第20章 米国を襲った中核同時テロ、新しい戦争のはじまり、世界金融の不安等など 21世紀は激動の時代になろうとしている。20世紀は戦争の歴史だった。 私の生まれた1931年に満州事変が勃発、 1894年〜1895年 日清戦争は朝鮮半島の支配をめぐり清(中国)との戦争 1904年〜1909年 日露戦争は日本海海戦で勝利したロシアとの戦争 1937年〜1945年 日中戦争/日華事変、私は6歳だった。 1941年〜1945年 太平洋戦争に突入、私は10歳 小学4年だった。 私が14才 中学2年の時に終戦、やっと平和な時代がきた。 以来朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争そして冷戦の終結 長い長い戦争の歴史も終結かと思われたが・・・・・・新しい戦争が始まりそうだ! 私が社会に出た頃1950年の日本は敗戦の痛手で混沌としていた。 1956年度の経済白書の冒頭の文字は有名な「もはや戦後ではない・・・」 高度成長へ・・・戦後の奇跡の復興を遂げた日本の家庭では三種の神器の 幕が開いた。 しかし国民の多くは働き働く毎日だった。 戦後が終わったと実感したのは、 1964年の東京オリンピックと新幹線の開通ではなかっただろうか。 私の人生は、少年時代までの戦争の歴史から・・・復興に向けた日本の 高度成長と重なることが出来た歩みであったが・・・・・定年そして老年期に入り 日本はバブルの崩壊そして景気は下降線で経済は崩壊、 痛みを伴う構造改革が進められようとしている。 世界は不幸なことに暗雲がたちのぼる新しい戦争の時代を迎えようとしている。
膀胱がんと肝臓がん、2つのがんを抱え再発と転移の不安を抱いて、 2001年夏の検査は無事で、12月まで普通の生活OKとの診断が出た。 多くの人の励ましと祈りに支えられての結果であり、感謝の気持ちで一杯です。
リハビリを兼ねて、横浜の・・・客船”氷川丸”を見学した。 1930年建造され戦前・戦中・戦後に活躍した凛々しい船は観光客で一杯だった。 山下公園には 赤い靴はいてた女の子 の銅像があって 唄を口ずさみ、みなとみらい21の美しい海の夕焼けを眺めた。
1930年建造のシアトル航路 氷川丸 12000 GT 海を見てる赤い靴の女の子 横須賀の・・・戦艦”三笠”を見学した。 丁度100年前の 1902年生まれで日本の歴史を動かした”三笠”は良く保存されており、 1905年”敵艦見ュ”の信号を受信した 36式無線電信機が展示されていた。
36式(マルコニ―式)無線電信機と 皇国の興廃この一戦にありと打電した電鍵
2001年9月 日露戦争旗艦”三笠”
長年の夢であった立山・黒部ダムの アルペンルートを はとバス で観光した。 そして、がんと闘った 2001年 私の夏の思い出」は 古希を前に 少し明るくなった。
2001年9月 立山・黒部ダム
がんからの生還、うれしくて いいはなし が自分中心になり ゴメンナサイ 過ぎ去った生活を享しむということは、人生を二度生きることだ ( ローマの詩人マルティアリスの言葉 )
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