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質問コーナー (クリックで回答欄に進めます)
1.
吃音は治りますかという質問に対する回答
2.
吃音が治るまで何年かかるかという質問に対する回答
3.
吃音が原因で今の会社を退職しようと思っているのですが
4.
吃音は、性格を変えなければ治りませんか
5.
多くの吃音者に適用できる改善方法はあるのですか
6.
インターネットの中には吃音改善の可能性を懐疑的に見る人と肯定的に見る人に
分かれていますが、なぜですか
7.
吃音の原因はまだ解明されていないと医学書に書かれておりますが、どうなんですか
8.
吃音の改善に呼吸を問題にする人がいますが、関係あるのでしょうか。
9.
吃音は話す自信がないからおこるのでしょうか、話す自信をつければ、吃音が治るの
でしょうか。
10.
もう一度お聞きします。本当に吃音は治るのでしょうか。
11.
吃音改善に年齢的制約はありますか、ある年齢を越えると難しいですか
12. 吃音改善のためには、なにをしなければならないのでしょうか
13. 吃音改善ルームの改善指導が有料である理由をお聞かせ下さい
14. 吃音者と非吃音者は、どこが違っているのですか
15. 吃音が治るということは、どのような状態になることなのですか
16. 吃音の方は、本当は何を求めているのでしょうか
17. 吃音者の緊張と非吃音者の緊張は、違うものなのでしょうか
18. 吃音の因果関係を学んで理解することは必要なことなのでしょうか
19. 吃音と受容の問題をどうお考えでしょうか
20. 吃音者は、なぜ女性よりも男性に多いのでしょうか
21. 森田療法、催眠療法、自律訓練法では、なぜ吃音が治らないのでしょうか
22. 吃音は、心の問題で起こるのでしょうか。
23. 吃音は、遺伝するものでしょうか。
24. 吃音に対して、なぜ改善という言葉を強調するのでしょうか。
25. 吃音は、治療法がないから治らないという理屈は正しいのでしょうか。
26. 吃音は、改善するけど治らないのではないでしょうか。
27. 吃音改善努力を、長続きさせる方法はあるのでしょうか。
28. インターネットを利用して吃音は治せるのでしょうか
29. 吃音とは、何なのでしょうか
30. 調子の波はなぜ起こるのでしょうか
31. 吃音改善の目標は、どのへんに置くべきか。
32. 吃音はどうしたら治るのでしょうか、教えてください。
33. 言友会の吃音者宣言についてどう思われますか。
34. 吃音の改善には、なぜ時間がかかるのですか。
35. 努力逆転の法則を使って吃音改善努力を否定できるでしょうか
36. 吃音は、なぜ病院で扱ってもらえないのでしょうか+
37. 吃音を経験していない人が吃音の改善を指導することは難しいのでしょうか
38. 吃音の恐れを低減させるには ?
39. 吃音改善努力の挫折を防ぐ方法はあるでしょうか ?
40. 個人指導と集団指導の長所と短所を教えてください。
41. 発語練習は、吃音改善に必要なのか不必要なのか。
42. 吃音は、治った人の真似をすれば、治るのでしょうか。
43. 吃音の改善は、再条件付けか自然治癒か
44. 話しの内容に意識を向けることは、難発を治す力を持っているのでしょうか。
45. 吃音が治るとは、どのような状態になることなのでしょうか。
46. 吃音を治すには何に頼ればいいのでしょうか。
47. 受講生の吃音は改善しているのでしょうか
48. 再度、吃音の原因は、分かっていないと言われますが
49. ゆっくり話せと言われて、なぜ話せないのでしょうか
50. 一人で練習して吃音は改善できるでしょうか
51. 田中角栄氏の吃音の克服について
52. 学校や職場で先生や、上司、同僚に自分の吃音について話した方がいいでしょうか。
53. レッスンの先生とは、話せるようになったのですが、職場ではそうなりません。
54. 吃音者は、意識するとダメだと言いますが、吃音を改善した人は、逆に意識すると
吃音を抑制できると言います。なぜでしょうか。
55. 吃音の原因がわからなくて、吃音は改善できるのでしょうか。
56. 個々の吃音の違いに対して改善方法も異なってくると思いますが、
その違いをどのように指導しているのでしょうか
57. 吃音は病気なのでしょうか
58. 女性の吃音の問題点は、
59. 吃音者と非吃音者の違いは、どこにあるのでしょうか。
1. 吃音は治りますかという質問に対する回答
当ルームの吃音改善指導の理論的柱である吃音不安低減法は吃音者の吃音
意識を徹底的に分析した結果、生まれたものです。吃音者と健常者の異なる違い
は、吃音意識の有無と条件反射の有無です。当ルームでは、この二つの対処法を
技術的側面からの技術指導と心理的側面からの心理指導の二つに分けて行いま
す。この対処法を習得できれば、吃音症状を改善の方向に向けることが可能となり
ます。
この自ら創出した吃音不安低減法により私自身(本ルーム代表)の難発性吃音の
改善をここ6、7年継続して取り組んできましたが、改善度の後退は理論的には発生
しないことが分かっており、実際に発生しておりません。さらに持続的で確実なな改善
度の進展により、日々この手法の有効性の確信が増してきております。
*当ルーム代表は、成人の吃音症は、発症後10年以上経過していることから
慢性症と考えております。慢性症の常識として数ヶ月で治ると考え期待すること
は、間違えであり、さらにそのように考えることは、治療効果に害を与えるだけ
で改善は実現できません。辛抱強い改善努力の継続により改善が進み治るとい
う状態に達するものです。
社会生活で不自由しないレベルに、仕事で支障をきたさないレベルに、会話の楽
しみを享受できるレベルに吃音を改善することは、十分可能です。
2.
