教春山本泉寺(瀬戸市矢形町) 瀬戸MENU

舟形高40p 三 面八臂 坐像 持物(輪宝・未開蓮・鉞斧・開蓮)

  
【左】ぎょろ目風の馬頭観音             【右】最後列の一番左が馬頭観音     .

   観音巡りの中に
海上の森へと向かう広い道の北側に面した山口病院。そのすぐ西の道を北に向かうと教春山本泉寺があります。弘安6年(1283)の開基という古い歴史を誇るお寺です。観音堂と鐘楼の間を墓地の方へと向かう小道の北側に,40体近い石仏が集められていました。殆んどが千手観音や如意輪観音,また聖観音で,三十三箇所巡りの番号が刻まれているものが多いのですが,その中に1体,明らかに馬頭観音と分るものがありました。3列に石仏群の一番後ろの列,その一番左に置かれたやや小ぶりな石仏がそれです。

   ちょっとユニークなお顔です
舟形高40pという小ぶりな像ですが,仏様そのものは舟形に対して大きめに彫られています。舟形の先端と脚部が欠損してしまっているのは残念です。左右のお顔は大きめで,三つの顔に大きな宝冠がかぶさっています。宝冠と左右の顔が繋がって見え,まるでヘルメットを被っているようです。正面のお顔は一見ぎょろ目。閉じた目の目蓋が膨らんでいるようにも見えますが,パッと見にはユニークな表情です。唇は小ぶりながらぽってりと厚めに表現され,ぎょろ目?と合わせてエキゾチックは雰囲気を醸し出しています。やっぱり変わっていますね,このお顔は。(向かって)左のお顔は細い線彫りで,目を閉じて表されています。右ははっきりとした彫り方で,目や口元は正面のお顔と同じ表現です。

正面の手は典型的な馬頭印を結んでいます。欠けてしまった脚部は輪王座でしょうか。右下の腕もかけてしまっていて,持物も分りません。宝冠の馬頭は上左の写真からも分るように,額の張り出した立体的な表現です。耳は舟形に刻まれています。(向かって)右肩には衣の一部の「条帛(じょうはく)」が見られるように,全体に非常にリアルで丁寧な造作です。一部が欠損し,菌類に覆われているため古びて見えますが,意外に新しい時代のものかもしれませんね。

  不空羂索観音
3列並んだ石仏のさらに後ろに,右の写真の石仏がありました。全体の雰囲気から「あっ,馬頭観音だ!」と思ったのですが,いくら探しても馬頭らしきものがありません。磨耗は激しいながら厳しい表情が見て取れる舟形高47cmのこの像は,不空羂索観音のようです。持物は(向かって)左上から宝剣・鉞斧,右上から輪宝・水瓶そして羂索ですから,可能性は高いでしょう。正面の手は普通の合掌で,脚も衣に覆われているものの,結跏趺坐と考えられます。腕の表現はやや稚拙ながら,立体感のある生き生きとした彫り方です。舟形の右側には「文政三年四月吉日」左側には「□□」と銘が刻まれています。文政3年は1820年。文化文政といえば化政文化,江戸で町民文化が栄えた時代に,ここ瀬戸で道しるべとして建立されたものなのでしょう。

民間信仰の対象としてあちらこちらに散らばって置かれていた観音像を,道路の整備などに伴って寺院に集めるのは近年の流れですが,これらの石仏もきっと何らかの由来のある場所から,ここ本泉寺に移されたのでしょう。名古屋からこの辺りへ向かう「山口道」もありましたから,馬頭観音もどこかの路傍に置かれていたものなのでしょうか。(2004/08/15取材)