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                                                吃音改善ルーム
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                                     E-mail : iti@mvg.biglobe.ne.jp

   新吃音雑感
(随時更新)

2013.7.6  発語成功体験による自信を得ようとする考えは、
      猫の首に鈴の論理に見えてきます。


          吃音は、どのように解消されるのかを考えたときに、発語成功体験を重ねて発語の

        自信を付ければ吃音は治っていくだろう思う吃音者は、多いだろうと考えます。筆者も

        以前は、そうでしたから。この考えでは、吃音の原因を発語の自信がないことにして、こ

        の自信を発語成功体験によってつくろうという思考の道筋を読み取れます。しかしこの考

        えをよく吟味していくと、猫の首に鈴の論理に見えてくるのです。ネズミが猫の首に鈴をつ

        ければ猫に捕まらないですむというアイデアに対して、ではどうやって猫の首に鈴を付ける

        のかと問われてネズミたちはハタと困ってしまったという実現不可のアイデアで問題解決を

        図るというたとえ話ですが、自信を得ようとする考えも同じです。発語成功体験は、自信を

        得た後に実現されるもので自信のない状態では実現不可ですが、吃音という自信のない

        状態で発語成功体験を重ねるという考えは、猫の首に鈴をつけるのと同じで、では自信の

        ない吃音者がどうやって発語成功体験をつくることができるのでしょうかと問われると、ハタ

        と困ってしまう、この論理の矛盾に気が付くべきです。自信がなくても発語成功体験はつくれ

        ると主張する人がいれば、その人は、吃音の原因を自信がないからとというように単純に

        考えてはいないと思われます。



2013.4.20  自信は、吃音の原因と考えられない

          
発語の自信がないということを吃音の原因と考えることは、正しくない
      と思っております。その理由は、初吃の問題を考えて見れば分かるので
      す。吃音は初吃から始まると考えられます。その初吃は、なぜ起こったの
      かを考察してみましょう。この初吃は、語ろうとして語れなかったという経
      験になると考えます。この語ろうとして語れなかったということについて、
      発語の自信がないためにそうなったと考える人はこの世の中にいないで
      しょう。なぜならば、それ以前は、語れていたのですから語る自信がない
      という状態ではなかったからです。こう見ると、初吃と発語の自信は、関係
      ないことが分かります。初吃は、発語の自信と関係のないところで起こっ
      ているのです。それは、理由もなく、言えないのではないかと不安にとらわ
      れてしまったことで、発語器官もその不安に連れられ筋収縮を高めたと考
      えています。つまり理由もなく言えないと思ってしまったという思考の傾向
      が初吃を起こしたと考えれます。そしてこの初吃の結果、発語の自信とい
      うものを失っていくのです。この時系列をみると発語の自信というものは、
      吃音の原因ではなく、吃音の結果ということが分かり、発語の自信を得よう
      とする努力が吃音の消失につながる保証はないのです。事実、そのような
      努力は、吃音の強化につながる危険性を持ちます。なぜならば、自信を得
      ようとする努力は、吃音への意識がどうしても高まる結果に陥るからです。
      吃音を意識すると吃音は、強化されるという吃音者共通の認識に、発語の
      の自信を得る努力は大いに関係することになるからです。


2013.3.31  吃音の結果を原因と見る誤りを自覚する必要

      
吃音の原因を正確に把握することは主体的に吃音を解消させるために
       は必要です。なぜならば、原因の把握によって、これから何を行うべきか
       が自ずから見えてくるからです。原因を正確に把握していないと、とられた
       行動や努力が問題解決に結びつく保証がないからです。
        吃音という問題がなかなか解消に結びつかない理由は、吃音の原因の
       把握の弱さにあると思われます。筆者が気になる点は、吃音と自信の関係
       です。よく一般の吃音者は、自信がないから吃音になると考えていて、自信
       がつけば吃音は治ると考え、その結果、発語成功体験を望むようになると
       思われます。筆者もかつてはそうでした。しかし現在、筆者は、自信のなさは、
       吃音の結果、生まれた思いで、吃音の原因ではない、もっと細かく言うと
       初吃(初めて吃音になったこと)の原因は、自信とは関係がないという事実に
       注目すべきであると思っております。自信のなさは、吃音の結果であって、
       吃音の真の原因ではないと思っています。吃音の原因が自信のなさではない
       ならば、自信を得ようとする努力や行動は、吃音の解消には結びつかないと
       言えるのです。事実、そのようになっております。さらにこの自信というものは、
       メンタル的なことで目的の行動ができなくなるという問題に対して、クーエの
       法則からこの自信を得ようと努力すれば努力するほど自信のない自分を意識
       する思いが強化される結果となり目的の自信を得るということができなくなると
       いう大変難しい状況においこまれることがおこるのです。この続きは、次回書
       きます。