吃音が治るまで何年かかるかという質問に対する回答
吃音症にも個人差があり一概に何年かかるかと明言することはできません。
ただし成人の難発性吃音者の場合には2,3年の計画を立て、じっくり腰を据えて
吃音改善に取り組む必要があると私の改善体験から述べることができます。吃音
は治るものではなく、治っていくものであるこの微妙なニュアンスをつかめるとよろし
いかと思います。すぐ治ると期待すると、発語の結果に一喜一憂してしまいあせり
が生じ必ず途中で挫折してしまいます。このあせりを無くすためにも、長期計画で
取り組む必要があります。
吃音の改善で障害になるものは、早く治りたいという欲求と焦りで、この欲求が
ありますと、話す際に必然的に意識過剰の状態におちいりマイナスです。長期計画
は、この焦りを取り除き、辛抱強く改善実践の継続を可能ならしめるのです。
1期(10ヶ月) :
吃音症の発生プロセスの理解を固め、改善方法の論理的有効性
を理解・認識する。(確信までにはいかない)
2期(次の10ヶ月) :
吃音症の発生プロセスの理解の正しさを実感し、改善方法の有効
性への信頼感が増し、吃音改善の進行を実感できるまでになる。
3期(最終の10ヶ月) :
吃音症の理解と改善方法の有効性への信頼に迷いがなくなり確実
に吃音改善が進む。
3.
吃音が原因で今の会社を退職しようと思っているのですが
吃音が原因で今の会社を自ら退職しようとすることは、絶対に避けねばなりませ
ん。会社を退職して吃音を治してからまた再出発という考えは、100%危険で非現
実的なものです。吃音は、ストレスのかかった状態では改善しにくいのです。失業
は、その人間を大きなストレスの状態に置きます。このストレス状態で吃音を治す
試みは、条件が悪すぎます。さらに、就職するために吃音を早く治そうと思うことも
これまた吃音改善には大変マイナスの要素なのです。あせり、意識過剰は、吃音
改善の敵です。ゆったりした気持ちで吃音改善に取り組まないと効果の面で期待
薄です。従って吃音を治そうと思って退職したが、吃音状態は逆に悪化してしまっ
たということにもなりかねません。
吃音を治すには、年単位の大変な時間がかかります。短期間に集中して治療を
試みても効果は期待できないでしょう。ある時間を見なくてはなりません。短期間で
治れば、退職という考えも、選択肢の中に入るかもしれませんが、実際に長期間か
かるものですから、退職は現実的ではありません。
さらに、吃音に苦しんでいる方によく見られる傾向ですが、吃音が治ったあとの
自己は全てのことが可能になると大きな夢を持ってしまいがちですが、実際には
吃音が治った自己は、平均的なごく普通の人間と考えたほうがよろしいかと思い
ます。吃音が治った自己は、いかなる状況に置かれても抵抗なく自由に話しので
きる人間になれるものと想像してしまいますが、これも誤った考えです。吃音でな
い方が緊張を強いられ思っているように話せない状況下に置かれることはよくあ
りますが、吃音が治った人もそのような状況下に置かれれば、結果は同じであり、
思ったように話せないことがおこるのです。吃音が治るとは、普通のときに一般的
に緊張を強いられないときに普通に話しができるようになれることです。このへん
のところを、十分理解しておかなければなりません。さらに、話すことを除いた面で
自己の能力を正確に分析して、その能力が平均的なものでありましたら、吃音が
治ったとしても平均以上の人間にはなれないことも認識しておく必要があります。
話す能力は、普通だれもがもっているもので、ないと大変不便をこうむるのですが、
吃音改善によって取り戻してもだれもが持っている関係上、社会的に価値のある
ものとも見なされません。
最初にもどり、吃音が原因で今の会社を退職しようという考えは捨てて、今の
会社に勤めながら吃音を改善していくという考えを取るべきです。仕事をしながら
勉学をしながら、吃音を治すことは私の経験から十分に可能で、私は、いそがしい
仕事をするかたわら、並行的に吃音改善に取り組んだものです。むしろその方が
その人の人間的成長の面から考えまして、好ましい結果になると思います。
4.
吃音は、性格を変えなければ治りませんか
吃音症になるきっかけは、性格面が大きく影響していることは否定できませんが
性格面を変えることで、吃音が治っていくものではありません。いったん吃音症に
かかってしまいましたら、吃音症を改善していくためには、性格を変えるのではなく
吃音症のあらゆる面における判断を、正しいものに変えていくことなのです。吃音
症とは何なのかがわからないために、吃音症に対する正しい判断ができないでこ
れまできたことが、吃音の改善しない原因なのです。
ひとり言や歌を歌える事実から考えて、肉体に吃音をおこす原因はありません。
不安・緊張が発語を進めなくしているものですが、この不安・緊張は人間に生まれ
ながらに備わっている防衛システムの働きと、とらえることができます。この防衛シ
ステムは、その人間がある対象を危険と判断すると働く仕組みになっています。従
って、判断を変えていくことによって吃音の大きな要因である不安・緊張を変えてい
くことができるわけです。繰り返しますが、この判断を変えていくためには、吃音に
対する深い正確な理解が必要です。
理解の上で判断を修正していく、吃音改善努力とは、すなわち自己教育に他なら
ないのです。
逆に、理解が必要ということは大学で先生の説明されることを学生が真の意味で
理解している率が少ないように、ことに吃音という心理的な内容になりますとますま
すこの理解に達する率は確立的に非常に小さくなると考えられます。この理由で世
間に吃音を克服したと自称する例が非常に少ないのだと思われます。
吃音改善を簡単に考え、改善結果を性急に求めすぎる人は、うまくいかないでしょう。
しかし意識的な方法で吃音改善の道のあることもこれは確かなことです。
当ルームは、簡単ではありませんがこの理解に達するようにトライしてみませんかと
いう呼びかけをしているのです。辛抱強くトライしてみようと決意した方には、理解に達
するまで、当ルームは理論的および実践的サポートを続けます。
5.
