わたしのページ 第12章 |
濃霧のテームズ河畔
東京オリンピック、東海道新幹線の開通を前にして高度成長が続いていた
1963年(昭和38年) 神戸を出港した L丸は
欧州航路に就航しました。 3ヶ月余の航海です。
基隆、香港、シンガポール、から マラッカ海峡、インド洋を横断して
紅海に面したアデン、ジッタ、 スエズ運河から地中海に入り
エジプトのポートサイド、アリキサンドリア そして イタリアのジェノア
フランスのマルセーユ・スペインの
バルセロナ・ポルトガルのリスボン。
多彩な国と港に寄港しながら、
ドーバー海峡を横切り、
ロンドンに向かいました。
欧州航路 ろんどん丸 10,649重量屯 1953年建造
VHF無線電話で緊張した通話を交わしながらパイロットは慎重に操船します。
欧州航路L丸は濃霧のテームズ河を静々と遡ってロンドンに入港しました。
ロイヤル・アルバートドックに停泊した船から、真赤な2階建バスは古めかしい
街をひっくり返りもせず私を中心街、トラガルファー広場に連れて行ってくれました。
ネルとソンするぞと起ちつづける勇将ネルソンの銅像が静かに見下ろしています。
午前10時から衛兵の交代があると聞いて、
バッキンガム宮殿に急ぎました。
壮麗なバッキンガム宮殿を背景にした
衛兵交代の儀式は生きた童話の世界です。
オモチャの兵隊さんを思わせる
馬の毛で作った黒い大きな帽子、真赤な制服、
それが軍楽隊の吹奏につれて動き出します。
宮殿の正門に立つと王室を愛する
イギリス国民が、バルコニーに立つ
女王の姿に感激の手を上げるシーンが浮かぶます。
ハイドパークを通って戴冠式が挙行されるウェストミンスター寺院へ・・・ 。
ここには最も偉勲の高い人々が埋葬されているそうです。
テームズ河畔、議院政治の範を世界にもたらしたと言う国会議事堂、
正面は有名なビック・ベン時計台、
上院・下院と横に長いゴシック風の豪華な建物です。
”霧のロンドン・ブリッジ” の歌で
おなじみのタワーブリッジを見ながら
イギリス歴史の古い跡をとどめた
ロンドン塔を訪れました。
千年近い歴史を持っ中世の城で、
暗黒時代には政治犯の収容所に
使われ有名な王様、政治家が
閉じ込められたり、首をはねられたりしたと聞きました。
映画「哀愁」の一シーン、ウォーターロー橋の近くに随分古びた船が繋がれていました。
それはキャプテン・スコットが南極探検に用いた船でした。
古いものが大切に残されているロンドン・・・夜は華やかなネオンサインの
多いのと、エロスの像で知られているピカデリーサーカスに行きました。
このロータリーは噂どおり、さまよう夜の天使が多く・・・・
その誘惑に乗る暇もないくらい、ロンドンには英国の歴史が残されていて
見物する所が多すぎました。世界経済のセンターと言われるロイヤル・エクスチェンジ。
その近くにあるグリニッジ天文台の真上を通る経度が0度であることでも
判るように世界の中心はここだったのです。
グリニッジ標準時、ここの地方時GMTを全世界の地方時の基本としたのです。
英国の貨幣単位ポンド、シリング、ペンス、どれも十進法でありませんから
換算が不便でした。 ポンドが世界経済を支配した時代もありましたが、
現在、世界はドルとユーロにとって代わったようです。
しかしつり銭に随分磨り減った1ペニー貨をもらって、ふと見ると1861年と
刻印されていました。 約1世紀も前の銅貨です。
日本で百年も前の硬貨が通用するでしょうか・・・・。
これが平気で使われている大英帝国の偉大さに私は改めて敬服しました。
ロンドンから北海を横切り、
オランダのロッテルダム、
ベルギーのアントワープ、
西ドイツのブレーメンに寄港して、
エルベ河を遡ると
世界の船員に喜ばれている 欧州航路 はんぶるぐ丸 11,496重量屯
ウエルカム・ポイントがあります。 1963年
入出港する船舶の国旗を掲揚、国歌を斉唱し、夫々の国の言葉で歓迎してくれます。
左舷側の木陰のハウスのスピーカーが日本語で呼びかけてきた。
「 日本の皆様ようこそ・・・このハンブルグへ・・・ 」
ポールに揚がる 白地に赤の日の丸が 目にしみる!!
そして「君が代」が流れる。
ジーンと感動が体を走るうちに 欧州航路の終点、西ドイツの
ハンブルグに入港した。 もう春も近いと言うのに 霧が深い。
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