江古田原・沼袋

古戦場の範囲

新青梅街道沿いにある豊島塚によって推定することができる。東側は哲学道の北側の新宿区境にある交差点をはさんで四ヵ所あった塚が「四ツ塚」だが、この塚はとりはらわれ哲学堂側の盛土に面影を残している。西側は野方六丁目の「大塚」までで、その他「稲荷塚」、「金塚」、「蛇塚」などがある。

地名の由来

江古田
かって武蔵野台地が原野だった頃、えごの木が群生していた。この地に入植した人々はえごの木の多い原野を開拓し田畑をつくったので江古田と呼ぶようになった。

沼袋
妙正寺川は土砂の堆積で江古田川との合流地域の排水が悪くなり雨が降ると一面が沼状になったので沼袋と呼ぶようになった。

江古田と沼袋の境界にある新青梅街道