多くの吃音者に適用できる改善方法はあるのですか
吃音の起こっているときに吃音者に共通する状態を次にあげてみます。
1) 気持ちが不安である。
2) 緊張状態が認められる。
3) 吃音予期(吃音不安意識)がある。
4) ひとり言では、不安・緊張がおこらない、おこったとしても小さい。
吃音を起こす大きなこれらの要因を解消する改善方法には、吃音軽減に導く
力が備わっていると考えられます。さらに吃音には、気持ちの混乱があり、
話すと言うことに気持ちを向けられないことに原因があるとも考えられます。
この気持ちの混乱を無くすためには、改善方法というよりも、吃音の因果関係
の理解がなくては、吃音へのプロセス理解がなければ、実現できません。
当ルームで主唱している方法は、始めに吃音の因果関係の理解をしていた
だいて、理解の後に改善方法を実践してくださいということです。
理解をせずに、方法だけで吃音は治るものではないでしょう。
6.
インターネットの中には吃音改善の可能性を懐疑的
に見る人と肯定的に見る人に分かれていますが、なぜ
ですか
吃音の一番困った問題は、吃音の原因論、治療論に定まったものがないところ
です。様々なことが主張されていますが、決定論がいまだありません。さらに吃音
時に生じている不安感・緊張感・意識の状態は、外部から見えないものですから
第三者が吃音を追体験することは、難しいのです。そうしますと吃音を語るという
ことは、どうしても自己の吃音体験を語ることになってしまいます。吃音は治らない
と語る人は、吃音を治そうと努力したが治る方法が見つからなかったと自己の体
験を語っていることに他ならないのです。その証拠に吃音は治らないと語る人で
その根拠まで論理的に説明された例を今まで見たことがありません。
さらに吃音体験は、これは純粋に内面の体験ですから、他者の吃音体験を
共有することが不可能で、自己の発言に責任を持とうとすれば、どうしても他者が
どのような体験を語ろうが、自己の体験の枠を越えた自己が経験していない内容は
語ることが出来ないということになります。さらに吃音を経験したことのない人が
吃音について語っているものを読むと、非常に底の浅い印象をうけるのも以上の
理由からきていると思われます。
極論すれば、吃音の改善に取り組んで、その改善を果たした人は、吃音改善の
取り組みに大きな価値観を持つのです(筆者もその中の一人です)。その一方で、
吃音の改善に取り組んだがどうしても改善を果たせず、落胆を経験した人は、吃音
改善取り組みに価値を見ることが出来なくなり、自己の吃音問題の解決に向かって
吃音改善努力と異なった別の道を追求しようとすることは、その本人にとっては、当
然の帰結と考えられます。吃音の改善努力をすべきか、すべきではないかという論
争は、以上の別個の体験から得られた価値観の違いからおこるもので、吃音という
特殊体験の共有が不可能 な性格からして、この異なった価値観を持つ人間が論争
によって理解し合うということは,非常に難しいことです。
インターネットに発信される吃音情報を読んでいきますと、吃音改善を果たした人
の中にも、自然治癒に近い形で改善された人と、吃音改善を目的とした意識的な
吃音改善努力により吃音改善を果たした人の2種類のタイプがいるようです。私は、
後者の吃音改善を目的とした意識的方法によるタイプに入ります。この意識的な
方法が成功するか失敗するかは、その方法が吃音の原因を除去する働きのある
ものかで決まるはずです。
ここで、心理学の重要な一定理を述べておきます。
”人間は可能性があると認めるものだけに、その可能性実現のための努力をする
ものだ”
この言葉が正しければ、吃音の改善に努力したことのある人は吃音改善の可能性
ありと認めたことがあるという証明になります。吃音改善にネガティブ発言を行って
いる人も、ふと吃音改善を考えたりすることがあるならば、それはネガティブ発言を
していても、こころのかたすみでは、吃音は改善するのではなかろうかという思いは
死なずに持っているからです。そのように考えますと、この世の中に、吃音は改善し
ないと思っている人は、一人もいないことになります。大なり小なり吃音は改善する
という思いが吃音者全ての心にあるために、吃音改善を望んだり考えたり努力した
りするのです。
7.