2013.3.09  春は、吃音解消に動く季節か


       
   ここのところ受講生の指導に忙しく、サイトの更新を怠ってき
       ました。この教室を始めて、利用者と季節の関連性はあること
       が分かりました。一番、利用者が増える時期は、年が明けて春
       にかかるこの季節になります。利用者が減る時期は、秋から冬
       にかけての季節であります。人間の行動にも発動期があるのだ
       なあと認識した次第です。以前、消防の関係の方から、放火は
       春に多いというお話を聞いたこともあります。年が明けて春に近
       づくと、自然と本年の計画を立てるものなのでしょう。筆者も吃音
       解消指導にこの春、頑張る決意であります。



2013.2.15  吃音改善方法と効果継続期間

         
筆者の吃音改善の歴史は、3、40年を数えるまでになりました。
     その初期のころは、ある改善方法を思いついて、それを実行して
     も、その効果は数時間、長くて一日位なものでした。そこで挫けず、
     次から次へ自己流の改善方法を考えて実行した結果、効果期間は、
     数日から一週間位に伸びるようにはなりましたが、あるところでこれ
     ではダメだと壁にぶち当たったものです。比較的長い効果期間が続
     いたものは、イメージをモデルにして発語を行うという方法で、これは
     効果が数ヶ月続き、筆者としては大きな改善と思ったものですが、あ
     と一歩のところで、そこから先に進めなかったという歯がゆさが残っ
     たものでした。そして、現在、脳生理学を徹底的に学んで、その理論
     を使って吃音の諸症状を考察し、その因果関係を脳生理学の理論の
     上に作り上げていくという作業の結果として自己の吃音予期不安の
     解消を成し遂げられたわけです。この吃音予期不安の解消と吃音の
     解消に向かった動きは、現在、八か月続いているのです。半年以上
     となります。この現在継続中の効果は、止まることがなく、これまでの
     継続最高記録を更新中であって、今後も、この効果の継続の疑いは
     ないと言えます。


2013.2.09   本の読み方

         
ここのところ本気になって本を読みたくなって、どのように本をよむかという
     心構えを小林秀雄の次の言葉から学んでおります。

  小林 : 「フロイトの『自伝』を読み返したんだが、昔は、ずいぶんと気をつけて一字
        といへども読み残しがないように注意深く読んだ筈なんだが』

    「『本居宣長』のときも、連載中に、フロイトがウィリアム・ジェイムスを初めて訪ね
    た話をお書きになりましたね。庭を散歩して.」

  小林 :  「そこなんだよ。ジェイムスが白い手袋をフロイトに渡したとあるんだ。今ま
        で全然こんなことに気がつかなかったんだ。あれだけ注意深く読んだつもり
        がだったのが、やっぱり読み落としがあるんだね。

   文学者は一字といへども読み残しがないように注意深く読むということを知って、自分
  の本の読み方は何なんだと反省させられた次第です。これからは、もっと真剣に本を読
  まなくてはいけないと小林秀雄に教えられました。
   私は、小林から何を学んだかと自問してみれば、何事も徹底してやれということだと思っ
  ている。小林秀雄は、その人の思想を理解するには、全集を読めと言った人です。彼は
  のめり込みの達人なのでしょう。のめり込んで初めて見えてくるものがあると言っているの
  かも知れません。晩年には、ユングをよく読んでいたと言われます。



