わたしのページ 第8章 |
国連の 美人ガイド
花形ニューヨーク航路は 高速船 H丸 で快適な航海が続きました。
横浜から北米西岸、メキシコ、
パナマ、カリブ海を経由して
北米東岸の最終港
ニューヨークは、自由の女神に
見守られイーストリバーサイドに入港します。
1963年Mar.−1964年Jun. ニューヨーク航路
ひゅうすとん丸 9257総トン ブルックリンの岸壁から
地下鉄で巨大な摩天楼で有名な中心街タイムズスクェアで下車し、
巾4キロ、長さ20キロの細長い島マンハッタン区を歩き回りました。
一番先に行ったのは102階のエンパイアステートビルでした。
最近知りましたが、この有名なビルは、
奇しくも私の生まれた昭和6年に建てられ
その時は32年目、そして私は32歳でした。
1963年(昭和38年)のことです。
ロックフェラービルから見たエンパイアステートビル
102階の頂上に立った感動は、私の人生に大きな影響を与えました。
現在、高層ビルは珍しくありませんが、昭和38年当時の102階です。
そしてロックフェラーセンタのRCAビル等など屋上展望台からニューヨークを
一望し、素晴らしい眺めを堪能し、私はニューヨークが大好きになりました。
ブロードウェーからウェストサイドまで地下鉄ブロードウェー急行に乗って
南へ下がり北へ上り、アスファルトジャングルを日夜さまよい歩いて,
マンハッタンの街まわりに私は完全に魅了されました。
私にはもう一つの大きな楽しみがありました。
イースト・リバー河畔に建つガラス張りの
建物はお馴染みの国連本部です。
当時1$(360円)払うとガイドが夫々の国の言葉で、
1時間近く国連本部内の主なところを見せてくれました。
ガイドは各国から選り抜かれた才色兼備の麗人です。
夫々のお国のコスチュームをまとった美人、美人のオンパレード。
国連ビル 水色に 「UNITED NATIONS」 と白い文字の入った腕章を巻いて、
颯爽と美人ガイドが登場、私達は見学コースに入りますが、
日本語を希望した私達の前に現れたのは華やかな着物姿の日本女性、
「国連の機構は・・・・」と日本語で説明してくれました。
私は美人ガイドに会うべく毎航海、国連ビルに足を運んだのです。
黒い髪、黒い目のうっすら小麦色にやけたスペイン美人に付き添われた時、
大きな目でニッコリと正視しながら熱心に話し掛けてくるので、
私はもう「国連の機構」などの話は耳に入りませんでした。
その顔を見ているだけで、アットいう間に見学コースを一周してしまったのです。
アセンブリィ・ビル内は黒人の案内ガールやエレベータガール、中国服の女性、
独特の民族衣装のアフリカ女性、サリーをまとったインド女性、
金髪碧眼の北欧女性と、世界中から集まった美女のファッションショーです。
地階には各国民芸品の即売店が並んでいます。国連切手を売る郵便局、
ここはニューヨーク州ではなく国連領土内ですから、国連ビルのポストへ
投函すれば切手としての効力を表し、一歩マンハッタンに出れば、
国境を越えて、とたんにこの切手は通用しなります。
国連本部ビルはいっも一面薄い緑色に輝いて、広場のポールには
当時、百本を越える加盟各国の国旗がABC順に掲揚されていました。
私は国際都市ニューヨークを象徴する国連ビルを訪れる度に
多国籍の美女と握手して ”世界は一つ” と感じたのです。
( 次回は 少女と共にクリスマス )
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