吃音の原因はまだ解明されていないと医学書に書かれて
おりますが、どうなんですか
吃音の原因はまだ解明されていないという表現をする方は、吃音についてよく理解
されていない人です。こまったものです。実際のところは、これまで吃音を高度に改善
された人は、数多くいるわけです。その方は、吃音の原因をほぼつかんでいたはずで
す。ただし、吃音は複数の心理的要因(単一でないから難しいのです)が絡み合って
原因を作っていると考えられますので、心理的な事柄ゆえにその真実性を客観的に
証明してみせることは大変困難な作業で無理な話にもなりかねないのです。
さらに、その原因を言語表現に移すには目に見えない心理の世界を表現するため、相
当な技量の持ち主ではないと成功しないものでしょう。
吃音の原因をつかんだ人は数多くいる、その多くは直感によりつかんだと思われます。
その直感が正しかったから吃音が治った。しかし直感というものは、言葉で説明できた
ら直感ではなく、言葉で説明できないものなのです。ここに吃音の原因がはっきりしてこ
なかった経過があるのです。つまり吃音の原因をつかむことができた人はこれまで数多
くいた。しかしその経緯から原因にまでさかのぼって言語表現をした人が今まで現われ
なかったというところが、真相ではないでしょうか。
吃音の原因を把握できた人はこれまで何人もいたと私は確信しております。実際に吃音
を高度なレベルで改善させた人はいたのですから。
8. 吃音の改善に呼吸を問題にする人がいますが、関係あるので
しょうか。
吃音と呼吸は、直接的な関係はなく、間接的な関係に留まるとみています。直接的な
関係が無いと言う意味は、呼吸をいじってみても吃音が治るということはないということ
です。難発性の方は、難発語でない言葉はかなり話せるはずで、その難発でない言葉
の発語行為では呼吸の問題はおこっていないのです。難発語の発語行為と難発語では
ない言葉の発語行為とを比較すると、大部分が共通でほんのわずかの違いしかありま
せん。呼吸は、難発語でも難発語ではない言葉でも同じ行為で片方に問題がないので
すから呼吸をうんぬんする必要はないと考えております。
脳生理学の人間の習慣的動作(発語動作は習慣的動作です)に関する理論を読んで
みると分かるのですが、発語動作は、一連の動作パターンとして脳に記憶されています。
発語の動作パターンとしては、息を吸ってその言葉の口方、声帯の形を整え息を吐いて
声帯の振動が起こりその振動が声になるという一連のつながりのある動作です。呼吸に
問題があるとするならば、当然同じパターンの一つである口方、声帯の形を作る動作にも
問題は起こっているのです。呼吸に限定することは理屈に合うものではなく、一連の動作
パターンを対象にする必要があるということが当ルームのスタンスです。
9. 吃音は話す自信がないからおこるのでしょうか、話す自信をつ
ければ、吃音が治るのでしょうか。
吃音を改善するために自信を直接的に求めようとする試みは、日本特有の精神主義か
ら発している誤りです(これまでこのような試みは失敗してきたはずです)。自信を失った
原因は、技術的な問題が根底にあります。技術的に問題がないところから結果が安定し
、そこに自信が生まれるものです。この技術的な問題の改善を図らずに、自信を付けよう
と誤った努力を重ねることは、精神主義で競技に勝とうとして惨敗してきた日本特有の弱
点と同じで、この誤りに気付く時点で吃音改善の取り組みの条件が整います。
吃音は、話す自信がないからおこるのかといいますと、それは少し違うように思います。
自信というよりも、気持ちの余裕を考えた方がピッタリします。非吃音者は、話すことに
自信があるから話せるのではないはずです。話すときの気持ちの余裕というものは、吃
音者と非吃音者の間には相当な違いがあります。話すことに対する非吃音者の安心感、
、吃音者の不安感、分かりやすく述べれば、違いはここにあります。
一般に自信というものは、結果として与えられるもので、自分から得ようとして持てるも
のではありません。自信を得ようと努力しますと、えてして自信を失う結果になりやすいの
もこのためです。技術的な問題を解決してその結果成功に結びつく、さらにその結果、気
持の中に自信と言うものが生まれる。自信を直接的に得ることは出来ないし、それを得る
ためには、失敗の原因である技術的な問題の改善に取り組むほかにはないのです。自信
を直接的に得る方法はない以上、吃音を改善するために自信にこだわる必要はありませ
ん。技術的な問題を考えずに自信にこだわっているかぎり、その人の吃音は改善に向かう
ことはないでしょう。自信は、技術的な問題の解決の上に開花するもののです。技術的問
題の取り組みをせずに、自信だけを直接得ようとする努力は、話すことに意識過剰をもた
らし結果的には吃音改善に反する方向へと吃音者を導くのです。
10. もう一度お聞きします。本当に吃音はなおるのでしょうか。
吃音は治るのかというご質問に対して、では実際治っているいる人はどの程度いるのか
ということから回答してみたいと思います。インターネットで吃音が治りましたと語っており
ます人を調べてみますと何人もおります。(この治ったというレベルは、人様々ですが一応
実生活、仕事、電話で話すことに関して非吃音者と比べ見劣りがしない状態を基準として
おけば異論はないと思います)。さらにインターネット人口は2割と見ますと、この人数のゆ
うに5倍は吃音が治った人が確率論的にはいるはずです。自ら吃音が治ったと語る必要
を感じていないサイレントな吃音がなおった人を加えると無視できない数になるはずです。
従って現実に吃音の治った人がいることから吃音が治る可能性は十分にあるのです。
(疑問に思っている人は、治ったという人に直接会って確かめてみることを奨めます。)
私が、インターネットで吃音が治ったと述べている人の吃音に対する考え方を仔細に分析
しますと、考え方その自身が吃音不安・緊張をおこさない俗に言われるプラス思考法の実践
者という特徴があります。不安・緊張等ストレス症状は、その人のものの考え方、判断、理解
