中品野の街 (瀬戸市中品野町) 瀬戸MENU

@分岐の祠:舟形高42cm 一面二臂 坐像 持物(輪宝・未開蓮)
A分岐の祠:舟形高44cm 一面二臂 立像
B三叉路祠:舟形高42cm 一面二臂 立像
C国道の南:舟形高51cm 一面二臂 立像

  
【左】@の坐像とAの立像       【右】祠のある街道の分岐点

   合掌しない坐像
品野の交番から国道に沿って300mほど西に進むと,いかにも新道と旧道の分かれ目らしい分岐があります。その分岐に,2体の道標仏が一つの祠に並んでおさまっています。左の坐像@は舟形の高さ46cm。磨耗が激しく,一見頭を丸めた僧形のようですが,よ〜く見ると頭の真上に馬頭のような膨らみがあり,耳があるようにも見えます。馬頭観音としては珍しく,合掌をしていません。左の掌には輪宝をのせているようです。右手にも何かのせているようですが,識別できませんでした。左肩(向かって右)から,まるで未開蓮のような,先に膨らみのある棒状のものが突き出ているのも,馬頭観音としては珍しいですね。造形は非常に稚拙な感じです。光背には「左かさわら ぜんこを志゛道」「右かきの いいだ道」と刻まれています。

   これも馬頭観音?
右側の立像Aは何でしょうか。こちらは柔らかな材質のためかさらに欠落や磨耗がひどく,細部を見ることができません。舟形の頂部が欠けてしまい,頭部や顔面もほとんど失われています。一面ニ臂で合掌していますから,聖観音や十一面観音の可能性もありますが,全体の雰囲気が尾張旭市南原山の馬頭観音に似ていなくもありませんし,品野に見られる道標仏は一面ニ臂の馬頭観音ですから,これもそうした例の一つかもしれません。光背には「左半田川」「右いひだ」と刻まれています。もとはどこに置かれていたのでしょうか。もう少し西の,交番のあたりだと説明がつきます。この祠から左に行くとBの馬頭観音へ,右に行くとCの馬頭観音を経て,“其之六”の馬頭観音がある歩道橋へと至ります。

  
【左】祠の中の立像B          【右】三叉路から南を望む   

   傾いた祠の中に
上記の分岐から左の方,つまり北東へ進むと,100mほどで三叉路に出会います。ここにも小さな祠がありました。高さ42cmとやや小ぶりな馬頭観音Bが,少し左に傾いて納まっています。祠の痛みがひどくて右に傾いているため,馬頭観音は壁にもたれる格好になってしまっています。馬頭は額というより頭頂にあり,もともと浅めの彫りだったようです。お顔はややつり目気味で,口は“へ”の字に結ばれています。目と口とを頬の線が繋ぐ形で表されています。衣の裾がめくれて,細い足首が剥き出しになっているのは,馬頭観音としては珍しいのではないでしょうか。足は小さく,まるで馬の蹄のようです。光背には向かって右に「牛午」左に「安全」と刻まれています。馬借や車借稼業の思いが込められているようですね。ところで,白岩の氏神社参道の馬頭観音の1体にも,「牛午安全」と記銘があります。これは文久元年(1861年)の建立ですから,およそ同時代のものかもしれません。

撮影をしていたら,地元のお年寄りが話し掛けてくれました。「このおやしろを直してくれていた人が亡くなってまったで,傾いたまんまだわ」「昔は辻々にあったようやねぇ。南行ったショウヘイさんのとこにもあるやろ。昔は大きな道だったんやろか」「前はずっと西の,今はお好み焼き屋になってるとこにもあったんやが,どこいったんやろねぇ」「この仏さんは明治の頃からあるんかなぁ」祠の両側には榊が供えられ,今も信仰が続いていることを教えてくれました。

  
【左】赤津への道標物C  【右】建物の横にひっそり佇む

   “あかず”への道標仏
最初の分岐から国道に沿って進むと,コンビニエンス・ストアの東に八剱社へ向かう道があります。この道を南へ数m入った東側の壁際に,やや黒ずんだ馬頭観音Cがひっそりと立っています。舟形の頂部は欠損しているものの,51cmという高さはわりと存在感がある…はずなのですが,隣に大きなプロパンガス・ボンベがあるため,こじんまりと見えてしまいます。お顔は磨耗が酷くてよく分かりませんが,目は釣りあがっているように見えます。頭頂の馬頭も,やっと輪郭が分かる程度です。それに対して衣は比較的よく残っており,優雅な表現が見てとれます。舟形の向かって右には「右 あかず道」左には「文久元酉六月吉日」と刻まれています。

八剣社の東を抜けてさらに南へ行けば,現在の県道22号線に当たりますから,そのまま進めば瀬戸市の赤津町。昔から陶磁器の里として有名ですから,道しるべがあって当然でしょう。するとこの馬頭観音は,信州飯田街道と赤津への道の分岐点,つまり(ほぼ)現在の場所に昔からあったことになります。もちろん家屋の建て替えや道路の改修に伴って,分岐からいくらかは移動したのですが。文久元年(1861)は,上記のように白岩の氏神社参道の馬頭観音の1体と同じ年の建立です。このあたりは,幕末の建立が割に多いようです。基壇には1円玉が2枚置かれえられ,マリーゴールドの花が供えられていました。

※ @Aは中品野歩道橋から分離,BCは瀬戸の山上様から情報を頂きました。