2013.1.27  吃音者は、自分は何を考えているのかを
        自覚する必要がある


            当ルームを利用する吃音者に発語の前や発語時に何を考え
           何を思ているのかを聞くと、明確な答えは返ってきません。ただ
           ぼんやりした不安感に捉われているという感じを持っているよう
           です。ここで問題になることは、この不安感を変えなければ、
           吃音状態を改善から解消に導くことは出来ないということです。
           この不安感を変えるには、どうすればよいのか。それは、まず第
           一に、自分は何に基づいて何を考え、その考えた末にどのような
           結論をもったのかを分かるようしなければならないということです。
           吃音者とは、それが分からないという問題を持っていると定義す
           ることもできましょう。吃音者の不安感は、自分なりにの思考の
           結果に対する情動に他ならないとも言うことができるのです。
           思考の結果は、思考の前提になるある事実やある理論というもの
           が必ずあるもので、それらを自覚する方法としては、何をどう考え
           ているのかを紙に書いてみることが必要と思われます。考えてい
           る内容を見える形に表すには、書いてみることが唯一の方法です。
           筆者の敬愛する小林秀雄は、どこかで自分は書かなければ考え
           ることは出来ないと述べていました。彼は、講演の価値をそれほ
           ど認めていない理由は、語ることと書くことを比較するならば書く
           ことの方が純度の高い思考が可能と考えていたからだと思われ
           ます。何しろ書かないことには、自分の考えを見える形に表すこ
           とができない。書いてみて自分は、具体的にどのようなことを考え
           ているのかを自覚することが必要です。そのような書く作業でご
           自分の考えの元になっている前提が何と貧弱なものなのかを
           自覚することは、大変価値のあることです。思考の結論に導いて
           いる前提を勉強して変えてみる、これが吃音者特有のぼんやりし
           た不安感が変わる道でもあるのです。こんな前提もあったのか、
           この前提で考えれば、このような結論に導かれる、その結果それ
           まで生じていた不安感も弱まってしまった、安心感の方へ引っ張
           られるということも現実に起こりうるものです。実際筆者には、起
           こったことなのです。
            アランは、悲観主義は気分から生まれ、楽観主義は、意志から
           生まれるという最高級の名言を語っておりますが、この気分から
           生まれるということは、どのような考えで悲観主義に陥っているか
           の自覚がないということもできます。もし悲観主義に陥っているの
           は、どのような考えに基づいているのかを分かっていれば、その
           考えを修正するという本性を人間は持っているのです。しかし
           ご自分の悲観主義は、どのような考えで形作られているのか分か
           らないでいれば、気分のままの状態が続き悲観主義から抜け出
           すことは出来なくなり悲観主義の修正も不可能になります。
           楽観主義は、意志から生まれるという名言も、自分の考えを明確
           に把握している人にのみ可能になるのです。自分の考えを書いて
           形に表す、これこそ吃音予期不安の解消作業の第一歩になるで
           しょう。

2013.1.26  シューマンも吃音であったとか


            
筆者は、大のクラシック愛好家で特にローベルト・シューマンが好み
        です。どこで読んだのか忘れましたが、シューマンも吃音であったと書
        かれておりました。シューマンの曲を聴いていると彼の移ろいやすく振
        幅の大きな情動がはっきりと分かり、この神経では、吃音であっても少
        しもおかしくないと思われます。クラシック愛好家は、演奏家にこだわり
        があります。では、筆者は誰の演奏するシューマンの何という曲が好き
        だと申しますと、ニコ動で聞けるミケランジェリの「謝肉祭」になります。
        この演奏は、何度聞いても本当に良いものだと思わずにいられません。
         昨年からもう一人、これはという演奏家に出会いました。ヒラリー・ハー
        ンという女流バイオリンニストです。女性の演奏家では、アルゲリッチ以
        外は、あまり聞かないのですが、このヒラリー・ハーンは、まだ若年であ
        りながら、大家の落ち着きを持った凛とした響きをつくりだすこれまた
        何度聞いても感動せずにいられない音楽家であります。特にロリン・
        マゼール指揮ベートーベンのバイオリン・コンチェルトの演奏は、すごい
        の一言につきるもので、マゼールのこの少女(10代半ばに見える)の
        只者ではないという驚きと満足感に満ちた表情が大変面白く感じられる
        演奏ではないでしょうか。
        

2013.1.18 再度 吃音の原因とは

         筆者は、吃音の原因を単刀直入に言って生体の危機に対応した
        脳の反応にあると結論を下しています。この原理に反することは、
        ないとの強い思いも持っております。前にも書きましたが、次の
        思考実験を行ってみれば、原因は、生体の反応にあると明確に
        分かるものです。

          1) 独り言でゆっくり何度も何度も名前を言ってみる。その言い方も
             頭に記憶させる。
          2) 次に電話をかけて対人で自分の名前を名乗る。この時に、直前に
             行った独り言での名前の言い方を思い出して、独り言と同じような
             言い方で名前を言ってみようとする。
          3) この電話で名前を名乗ろうとしたら独り言で語れたことに反して名前
             がスムーズで出てこなかった。(このようになることは、難発性吃音
             の特徴です)

          この現象を考察します。なぜ独り言で語れて、独り言と同じ語り方を対人で
        行った結果、スムーズに語れなかったことになる原因は、独り言から対人とい
        う環境の変化においてその人の心身に変化が生じた、この変化が対人で語れ
        なくさせている原因だと結論を下すことはどなたにも分かると思われます。この
        実験から語り方に吃音の問題があるということは、考えることが出来ません
          従って、吃音の原因は、分かっていないという吃音界の一般通念に合うと、
        大変違和感を覚えてしまうという筆者です。そしてこの心身の変化は、どこで
        起こしているのかと突き止めていくならば、そこは脳の働き、脳の機能の表れに
        なるという認識を筆者は持っております。それで、筆者は脳の機能の勉強を徹底
        的に行ったわけです。脳のどのような機能特徴から吃音の原因となる反応は
        起こっているのか、これが分かるようになると発語時の心身の反応をかなり高度
        にコントロールすることができるようになるというのが、筆者の吃音予期不安の
        解消、吃音症状の消滅へ向かった動きで確信を持つようになったというわけです。
        やはり問題解決には、問題をおこしている原因をしっかり把握ができないと難し
        いという世間一般の通念の正しさを再認識する次第です。今後、吃音の原因は
        分かっていないという誤った通念の訂正がなされることを、筆者は願っておりま
        す。