に対する体の反応に過ぎないのです。治った人は、不安・緊張等ストレス症状が結果として
現われない考え方、判断、理解、意識の使いかたを修得した人です。
私がなぜ吃音の改善に達したかは、この不安・緊張・ストレス症状が体の反応としておこら
ない考え方、判断、理解、意識の使い方が出来るようになったからに他なりません。この修得
は、時間のかかることを辛抱すれば、だれにでもできることです。
11. 吃音改善に年齢の制約はありますか。
吃音改善について、次のように考えています。幼児期の吃音は、自然治癒率が高い。
成人以降の吃音では、自然治癒率はかなり低い。
当ルーム代表の吃音は、青年期重度、中年期に改善が始まり現在にいたっております。
中年期に吃音の改善に向かい始めた理由は、吃音の発生に対する因果関係を把握できた
こと、吃音に対して不安・緊張が生じない考え方、判断、意識の使い方が身に付いたこと
つまり吃音性緊張・不安を抑制する自己コントロール法を修得したことにあります。
この吃音改善の要因を分析してみますと、理解、思考、自己コントロールが重要なポイント
となっております。理解、思考、自己コントロールで吃音が改善するということは、吃音改善
には、年齢的制約はなくむしろ年齢が増すほどにその人の経験から培われた思考力が発揮
されるために良い結果が期待できます。青年期よりも中年期のほうがむしろ吃音改善に適し
ていると言えるかもしれません。中年期の方が経験による落ち着きも出てきますので、自己
を律する力も青年期よりも強いものですから吃音改善には、プラスに働きます。
中年期、老年期からでは吃音改善に遅すぎることは全くなく、むしろあせらないぶん好条件
を備えているかも知れません。
12.吃音改善のためには、なにをしなければならないのでしょうか。
吃音の症状面、現象面にとらわれないで、その症状を起こしている原因を考えてみること
です。考えて分からなければ、吃音もストレス症候群の一つですから、ストレスの原因につい
て書かれている本を片っ端から読んでみることをすすめます。吃音関連の本よりもストレス関
連の本の方が役に立つと思います。私には吃音関係の本から啓示を受けたものはこれまで
一つも無かったという残念な思いがあります。吃音関係の本からは、結局のところ吃音とは
よく分かっていないものだという情報しか私には得ることが出来なかったからです。吃音関係
の本のこの明確さに欠ける点が最大の弱点です。ストレス関連の本では、ストレスの因果関
係を明確に語っております。大きな違いです。
本によって分からなければ、実際に吃音を改善した人から、直接話しをとことん聞くことです。
吃音はどのように改善に向かい、その改善の時間的経過はどのような道をたどるのかは、実
際に吃音の改善を経験した人でなければ分からないことです。これは、特殊体験ですから。
吃音改善には、時間がかかります。その改善の道筋の啓示を与えられる本、理解している
人、経験した人に出会えることが吃音改善を願っている人には大きな転機となることでしょう。
13. 吃音改善ルームの改善指導が有料である理由をお聞かせ下さい
世の中で受けるサービスには、有料と無料があります。ただし考えなければいけないことは、
サービスには、必ず費用が発生することです。この費用をどなたが負担していくかという問題が
次に発生いたします。例えば、図書館の利用は無料ですが、その費用は税金等でまかなわれて
いるのです。図書館の利用が無料でも事前に税金でその費用は徴収されていると考えていいの
です。従って無料というものには、利用時に無料でも別の時点で気がつかない形でその費用を
払っていることがかなり多いのです。吃音改善ルームは民間の教室ですから、そこで受けるサー
ビスに発生する費用は利用者に負担していただいております。その料金が高いか安いかは、利
用者自身が判断してお決めになるほかありません。
さらに有料システムは、教える側にとって有料による責任感を持たされ、教えを受ける側も
料金を払った以上、取り組み姿勢に真剣性が加わり、両者の関係性に好ましい緊張感が生まれ
ます。この緊張感は、問題点を解決する上で、なくてはならないものであります。
14. 吃音者と非吃音者は、どこが違っているのですか
まず、話しづらさの原因である緊張してしまう・不安になるという面を比較しますと、本質的な
意味で、吃音者と非吃音者との違いは、反応の大小以外ありません。非吃音者も緊張を強いら
れる場でおこる緊張の性格は、吃音者におこる緊張の性格と同じです。吃音者は予期不安があ
ると言われますが、非吃音者も大勢の人の前で話すことを避けたがる人は、大勢の人の前では
あがってしまい思うように話せなくなると予期する人は沢山いるのです。非吃音者にも発語行為
における予期不安はあります。吃音者と非吃音者の違いは、緊張反応の大小にあると言えます。
吃音者と非吃音者を分けているものは、思うように話すことが出来ない状態で、非吃音者は無
理に話そうとはしないのですが、吃音者は何とかしてそのような状態でも発語する努力をするこ
とにあります。この発語する努力が吃音といわれる姿に他なりません。つまった状態で無理に力
を入れて吐き出すようにして発語する努力、手足を振ったりして拍子を取って発語しようとする努
力、無理に力を入れて連発のようにしてでも発語しようとする努力、これらの努力が吃音の姿なの
です。発語できない状態で、無理に発語しようとする姿が吃音に他なりません。この努力の結果
が記憶に残り吃音意識が形成されるもとになるものです。
解決案は、このような努力は止めにして、発語できない状態を発語出来る状態に作り上げる努
力を行うことです。筆者の吃音改善の成功のポイントはここにあります。
吃音者と非吃音者の違いは、緊張度・不安度という反応の大小にすぎず吃音者の発語機能にお
ける機能的欠陥は、全く認められません。
吃音者の直すべき癖とは、発語できない状態で無理をしてでも発語しようとする試みにあるので
す。
15. 吃音が治るということは、どのような状態になることなのですか
これは、大変難しい問題です。吃音は簡単に申しますと、思ったように話せなくなることです。
