余床町路傍(瀬戸市余床町) 瀬戸MENU

舟形高38p 一 面ニ臂 坐像

   
青面金剛と並んだ馬頭観音(右)           車庫の横に簡素な祠が    .

  余床の集落の入り口
曽野から余床川に沿った一車線の細い道をたどると,余床の集落に南側から入ります。途中,秋葉山の常夜燈を過ぎて100mあまり進むと,民家が見え始めますが,その集落の入り口あたりの道の右側に,角材をボルトで組んだ簡素な,しかし頑丈そうな祠が見つかります。この中に馬頭観音がおさまっていました。

   一面ニ臂の坐像
舟形の高さが38pと比較的小柄な馬頭観音で,一面ニ臂の坐像です。舟形から大きく浮き出し,脚などは丸彫りに近いような彫り方です。宝冠は大きく,顔の長さの二倍以上ありそうです。馬頭は比較的立体的に掘られていたようです。「ようです」とういうのは,風化が激しく細部が殆ど見えないため。顔も磨耗が酷いのですが,鼻や眉はなんとか見て取れます。なかなか凛々しいお顔をしていたのでは…と思われます。手は普通の合掌で,脚は片膝を立てた輪王座
(りんのうざ)ではなく,一般的な結跏趺坐(けっかふざ)です。尊像の両側には,明らかに銘があったことが伺われますが,残念ながら読み取ることはできませんでした。右の一番上は「天」でしょうか。そうだとすると,天明(1781〜1789)か天保(1830〜1844)の造立かもしれません。

   隣りは青面金剛
左に立つのは庚申信仰に用いられる
青面金剛でしょう。一面六臂の立像で,足元には鶏と耳をふさいだ「聞か猿」が彫られています。弓や鉾の他に,奇妙な花のような持物を手にしています。そういえば,品野町の全寶寺にも青面金剛がありました。瀬戸でも庚申信仰が盛んに行われていたのでしょう。

   秋葉山の常夜燈
さて,秋葉山の常夜燈の後ろ(東側)に,3体の石仏が並んでいます。左から「如意輪観音」「聖観音」「阿弥陀如来」です。注目すべきなのは,中央の聖観音でしょう。舟形の高さ43pほどの石仏で,観音様らしい柔和な表情が見て取れます。その舟形には銘がはっきり刻まれています。右側には「右 旭二里 文化九申七月十二日」,左側には「左 本 □□□」と読むことができました。文化9年は1812年。道標仏があるということは,そのころは往来が多かったのでしょう。馬頭観音が置かれた曽野⇔余床⇔下半田川の道筋は,物流のルートだったのかもしれませんね。ちなみに如意輪観音の銘は「安永三年」(1774)です。

ところで,「旭」とはどこでしょうか。尾張旭市の前身の旭村が成立したのは明治39年(1906)ですから,100年近く後の話になります。どなたかご存知の方,お教えくださいm(_ _)m

  
【左】左から如意輪観音・聖観音・阿弥陀如来      【右】秋葉山の常夜燈  . 

※ 瀬戸の山上様から情報を頂きました。