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私の愛情の対象A


@では私の愛してやまない父親についてかきましたが、 今回はその父親の産みの母親であるおばあちゃんについてかこうと思います。
さい頃、私はおばあちゃんが嫌いで嫌いで仕方ありませんでした。 みなさんは「ヤヌスの鏡」というドラマをみたことがあるでしょうか?主人公の女の子(杉浦幸だったかな、なつかしいですね)のおばあさんというのが 恐ろしく厳格な人で、おばあさんにいたぶられ続けた彼女はものすごい2重人格となるのですが、そのおばあさんのような人でした(ほんとに/笑) 私が変なのは、おばあちゃんのせいかもしれませんね(おい)ただ、私も高校からは実家を離れてあまり干渉されることもなくなったせいか、 今ではそういうことがとても懐かしく思えます。おばあちゃん自身も、年をとってそういうキツさが弱くなってきたせいもあるのでしょうね。
ちのおばあちゃんは年々体は小さくなっていくし、 細くなっていくような感じなのですが、なぜだか食欲だけは年々すごくなっていってるようです。 食べっぷりがものすごいです。半端じゃないかも(笑)おばあちゃんは、ご飯をたくさん食べた後、必ずお菓子をくすねて自分の部屋に戻るのですが、 そのくすねる量が多いです(笑)来客用のお菓子がなくなってしまうので、 母親もあまり食べられないように、おばあちゃんの手に届かない、少し高い位置にある棚にしまうことにしているのですが、 おばあちゃんにはまるで通用しません。おばあちゃんは高い位置にあるお菓子は、杖でひっかいて、床に落としてから取り出します。 ときどき、封のあいた袋もあるので、お菓子が袋から飛び出して床に散らばることもありますが、 それはおばあちゃんの目には見えないようで、目的のお菓子を手に入れるといつもそのままにして立ち去ります。 (注:@)仕事から帰ってきてそれをみた母親はいつも、「んまぁ〜っ!!」っと絵にかいたような悔しがり方をしますが、 私は直接被害を受けるわけではないせいか、おばあちゃんが次はどんなことをやってくれるのだろう?とちょっと面白かったりもします。 ごめんね、ママ。
@杖をあやつる。



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すねたお菓子を、おばあちゃんはすぐ食べてしまうわけではないようです。 一度、おばあちゃんの部屋で親戚のおばさんと私とおばあちゃんの3人でなにかお話をしていたことがあるのですが、 私が何かお菓子でももってこようかなというと、おばあちゃんはにこっと笑い、「イイモノがここにあるから食べるといいよ」といい、 おばあちゃんの背もたれにしているクッションの後ろから、 なにやらお菓子を取り出しました。そんなところに隠しもっていたのか!と思ってとても感心してしまいましたです。 (注:A) ちなみにソファにはまだまだたくさんのものが隠されていて、お菓子の他に甘納豆(笑)やオレンジやバナナ(!)なんかもみつかりました。 すばらしい。
Aいざ(?)というときのために。



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んなおばあちゃんも、脚を手術して以来、思うように 体を動かすことができません。転んだりすると起き上がることもできません。 おばあちゃんは転ぶと泣きます。うちのおじいちゃんは元気ですが、それでもおばあちゃんよりさらに年をとっているので、 やはりおばあちゃんの体を抱えたりだとかそういうことはとてもできません。ただ、声だけは異様にでかいです。 おとなりのうちまで聞えるんでは?と思うくらい。 なので、おばあちゃんが転ぶと、おばあちゃんの泣き声とおじいちゃんの私を呼ぶ大声が重なって 我が家はすごいことになります。2階で寝ていても、私は飛び起きてしまいます。 いちど、下で大騒ぎしているのでまたおばあちゃんが転んだのかな?と思って 下に降りたら案の定、おばあちゃんが転んでいてその隣におじいちゃんがどうにもできずに座っていたのですが、 さらにおばあちゃんの足元には大きな幸水梨がひとつ転がっていました(笑) (注:B) どうやらこの梨をもって部屋に戻る途中、落としたようです。拾おうとして転んでしまったようですね。 もう、かわいすぎる。ほんとにかわいいです、うちのおばあちゃん。
B梨に足元をすくわれる。



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んなとてもかわいいおばあちゃんの誕生日は10月21日です。天秤座のB型です。 最強かも(謎) 去年はついに88歳を迎えることになりました。すごいですね、米寿です(笑) その2日前の日曜日は、私の実家のあたりではお祭りがあって、 ちょうどおばさん夫婦とおじいちゃんと私の両親でおばあちゃんの誕生日の御祝い?をしました。 その日はおばあちゃんも少しお洒落な洋服を着て、そして手作りのお寿司を「おいしいおいしい」といってあのすばらしい食べっぷりでたくさん喜んで食べました。 その後、出歩けないおばあちゃんは家でお留守番で、おじいちゃん達はみんなでお祭りにいきました。 おばあちゃんの大好きなおまんじゅうをたくさん買って帰ってきたおじいちゃんが、一緒に食べようとソファで寝ているおばあちゃんに声をかけると、 おばあちゃんはとても静かに眠ったまま動かなくなっていました。 心臓麻痺だったようです。けれども、不思議なことにはおばあちゃんは横に倒れるわけでもなく、まったく苦しんだ様子もなく、 お洒落なその格好のまま、 いつものようにソファにもたれかかったまま動かなくなっていました。 眠っている最中だったせいなのか、苦しみはまるで感じなかったのかもしれません。 大好きなお寿司のことでも思っていたのかもしれないですね(笑)

あまりにも突然すぎて、おばあちゃんの死の知らせを電話で聞いたとき、 私にはそのことがまるで実感できませんでした。悲しいという気持ちも起こってきませんでした。 お葬式のときも、棺の中のおばあちゃんをみたときも、まだ私はぼーっとしていました。 お父さんもお母さんもおばさん達もみんな泣いていたのに、私はなぜかずっと涙も出てきませんでした。 自分が悲しいと思っているのかさえよくわかりませんでした。 でも、いつもおばあちゃんに怒鳴ってばかりいたおじいちゃんが 棺に釘を打つときに おばあちゃんの顔を覗き込むようにして「さようなら。」といったとき、 私はおばあちゃんが亡くなってからはじめて泣きました。 出てきた涙は全然とまりませんでした。

たまたま偶然だったのですが、私は10月10日の体育の日の3連休に実家に戻っていて、 例のごとくおばあちゃんのものすごい食べっぷりを目の当たりにしていたばかりでした。 そのときには高校の寮にいる弟も実家にたまたま戻ってきていて、何年かぶりにひさしぶりに家族が揃ったときでした。 その10日後に、おばあちゃんは突然に亡くなりました。 これ以来、私は人の死というものがけして偶然ではないのだということ、なにか不思議な力が働くんだと 本気で信じています。愛すべきかわいいおばあちゃんは、 最後に最高なエピソードを残してくれたように思います。 私の憧れかもしれません。




【仏壇に梨を飾る私。】

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