3.1.12 電話に関して


         仕事の面で、電話の自由度が増すと大変プラスになります。電話を避ける
     傾向があるとどうしても仕事の進め方に支障を来すことにならないでしょうか。
     先日もこんな経験がありました。常務が筆者に数名の担当者と仕事の話があ
     るので呼んでくれということになり、私が常務の目の前で携帯電話から各担当
     者に電話をしてまず名前を名乗ってからこちらへ来るようにという要件を話すわ
     けです。以前ならば、こういう時には別の場所に移動してとかすぐに電話をせ
     ずに躊躇があるとかにになっていたのですが、吃音予期不安の解消が成った
     今の筆者には、常務の目の前で躊躇もなく電話をすることができ、仕事もスム
     ーズに進んでいったということになったわけです。この電話の躊躇がなくなると
     いうことは、仕事の面で大変大きなプラスの変化を感じるもので、実際にプラス
     の変化がおこるものです。


 2013.1.8
    
      発語成功体験を狙う、これは害があるということが分かるようになるまで
     には、その人の吃音の改善は難しくなるでしょう。筆者は、吃音予期不安を
     解消し吃音解消に向かっている過程で当然発語成功体験を経験するわけ
     です。しかしこの成功体験は、決して望んで得たものではなく、理論の正し
     さから、理論の実践の結果に他ならないのです。発語成功体験を積み重ね
     ようなどとは露も思ったりしないわけで、成功体験を狙うことなどありません。
     (これは、成功体験を狙った過去の辛い挫折経験の影響もある)
      狙わなくても成功体験があれば、自己の理論の正しさの認識を強めるだけ
     です。昨年の後半にこんな経験がありました。姉の息子が結婚して親戚紹介
     の場面に出会いました。親戚一人ひとり名前を呼ばれて、「はっきりと名前を
     述べる。何々さん、ご結婚おめでとうございます。今後ともよろしくお願いいた
     します」と述べるわけです。吃音、特に難発性吃音の傾向を持っていると、前
     に指名された方々がスラスラと名前や祝辞を述べる姿を見ながら、同じように
     出来るかなと不安になる(これも予期不安)ものですが、今回の筆者は予期不
     安もなく、氏名されて起立すると同時にタイミング良く名前や祝辞の発語が行わ
     れたわけです。これは、予期不安の解消によって不安刺激がなくなり、刺激が
     ないために脳も興奮せず、筋収縮も高まらず、これらの好条件から自己の発語
     意思に抵抗なく発語器官が動いた証拠になるのです。予期不安の解消以降、
     発語意思を持つとスーと発語器官が動いて発語を行うではなく発語が行われる
     という感覚を随分と多く経験するようになったことは、驚きでもあります。やはり
     吃音、特に難発は、発語筋の筋収縮の高まりが主因で吃音の解消はこの筋収
     縮の高まりを如何になくせるかにかかっていると経験から思わずにいられませ
     ん。


 2012.12.29  今年にあった出来事
  
      今年の出来事は、何といっても吃音予期不安の解消を成しえたこと、
     それに伴い母音系の難発傾向が解消に向かったことにつきます。この
     結果語ることへの躊躇がなくなり、語ることへの自由を得ることができ
     た副産物として体調が大変良くなったことも事実です。吃音という言わ
     ば大きなストレスの塊がなくなったことは、健康面に大きなプラスとして
     働くものです。事実そうなっております。吃音のままでいいと語る人が
     いますが、吃音は大きなストレスであり健康面に悪いという事実に着
     目すれば、吃音は治すべきだという命題に反対は難しくなるでしょう。
     
      今年の春に大学院生の面接指導にかかわってきた経験から考えて、
     今の時代は意思決定能力と集団の中でのコミュニケイション能力が大変
     重要な要素となっていると思っています。面接で会社側は質問の答え方
     からその学生の意思決定能力を見ているものです。色々質問を変えなが
     ら学生の迷うような状況を作り出す。その迷った時にその学生はどのよう
     な意思決定を行うのか、あるいは意思決定ができないのか、この点を面
     接では見られるものです。流暢に答えられるかなどは、二の次になるで
     しょう。この意思決定能力こそが主体的に仕事ができるかのバロメイター
     なると思われます。簡単に言えば、先送りをしないで仕事を進められるか
     です。しかしこれは、会社の幹部候補生の選抜に関してで、一般社員とし
     て取りたい人材は、集団の中でのコミュニケイション能力にたけた学生に
     なるでしょう。

 
 更新日:2013/7/06   あなたは 番目のお客さんです 教室開設: 1999/1/19)