そうしますと、吃音は話しづらさが、強くあらわれたものと定義できます。そのように考えて吃音
が治ることは、話しづらさがなくなること、何でも思ったように話せるようになることと考えがちで
すが、これは厳密な意味で間違いでさらに実現不可能なことでもあるのです。それは、非吃音者
は、話す場面において、この話しづらさは、ある程度おこるからです。話しづらさは、場面場面で
変化するもので、なくすことは出来ません。従って吃音を治す目標を、話しづらさの解消に置くこ
とは、矛盾があるのです。
それでは、吃音が治るということは、何かと申しますと、平均的な非吃音者の話す場面で起こる
話しづらさの程度に吃音者のそれが抑制されるということなのです。ですから、吃音が治るという
ことは、話すときの不安感・緊張感から開放されることではなく、非吃音者並の不安・緊張のレベル
で話すことができるようになれる状態を獲得できることなのです。吃音が治るということは、話すこ
とに非吃音者並になれることで、話しづらさがなくなると誤って考えないように気をつける必要があ
ります。とくに吃音について深く考えてこなかった若い人にこの傾向は強いと感じます。
吃音改善に取り組み努力する過程で、吃音がおこったおこらなかったと一喜一憂するのですが、
自己の発語結果を評価する場合に、評価基準というものは理想化されたものではなく、非吃音者
の相対化されたものさしで計る必要があるでしょう。ここで大部分の吃音者は失敗しています。ここ
での失敗が、再発、ぶり返しの原因をつくることにもなるのです。
吃音に悩んで吃音を解消しようとした努力が、実は吃音の改善とは関係なく、実現不可能な目標
を達成しようともがき苦しみ、その努力が実現不可能性のゆえ、逆に自信喪失につながるという結
果に陥る経験をしている方が大勢いることを想像します。吃音は治らないのではないかという蒙昧
が吃音者の意識を蝕んできた原因は、この辺から来ているのではないかと筆者は考えます。
現在、吃音者の定義は、自己を吃音者であると自覚している人であると思っていますが、このこと
は、吃音というものが科学的に捉えられていない証拠で、さらに吃音時に生じている不安・緊張状態
が、吃音者特有のものではなく、非吃音者に生じるものの延長線の高進した姿である以上、吃音者
と非吃音者を分ける固定された線など引けるわけがないことになるのです。
16. 吃音の方は、本当は何を求めているのでしょうか
吃音の方にこれまで、何を求めていらっしゃるのですかと質問してきましたが、その回答は次の
通りです。
1) とにかく話せるようになりたい。
2) 電話で名前を話せるようになりたい。
3) 自分をこれまで苦しめてきた吃音の正体を知りたい
4) 話す時の不安な気持を無くしたい。
5) 電話で人並みに話せるようになりたい
6) 苦手な言葉を話せるようになりたい
吃音を完全に治したいという希望よりも、具体的に電話で話せるように、自己紹介でまごつく
ことがないように、という希望が圧倒的です。よく吃音は治るかどうかという不毛の議論がおこり
ますが、完治しなくても電話で名前を話せるようになりますし、電話で人並みに話せるようにも
なるということを、しっかり理解する必要があります。完治など必要ないとも言えます。そして
吃音の方は、完治を求めているのではなく、具体的に電話で名前を言えるようになりたいとい
うことを、求めているのです。これは、可能です。これは、吃音が完治しなくても実現できるのも
のです。ホームページで吃音は治らないという主張を見かけることがありますが、この治らない
と言っていることは、完治しないと言っていることだと思います。この完治は本当に必要なもの
なのかといつも疑問に思っています。
この世の中で活躍してこられた吃音を持った有名人は、完治などされていなくても、演説は超
一流ですし、電話で名前が言えないことなどありませんし、等々です。そういう人達も、以前は電
話で人前で大変苦労した経験を持っていたのです。つまり吃音は完治する必要などありません。
吃音を持っている人の、吃音による不便さがいかに解消されるかです。(吃音は完治されないと
言っているのではありませんよ、完治の状態に限りなく近づくことは、十分可能です。しかしその
必要性は実際には薄いのです)
ここで注意しなければいけないことは、世の中には吃音者でいながら、非吃音者よりも電話や
人前での話しが各段に上手な人がかなり大勢いることです。実際この目で見てきました。面白い
ですね。吃音を嘆き悲しむ必要はありません。吃音は完治しなくても非吃音者よりも上手な話
し手になれる可能性は、十分にあるのですから。先人はそれを証明してきました。
17. 吃音者の緊張と非吃音者の緊張は、違うのでしょうか
まず緊張が生じる部位は、心配の対象となる動作を起こす器官に現われます。人前で話す場
合に人はだれしもあるレベルの緊張が起こりますが、非吃音者の緊張は、人前での恥ずかしさ
や、きちんと話せるだろうかという一抹の不安から起こるものです。吃音者の緊張は、非吃音者
の恥ずかしさや条件反射によるものに加えて、吃音予期不安から起こるものなのです。この吃
音予期不安の心配の対象となる動作は、当然発語動作でありますから発語器官に緊張が現わ
れるのです。非吃音者と吃音者の緊張の違いは、この発語器官に現われる緊張度(筋肉の収
縮度)の違いに特徴があると、当ルームでは考えております。
よく吃音が起こるから緊張するという議論がありますが、これは卵(緊張)が先かニワトリ(吃音)
が先かの不毛の議論に陥ります。緊張は、固定的に考えるものではなく、流動的に考えるもので
あると思います。従って、吃音が起これば、その時の緊張度は吃音が起こったことでさらに増して
いきます。しかし緊張の高まりのない状態で吃音が起こることはあるにしても、微細に観察すれば
吃音がおこる前の状態として緊張度の瞬間的な変動が見られるのではないかと当ルームは考え
ます。
よく吃音になりそうだ、発語ができそうだという感じは事前にわかると多くの吃音者は語りますが、
これは吃音の生じた時の緊張度と発語ができた時の緊張度が記憶されていて、この記憶からこれ
