平塚城
豊島近義は、源義家が後三年の役(1083−1087)を平定し奥州から帰る際、「近義館」において接待した。その際源義家から鎧と十一面観音もらい家宝にした。源義家の死去の後、豊島近義が鎧を塚に埋納したので平塚と呼ばれている。