直腸癌:手術当日以降 15年1月27日
データを見ると、直腸ガンが37.9%ともっとも多い、次がS状結腸34.3%となっている、
私は一番多い、直腸ガンでした
直腸は骨盤内の深く狭いところにあり、周囲には泌尿生殖器があり、
縫合は「自動吻合器」という筒状の機械を使って縫合するのだそうです
15年1月27日
手術の日の準備
1時45分、「手術室から連絡がありました、ご家族のみなさん、ロビーでお待ちください」で、
早速裸にされて、鼻から胃の管を入れて、筋肉注射、名前を書いた腕輪をして、手術室に出発、
天井からすごく明るい電灯が点いている、横になってください、で痛み止めを背中に注射されてからは、
5時間ほど全く記憶がありません
この一番下に注射して、管を上に回して、ペットポトルに入った薬を首からぶらさげています
これを4日間使用します、この痛み止めの効果はよろしいようです
病室に帰る途中の寒かったこと
「岡田さん、うまいこといったよ、安心して」と先生のはげましの声
人工肛門にならなかったので、一安心
こちらも大声で話をしていたら、「あまり話をすると疲れますよ」というので、眠りました
その他の記憶はさっぱりありません
手術の時間は、約5時間、
その後の経過は極めて順調、術後15日で退院することになりました
ところが、2月6日、問題発生
切り取った細胞を検査に出していたら、これの結果が判明した
ステージ分類で リンパ節転移のあるもの 三期であることが判明
治療方法として、3つある
1、そのままにしておく
2、こうガン剤を飲む
3、点滴治療をする
この3種だが、岡田さんが50才だったら、3、を奨めるが、75才だからどうしますか、
このままほっておいても、再発しないかもしれないし、再発するかもしれない
ということで、点滴、毎週1回点滴にきて、3週間して1週間休み、これを半年ほど繰り返す方法で、
酒は飲んでもよろしいというので、これをすることにしました
国立ガンセンターのHPを見ると、まだガンの治療については、抗がん剤の有効性を再検討する
臨床比較試験の開始が待たれていますと出ています
15年1月28日
術後1日目は、「ベッドに座ってください」、「ベッドの横に立ってください」、
これにはくたびれます、
鼻から胃袋に管が入っている、両手は点滴中、腹にはドレーンの管が、チンチンには尿管が、
背中には痛み止めの管が(上記画像添付)、口には酸素マスク、
足にはエコノミー症候群予防の為の機器がとりつけられていましたが、これは外します、
戦時中の戦闘機の搭乗員があちこちに電気コードをぶらさげていたのを思い出す様な姿です
自分一人で起き上がっての作業、看護婦さんは、全く手をかしてくれません
「痛い痛いと言って動かなかったら、寝たきりになってしまうのよ、動いて動いて」
と励ましてくれますが、なかなか思うようには動かない
親戚の人が、2年前に肝臓を手術して動かないものだから、寝たきりになっている、
こちらもそのようになったら大変だと頑張りました
看護婦さんが「痛かったら注射してください」とのこと
この痛み止めの注射が愉快な事を体験することになりました、 (この幽体離脱体験、臨死体験、空中浮泳というか、不思議な体験でした、)
この痛み止めの注射も、病院の中でも色々の意見があります
上記のように、痛い時には使ってという意見
別のは、これはあまり使うと、腸の癒着があるかもしれない、あまり使わない方が良い、
くせになるとか、患者さんが決めたらよろしい
普通は、座薬を使うのでこれは使用しません、私の場合は、直腸ガンだから、座薬が仕えないので、
この注射を使用しました、
一日に2本だけ、合計6本使用
患者の中には、痛い痛いと大騒ぎする人がいる、特に男性が駄目、女性の方が我慢出来る、
やはりお産をするからだろう、男性は痛い痛いと言って、看護婦さんの言うことを聞かず、
おくさんに当たるのが多いとか
私はその点、模範的な患者ですと褒められた
術後の熱は36.7程度であまり上がらなかった
寝ていると、時々、筋肉がピックと動くことがあります、こんなことが、
車の運転中に起こったら大変だろうな?と思ったりします
術後2日目 部屋の中を歩く
痰が出やすいように吸入をする
3日目、尿の管を抜きます、そのあと尿が出そうになったので、ナースコール、看護婦さんが、
前でしびんをもって待っている、この看護婦さんが美人、どうも目の前では出ない、頑張ってみるよ、
と言って一人で一時間ほど頑張ってやっと出ました、その後も尿はなかなか昔のようには出ませんし、
出ると痛い、やはり場所が膀胱の近くだからいろいろ少し障害が出るとHPに書いてあります