から発語しようとするとき今の緊張度の状態では発語器官が話そうと言う意思通りに動作してくれ
るか動作してくれないかの判断が出来るということであると考えます。
18. 吃音の因果関係を学んで理解することは必要なことでしょうか
当ルームの受講生に対して自己の吃音をかくそうとしますかという質問をしたところ、かくさない
と答えた人はたったの1名で、まずほとんどの人がかくすという答えが返ってきました。
なぜ隠すのかの理由は色々ありますが、隠さざるを得ない理由もあるのです。それは吃音者が
自己の吃音がなぜ起こるのか吃音はなぜ生じるのかについて他者に説明できないことにあるの
です。吃音の問題を抱えている人が吃音のことを知らない人にきちんと説明できれば、吃音をかく
そうという気持も相当弱まるはずです。説明のできない得体の知れない不具合に自分は陥ってい
ると自己を規定することは不安と悩みにとらわれます。もしその人が吃音について良く理解してい
て、仕事の上で吃音を問題にされた時に上司に吃音をきちんと説明できれば、吃音に対する理解
を示してくれるはずです。説明できないよりは、理解の可能性は大です。つまり吃音者が吃音に
ついて学び説明能力が付くということは、社会で生きていく上での自己防衛にもなるのです。
よく吃音者は社会は吃音を理解してくれない不満を申しますが、社会が吃音教育を行っていない
現状では、それは大変難しいことです。解決に近づける道は、吃音者自らが吃音について説明
能力をつけることです。そのことは、その本人の社会における自己防衛にもつながります。
19. 吃音と受容の問題をどうお考えでしょうか
吃音には、軽い部分から重い部分まであります。少々つまり気味でも一応話しが成立するもの
詰ってしまって固まってしまって発語が行なわれないものまであります。話すという行為は、相手に
ある情報を伝えることがそもそもの目的ですから、吃音が起こってもその情報が相手に伝われば
それは初期の目的が達せられたのですから受容(受け入れること)は出来るわけです。ですから
吃音がおこっても結果として相手に情報が伝われば、話す行為として目的が達せられたとして
その話す行為を受容することはできますし、そうすべきであるとも言えます。
しかし吃音で発語が成立しない場合には、話す行為の目的が達せられないのですからそれを
受容することは、大変困難なことです。もしここで受容をしてしまうと、話すために必要な話そうと
いう意欲の喪失につながりかねません。話すことが出来ないならば、筆談という手が残っています。
しかしこの筆談をすることは、大変勇気のいることですし、吃音の議論で受容を説いているかたも
精神論で受容を語るのですが、具体的に話せない状況においても受容をすすめているのかは、
よく分らないところがあります。
やはり語ると言うことは、他者との心の通い合いが最大に得られる代えがたい魅力を持ったもの
なのでしょう。わずかでも発語の可能性(吃音者は、普通に話せる発語機能と可能性は持っている)
が残っていれば、筆談に代えて発語を放棄することなどできるものでは、ありません。そこに発語
ができない状態を受容することの困難さがあるのです。
受容は、できる部分と難しい部分があると当ルームは考えています。
吃音は受容が大切だと説く主張は、受容というよりも吃音者の吃音を治したいという、話せる
ようになりたいというあまりにも強い思いが逆に吃音の改善を妨げている面をとらえて、この思い
を抑制させる方が吃音の症状を軽減に向かわせるということにポイントを置いているのでしたら、
その通りだと思います。吃音の受容への試みが意識の中での吃音不安に対する葛藤を静める
効果もこの点にあると当ルームは考えています。
しかし悪癖を直すという観点から考えれば、吃音の受容と改善は、相反します。タバコを止めよ
うとしている人は、タバコをすう自分を受容しない決意が必要になります。吃音改善でも同じです。
吃音のおこる現状を全て受容しないということは、不可能です。しかし努力すれば変えられる部
分はあるはずです。その部分は受容しないという方向が必要です。その部分が改善しましたら、
次に改善可能なわずかな部分があるはずです。その部分を受容しないで改善を図る。この繰り
返しによって部分から全体の改善に進めるという方法が筆者の吃音改善方法でもありました。
受容とは、本来努力しても変えられないものに対して取る心的態度ではないでしょうか。人間
は死すべき運命にある。これは受容以外にありません。しかし努力して変えられるものに対して
安易に受容を説くことは、その人間の成長の可能性の抑圧につながります。ここで問題になる
ことは、吃音とは努力しても治らないものだという考えの持ち主ならば受容に進むことになるの
です。吃音は治っていく、改善していくと経験上認識している人間は、吃音の受容を安易に説く
ことは間違いだと思うはずです。河合隼雄流に語れば、吃音改善にも母性と父性のバランスが
必要だとわかります。受容を母性の象徴だとすれば、父性は理念の実行の厳しさです。受容だ
けで吃音改善の進まない原因は、理念の実行という父性が欠けているのです。
20. 吃音者は、なぜ女性よりも男性に多いのでしょうか
吃音の発症のきっかけは、まず発語行動に失敗があり、そのことに本性的に危機意識を持って
しまうことにあると考えますが、この発語の失敗は発語動作をおぼえ、なおかつ吃音にかかりや
すい3歳から5歳の年代時期には、例外なくどのようなお子様にもおこるわけです。その失敗に
対して、その本人がどのような気持を持つか個々に異なってきます。気にする(危機意識を持つ)
子供、気にしない子供(危機意識を持たない)もいます。この危機意識を回りから与えられる場合
もあります。
この年代(3歳から5、6歳)の子供の成長度合いを男女の性別で比較しますと、女児の方が
心身ともに成長が早く気持の面でも安定しております。発語動作の習得も女児の方が早く、なお
かつ上達も顕著なわけです。この時期、男児の方が、発語における習熟度は劣り、なおかつ気持
の面で不安定であるとすると、発語に失敗する頻度は男児のほうが多くなります。このようなこと
から男児の方が吃音にかかる条件が女児よりも整っているために、吃音発症率が女児よりも高い
