まとめて市川雷蔵


又四郎喧嘩旅(1956年・大映/監督:田坂勝彦)

市川雷蔵は後年の“眠狂四郎”や“忍びの者”の印象が強いので、ニヒルな面だけが強調される傾向にありますが、明朗快活・天真爛漫な主人公を演じさせても似合っていましたよ。梨園で培った育ちの良さがあるんですね。そういった意味で、桃太郎侍や笹井又四郎といった山手樹一郎の時代小説の主人公は、貴公子・雷蔵にピッタリきます。

この作品は、松平家の三男坊が笹井又四郎(市川雷蔵)と名を変えて、磐木藩のお家騒動を解決するために大活躍。この主人公、人を斬らずに誠意と知恵で事態を収拾していくんですな。ラストでは、悪党の江戸家老を斬りますが……

お転婆姫の嵯峨三智子がキレイ。人の好い悪党の上田吉二郎もいい。内容的には特筆するところはないけど、良き時代の娯楽時代劇です。

 

桃太郎侍(1957年・大映/監督:三隅研次)

山手樹一郎の人気小説が原作で、丸亀城の若殿の双子の弟が、兄のために身代わりとなって、お家騒動を解決する物語。

これまで4度映画化されており、これは2度目のもの。

桃太郎は、他に長谷川一夫、里見浩太郎、本郷功次郎が演っていますが、市川雷蔵が(他の作品は観ていないのですが)一番ピッタリはまっているような気がします。市井に育っても大名の気品を失わない育ちの良さが、自然と滲み出ているんですよ。

雷蔵の立回りは少したよりないのですが、悪役の河津清三郎が存在感のある演技を見せており、作品を引き締まったものにしています。

チャンバラ映画は、悪役に魅力がないとねェ。

 

弁天小僧(1958年・大映/監督:伊藤大輔)

市川雷蔵の映画出演50本目にあたる記念作品。

不良旗本の王手飛車一味が大名や大店の弱みを握ってユスリを企てるが、白浪五人男が彼らを巧く出しぬく。五人男のひとり弁天小僧(市川雷蔵)は、事件の犠牲となった町娘(青山京子)の純情にひかれ、良心にめざめる。

市川雷蔵の歌舞伎への思い入れが、見事に結実した作品です。有名な浜松屋のシーンは、養父の市川寿海が演技指導に立ち合い、雷蔵は歌舞伎物における演技に新境地を開いています。

美術を担当した西岡善信さんが、この映画を評して、「歌舞伎の様式美を膨大なセットで映画的に処理した傑作」と言っていますが、私も全く同感です。

それに宮川一夫のカメラが加わって、素晴らしい映像美を見せてくれますよ。

 

切られ与三郎(1960年・大映/監督:伊藤大輔)

『弁天小僧』が好評だったので、会社の要求で伊藤大輔が再び市川雷蔵で撮った歌舞伎物の映画化。

蝋燭問屋の総領養子の与三郎(市川雷蔵)は、家督を実子である弟に譲るべく、放蕩のあげく家を出る。木更津で地元の顔役の愛人お富(淡路恵子)と愛し合うようになる。しかし、顔役に見つかり、与三郎は簀巻きにされて海に投げ込まれる。旅芸人の一座に助けられた与三郎は、一年後にその一座にいた娘かつら(中村玉緒)に巡り会う。かつらは、ヤクザの親分の妾になっており、その境遇から救い出してくれるように頼まれる。与三郎が、かつらを連れ出しに行くと、親分はかつらに殺されており、かけつけた子分に見つかったかつらは、与三郎に罪を着せる。お尋ね者となった与三郎は江戸に戻り……

愛した女に裏切られてばかりいる色男の悲劇を端正な雷蔵が演じると、ピッタリ決まりますね。それにしても雷蔵の立居振舞いのキレイなこと。

古典であるにもかかわらず、演出感覚は現代的です。心から愛してくれたお金(富士真奈美)を抱いて与三郎が海に入っていくラストシーンは余韻が残りますよ。

淡路恵子、中村玉緒、富士真奈美、全て良し。特に、中村玉緒の演技はバツグンで〜す。

 

沓掛時次郎(1961年・大映/監督:池広一夫)

一宿一飯の義理から六田の三蔵を斬った沓掛時次郎(市川雷蔵)が、三蔵の頼みで三蔵の女房のお絹(新珠三千代)と息子の太郎吉を、お絹の実家へ連れて行くことになる。お絹は途中で病に倒れ、時次郎だけがお絹の実家へそのことを伝えに行く。しかし、お絹の父親はヤクザの頼みはきけぬと、時次郎を追いかえす。時次郎は堅気になるが、お絹の治療代を稼ぐために、喧嘩の助っ人となって再び長脇差を握る……

 というのが、原作の概要ですが、溜田の助五郎(須賀不二男)がお絹に横恋慕して三蔵を殺し、さらにお絹までが助五郎に殺されるというのは、任侠映画でなくヤクザ映画の世界ですね。

部分的には優れたシーンもあるのですが、全体的にみるとバランスが崩れています。例えば、ラストの殺陣は、西部劇のように時次郎がいろいろな手を使って助五郎一家を一人一人倒していくのですが、最初の方では、助五郎一家をアッというまに峯打ちでやっつけているんですよ。強さがシーンによって変わるというのは、考えものですね。

 

 

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