片草公民館脇(瀬戸市片草町) 瀬戸MENU

@舟形高45cm 一面ニ臂 立像
A舟形高43cm 一面ニ臂 立像

    
馬頭観音@          馬頭観音A

   公民館のすぐ脇に
片草の薬師堂を見晴らす国道ぞいに,片草公民館があります。そのすぐ北側に南を向いて,2体の馬頭観音が大きな石碑(銘文不明)や津島神社の祠とともに立っています。基礎のブロックの古び具合からは,この状態に置かれるようになってからも,ずいぶん経っていることがうかがわれます。この馬頭観音たちも,このあたりの例にもれず,信州飯田街道に沿って造られたのでしょう。尾根伝いの旧道から管理しやすい現在の場所に移されたのでしょうか。それとも,もともと片草の集落に置かれていたのでしょうか。

   四百年前の馬頭観音?
行儀良く並んだ馬頭観音のうち,左の馬頭観音@は道標物です。舟形光背には「右 山道,左 善光寺道」と刻まれています。もちろん左へ行く道が信州飯田街道です。注目すべきは「右 山道」の右から下にかけての文字です。崩し字や風化のせいで読みにくいのですが,それでも「□□元和年 安全と読めないことはありません。元和(げんな)は江戸時代の最初期になります。元和元年は1615年で豊臣氏が滅びた大阪夏の陣,元和9年には3代将軍家光が即位するという時代です。この読みが正しいとすると400年近くも前のものということになり,このあたりの馬頭観音としては,最も古いもののひとつでしょう。ちょっと古すぎる気がしないでもありません。せいぜい「元治」が妥当なところでしょうか(元治元年は1864年,元治2年は慶応元年になる)。前半部分はまったくの読み違いかもしれません(^_^;額の馬頭はずいぶん磨り減り,一見地蔵風ですが,良く見ると馬頭の耳を識別することができます。菩薩面の多い一面ニ臂像には珍しく,目を吊り上げた怒りの表情です。

   もう一体も馬頭観音です
一方,右の馬頭観音Aの馬頭は比較的はっきりと,立体的に残っています。お顔は下膨れでなんとなく穏やかな表情に見て取れます。もっとも目のあたりは磨耗し,よく分からないのですが…。全体にずんぐりしている上,着物のすそがやや短く,足がはっきり見えることもあって,なんだかいたずらっ子のようでもあります。舟形の向かって左の銘は「馬頭観音」。これは簡単に読むことができました。しかし右側の方は,文字が刻まれていることはわかるのですが,残念ながらはっきり読み取ることができません。また後ろの石碑も,まったく読むことができませんでした。

Newこの右側の銘,「右品□□」と読めました。とすると信州から尾張に向かう道で,「品野」を示す道標仏という推理が成り立ちますね。つまり「右品野道」。もし「左」があったとしたら,それは「山道」なのでしょう。(2002/01/01)

※ この馬頭観音は,瀬戸の山上様から情報をいただきました。


馬頭観音と津島神社の祠,石碑