一人で、いろいろなものを引っ提げて、トイレまで歩いて行きます
術後4日目でお茶を飲むことができるが、これをゴクリと飲んだ、腹が痛くなって、脂汗がたらたら、
腸が動きだして大変なことになりました
次の日に、卵焼きが出たのでこれをそのまま食べたら、これまた大変、油汗たらたらでした
背中から入っている痛み止め取ります
5日目、ガスは出るが、便は出ない、医師は「しばらくしたら出ますよ、歩いてください」とのこと
75%は回復と思ったが、夜中腹が痛くて弱った
6日目、点滴全て終了、良かった、腕は真っ黒け、血管も最初は調子よく、点滴の針を受け付けますが、
だんだん血管自身が、否になって逃げるのだそうで、漏れるし入らないしでくたびれました
やっと本でも読む気になった
7日目、抜糸、「今日は抜糸です」と言って看護婦さんがやってきて、ガーゼを少し開けたので、
看護婦さんが部屋から出た途端、デジカメを引っ張り出して、
ホッチキスで止めたような縫い口を撮影しました、
これでヘソ出しルックは駄目になりました
全部の写真もありますが、美人のお腹ならよろしいが、じいさんの腹では面白くないので中止
この切り口は、ヘソの上からずーっと下まで続きます、リンパ節の転移が見つかったので
上の方から直腸のところまで、中を切り取りました
直腸と大腸を30Cmほど切ったのと、リンパ節転移があって、ヘソの裏側のあたりから
下まで、だいぶ切り取り整理したらしいので、食欲が無く、くたびれています
綺麗な腹の形をしていたのに、中味をだいぶ取られたから、腹の形がおかしくなりました
切除した細胞の検査の結果、がんのリンパ節転移が見つかった、この件、後日記載
7分かゆになります
7時過ぎ隣の部屋の人が手術を終わって帰ってきた、なんと最初2時間半の予定が5時間
「**さーん、**さーんうまくいきましたよ、痛いところはありませんか」
と先生が励ましていたのを聞いてこちらも当日のことを思いだしました
8日目 出血が多い、こちらは驚いてナースコールで見てもらうが、看護婦さんは、あまり驚かない
3回ほど、出血が出ておしまい、切った後に、血が溜っていたのでした
腹に入っていた管を抜いた、これで身体に付いて居たものは全部外れた
9日目
今日でガーゼの取り替えはおしまい
10日目 11時にかみさんを交えて医師と面談、今後の治療について、点滴治療をすることにした
11日目 外泊、入院のお仲間も「岡田さん、手術したようには見えないほど、元気やね」
と言われていたので、歩いて帰ろうかと言ったら、まだ駄目だろうと、
車で帰ったのが、正解、我が家に帰ったが、トイレの連続、くたびれてしまいました
まだ食欲は全く無し、飲む氣も全く無し
体重は、約2Kg減少
椿さんにも今年は行けなかった
12日目 また病院、夜中に腹が痛くて脂汗、腸が動いているらしい
相変わらず夜はトイレの連続、
13日目 小便がおかしいので、明日外来で診てもらうことにするかと思ったが、
先生がしばらく様子をみてくださいとのこと
2月10日、術後14日目 で退院
術後15日間、次の手術の患者がいなくて、無料の日当たりの良い個室に入れて良かったです
入院費用
入院手術をすると、どの程度の費用が必要か、私は40万ほど準備していましたが
14年12月25日入院、手術後 15年2月10日退院
総費用、1,549,580円、 私の出費 国保:老人20%負担 178,595円でした
手術後、個室が15日間無料だったので助かりました
2月11日 退院後毎日歩いていますが、まだ人の足のようです
膀胱が痛いのと、小便をするとき痛いのと、いつも尻に違和感があります
長い外出は出来ません
三越の上まで行って、下のバレンタイン売り場を通過するとき、くたびれて椅子に座りました
2月12日ガンを早期発見していただいた、木村クリニックに、お礼と報告に行きました
13日目:は高島屋まで歩いて行く予定です
2月24日はガンセンターで受診、その後、リンパ節転移の治療が続きます
また一杯飲めるようになるとよろしいのですが、楽しみにしています
早期発見、早期治療が大切なことを痛感いたしました
私も、もう少し早く発見していれば後の治療が不要でした
アップを止めようかと思いましたが、やはり記録なのでアップしました
右下の穴は、管を入れていた穴です、普通は術後5日で抜きますが
私の場合は、縫合不全を考慮して、8日目に抜きました
案外長いパイプが入っていました
臨死体験へ
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