「私のPT(理学療法)とOT(作業療法)」

PT(理学療法=運動機能訓練)
 
 @平均棒につかまり歩行の仕方・立位バランスの訓練
 A車椅子から離れアキレスケン伸ばし
 Bマットに両足膝で円形に歩行
 C訓練マットにつかまり座りから立つまでの左右の運動
 D電動10分間の歩行訓練
 E階段登り下りの運動
 F車椅子から離れ杖を使用せず約50b四方の歩行訓練(約5回位)

  (車椅子を止めて速度は遅いが、自分の足で歩いた。「歩けた」
   実感がひしひしと伝わってきた。)

OT(作業療法=知能訓練)
 
 @右手に力が入らないので左から右に移す作業
  (最初は時間がかかったが慣れてきて普通の人に近くまでなった。)
 A45度位に立っている板を上下に擦る作業
 B小豆の入っているビンを皿に空け、箸で小豆をビンに戻す作業
 C小豆が出来るとピンを箸で皿に移す作業
  (ご飯や料理がスムーズに食べられるために)
 D皮の状差し作り自分の好きな絵を書いて着色
 E額に絵を画き着色したタイルを壊しボンドで張り付け
  (D・Eは約1ヶ月位かかった) 

「遠方より来てくれた人」

会社から会長とA本部長が来てくれました。丁度PTが終了しバッタリ、エレベーターで会い会社の状況等を話して行きました。往復4時間位かかったと思います。
K本部長は食品団地からの預かりものでわざわざ来届けてくれ状況等を話して東京にいる息子さん所に向かいました。


Kさんは家内の友達で、妹さんが宇都宮に住居していて時間を作って良く来てくれ、私の洗濯物を洗濯し晴天の日は持ってきてくれました。
Kさんと妹さんには大変お世話様になり感謝致します。

大学と病院の中央に桜並木で埋め尽くされて、私の入院した頃は花も終わり青々した若葉が茂っており、あちらこちらに栄養たっぷりの毛虫が木に集っていました。
Kさんは毛虫が大嫌いで当初何故か顔色が悪く私の車椅子を押しながら家内と話していたが、目の前に落ちる毛虫を見「声を張り上げ」病院に飛び込み毛虫がいなくなるまで来なかった記憶があります。

たまにKさんの車でKi先生も来てくれ、書道の先生です。
遠方からは広島県のSさんベンチでアイスクリームを食べたのが思い出されます。近くに居住しているMuちゃん旦那様と一緒に来てくれました。
Aさんは帰りに雨が降っていましたが、電車に乗り遅れ駅で家内と一緒に2時間位待ったようです。皆さん元気付けてくれ感謝にたいません。


「食べられた」

8月の中旬頃木曜日診察が終わって、医師が紙コップに氷を入れて小さくし私に「飲んで見てみ」、暫く喉を見ていたが、もしかすると食べれるかも知れない、助教授に(主治医)に報告したようです。「試してみたら」多分助教授の一言だと思います。
「食べられる」医師も見ていたが目から熱いものが流れ落ちた。


翌日から鼻から入っていた流動食のクダを取り、米粒が数えることが出来るお粥を注ぎ込んだ。約1時間かけて食べ徐々にお粥が固くなって、時間はかかるが1ヶ月半位で普通食に成りました。


助教授の決断と医師の試みが「食べられる」つながったと思え感謝にたえません。

「いよいよ獨協医科大学病院を退院」


11月24・5日は丁度大安で月曜日なので弟が休みであった。
    11月下旬ともあって落ち葉がひらひらと落ち

今まで気づかなかったが、正門を出るとポプラ並木が黄色に色づき
絵に画いたようで、まるで私の退院を祝福しているように−−。

       綺麗なので退院記念に写真を撮った    




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