太田道灌(1432−1486)

扇谷おうぎがやつ上杉定正の臣。江戸城をはじめ河越城、岩付城を築く。
文明十二年(1480)太田道灌の活躍により長尾景春かげはるの本拠日野城(埼玉県荒川村)攻略し5年間にわたる長尾景春の乱が終結する。
文明十八年(1486)太田道灌は扇谷おうぎがやつ上杉定正に相模糟屋で暗殺された。
太田道灌の暗殺を契機にして山内上杉氏と扇谷上杉氏は関東の武士を二分して全面的な武力抗争である長享ちょうきょうの乱を展開する。

  
狩りの太田道灌像
(新宿中央公園)
  山吹の里は、高田の馬場より北の方、民家の辺をいふ。昔太田持資すけなが、江戸城にありし頃、一日あるひこの戸塚の金川の辺に放鷹ほうようす。急雨に偶ふて傍らの農家に入り、簑をからんことを乞ふ。ときに内より小女でて、ことばはなく盛りなる山吹の花一枝をもって持資に棒ぐ。こは『後拾遺集』に「七重八重花はさけども山吹のみのひとつだになきぞかなしき」とある兼明親王の和歌によりて答へたるにて、いまもその才を賞し、世に伝へて美談とせり。