心を抱かせたりと、話を膨らませていますが、その分、忠太郎の母親(山田五十鈴)への想いが希薄になっています。

若山富三郎の演技の拙さもあるのですが、キャラ的にミスキャストですね。忠太郎は哀愁感が漂っている役者でなくちゃ……

若山富三郎と山田五十鈴

 

若さま侍捕物帳・謎の能面屋敷(1950年・新東宝/監督:中川信夫)

能面をつけた強盗殺人犯を追っていた遠州屋小吉(鳥羽陽之助)は、怪しい女・お銀(利根はるみ)を見つけ、跡をつけるが料亭“喜仙”の裏口で見失ってしまう。“喜仙”では若さま(黒川弥太郎)がお糸(香川京子)の唄を聴きながら、ノンビリ横になっていた。後日、南町奉行所の与力・佐々島俊蔵(河津清三郎)が若さまを訪ねてきて、江戸の町を荒らしまわる能面頭巾の報告をする。追跡をしていた下引きが能面屋敷の入口で半弓により殺され、俊蔵が調べると、その屋敷には中風で寝ている当主の広光(江川宇礼雄)と弟の玄馬(杉山昌三九)、それに用人の喜左衛門(柳家金語楼)が暮らしていた。その屋敷に、お糸が奉公に上がることになり……

原作では謎だった若さまの正体が、この作品では南町奉行・堀田佐渡守(大河内伝次郎)の息子・左馬介になっています。内容的には、意外な犯人というより、意外な役者が犯人というのがトリックですね。

幕府転覆といった大事件でなく、市井で発生した小粒な事件なので大立回りはありません。黒川弥太郎も若さまといった感じじゃないし、全体的に地味で〜す。

黒川弥太郎と香川京子

 

下郎の首(1955年・新東宝/監督:伊藤大輔)

湯治中の結城新兵衛は、同じ旅籠に泊っていた磯貝某と碁の勝負のことで諍いとなり殺される。仇の顔にある黒子を手がかりに、息子の新太郎(片山明彦)と中間の訥平(田崎潤)は仇討ちの旅に出る。やがて、時は流れ二人は窮乏の生活を送っていた。訥平は、ふとしたことから軍学者の妾・お市(嵯峨三智子)と知り合う。お市は訥平の純朴さに惹かれ、何かと世話を焼くが、旦那の軍学者・須藤巌雪(小沢栄太郎)がそのことに気づき……

同監督のサイレント時代の作品『下郎』の再映画化。信頼していた者に裏切られる絶望と悲しみを鮮烈に描いた隠れた名作です。魂から湧き出るような悲痛な表情を見せる田崎潤の演技は最高ですね。

傍役もピッタリ嵌っています。病弱で気の弱い主人の片山明彦、偽いざりの卑屈さを見事に演じていた三井弘次、ワンシーンにしか登場しない丹波哲郎や高堂国典も良い味を出していました。

 

 

トップへ    目次へ   次ページへ