岩殿山(634m)
2007年2月3日、大月駅の近くにある岩山である岩殿山(634m)に行きました。岩殿山頂には武田二十四将の一人、小山田信茂の岩殿城跡がありました。天正10年(1582)、小山田信茂は、武田勝頼に岩殿城行きを説き、岩殿城を目指した武田勝頼を最後の最後で裏切ったので、あまり評判は良くないようです。小山田信茂は武田勝頼を見限り織田信長に仕えることを願ったが、武田氏滅亡(3月11日)後、主君を裏切った不忠者として織田信長に攻められ捕らえられて甲府善光寺で斬首(3月24日)されました。小山田信茂の状況判断が遅れたために、後世の人から見て優柔不断の行動をとることになったのでしょう。
大伴家持は、「ますらを」のあるべき姿を歌っています。
「ますらを」は、勇ましい男、立派な男、勇敢な武士の意。
万葉では多く「大夫」の字を宛てるように、朝廷に仕える官人としての自覚と武人としての誇りをいうことばとして用いられた。
「もののふ」は、上代宮廷に仕えたさまざまの職分の人。文武百官。
平安時代以降は、武をもって主君に仕え、いくさに出て戦う人。武士。武人。
武田二十四将は武田信玄に仕えた武将のうち、特に評価の高い武将たちを選んでいます。
秋山信友,穴山信君,甘利虎泰,板垣信方,一条信龍,小幡虎盛,小幡昌盛,飯富虎昌,小山田信茂,高坂昌信,三枝守友,真田信綱,真田幸隆,武田信繁,武田信廉,多田満頼,土屋昌次,内藤昌豊,馬場信春,原虎胤,原昌胤,山県昌景,山本勘助,横田高松 |
大月駅から岩殿山頂までは、階段状に整備された道ですが、岩殿山から兜岩、稚児落しへの道は岩場のある山道で岩登りの準備をしていく必要があります。
岩殿山 | 岩殿山からの富士山 |
兜岩 | 稚児落し |
鎖やロープを頼りに岩場を登る。 | 岩殿城落城の折、赤子を連れて逃げた小山田信茂の妻は、精も根も尽き果てて、泣きわめく我が子を岸壁から投げ落としたと伝えられている。 |
参考 影信山・陣馬山