と、個人的に考えています。
21. 森田療法、催眠療法、自律訓練法でなぜ吃音は治らないので
しょうか
この理由は、簡単です。吃音を単に心理的な問題で起こり、心理的な問題を解決すれば吃音
は治るということならば、森田療法、催眠療法、自律訓練法さらには心理療法でこれまでたくさん
吃音者の吃音が治ってきたはずです。現状では逆の傾向を示しているはずです。このことは、吃
音とは、心理的な問題だけではなく、発語動作に付いてしまった悪癖という大きな問題があり、こ
の問題の解消なくして心理面の取り組みだけではどうしても不足するということを暗に示している
のです。
プロ野球の打者がスランプに陥ったケースを冷静に考えてみると分るのですが、そのスランプは
心理的な面が発生のキッカケになったとしても、悪化の経過には技術的な問題(一般に体が早く
突っ込む、肩が開く、力む等)が生じていると言われます。ですからスランプからの脱出は、まず
これら技術的な問題から取り組むはずです。技術的な問題が改善されるにつれてバッティングが
上向きになり心理面でも自信が戻ってきます。このような経過から分るように動作の問題は、まず
技術的な問題点の矯正から取り組む必要があります。吃音の改善の取り組みにも同じようなことが
当然言えるのです。技術的な動作上の問題点の矯正の取り組みが必要になります。このような取
り組みを行なわないで、森田療法、催眠療法、自律訓練法、心理療法の心理面からのみの吃音
改善の取り組みでは、どうしても不足があり吃音が結果的に治らないことになると考えられます。
当ルームの経験では、発語動作上の問題を持っている人が動作上の問題を放置しておいて
心理面での取り組みをいくらしても効果はでないという結果が出ています。発語動作上の矯正を
行ないながら心理面での不安・緊張の抑制を図る訓練を行なうと効果がでるものなのです。
吃音改善を指導する方は、心理面でのプロであると同時に吃音の発語動作上の問題点を熟知
していることが必要です。どちらか片方が欠けていては、吃音改善は難しくなると考えています。
22. 吃音は、心の問題で起こるのでしょうか
吃音は、ある一つの問題で起こるのではなく複数の要因があると考えられます。心の問題は
複数の要因の一つに過ぎません。当ルームの経験では、心の問題だけに焦点を当てて指導を
行なっても効果の面で弱いという結論を持っています。心の問題が解消することで、吃音が治る
とは、とうてい考えられません。心の問題で吃音が治ると考えるならば、カウンセリングで吃音は
治るはずです。吃音は、カウンセリングは副に置きむしろ行動療法に活路を見いだすべきと考え
ています。
例え話しですが、あるプロ野球打者が極度の不振に陥って自信を全く失った状態になったと
仮定して、その打者のスランプ脱出のために、二つの対策を取ったとします。一つは、スランプ
は、自信を失ったことが原因で、心に問題にあり心理療法を受ければスランプ脱出に成功する
だろうと思って心理療法を受ける。もう一つは、スランプは、明らかにバッティングフォームや動作
の乱れにあるのだから、技術面から矯正をはかるべきで、技術的な問題に熟知している名コーチ
から指導を受ける。このどちらがスランプ脱出に成功するでしょうか、早くスランプから脱出できる
でしょうか。明らかに後者の名コーチの指導を受ける道でしょう。名コーチは、技術的な問題点を
矯正しながら、心の問題のケアーも行なうことを知っているからです。吃音も発語動作という動作
上の問題ですから、打者が自信を失うことと、吃音者が発語に自信を失うことは同じようなもので
す。
吃音の改善を自分一人で行なう時の問題点は、その人が発語動作上の問題点を正確に把握
しているかです。自己の発語動作を外部から客観的に観察できないために、自己の発語動作上
の問題点を把握することは難しくなります。しかし、この発語動作上の問題点は吃音改善の中心
的な問題で、この発語動作上の問題点の解消に努力しないで、心の問題に取り組んだところで
吃音の改善に導かれることにはならないだろうという経験からの思いを当ルームは持っておりま
す。心の問題と技術的な問題は、切っても切れない関係にあり、どちらか片方にウェイトを置きすぎ
ると問題解決の障害になるということです。この動作上の問題、心理上の問題を改善させることを
吃音者自身が独力で行なうことは、相当な勉強・研究が必要でなおかつ試行錯誤も起こりますか
ら、5年、10年はすぐかかってしまいます。
吃音は、心の問題で起こるのでしょうかという命題は誤りで、吃音は、心の問題もありますが、そ
れは複数の要因の一つの過ぎませんと当ルームでは、指導経験から考えています。
23. 吃音は、遺伝するのでしょうか
生まれたときから吃音になっている人はいるはずがありません。ですから遺伝はしないのです。
吃音は、言葉を覚え話し始める発語能力の成長過程で起こり始める特徴を持ちますが成人になっ
てから吃音になる人もめずらしくはありません。吃音と同じような動作的不具合に書痙というもの
があります。この二つに共通する点は普通と変わったことに対して異常に問題視する気質を読み
取ることができます。
吃音がその方の仕事、恋愛、結婚にどのような問題を起こすかについては次のように考えます。
心配するのでしたらその心配を小さくするために吃音の改善に取り組んではいかがですかというこ
とです。吃音者と非吃音者は、相対的な違いしかないのですし、この違いを小さくすることもできる
のです。無くすことだって可能です。小さければ仕事でも恋愛でも結婚でも障害になることはありま
せん。どのような人にも一つや二つの苦手をいうものを持っております。吃音とは、たまたま話すこ
とが苦手になったしまったものと客観的に考えることができます。苦手なものは改善できるのです。
後は、改善させようという意欲・実行とその方法にかかってきます。
吃音で仕事や恋愛を悩むのでしたら、ぜひ吃音とは何かという客観的に吃音を見る目を養って
ください。決して恐れるものではありません。非吃音者と吃音者の絶対的な違いは、全くありませ
ん。相対的な違いに過ぎないのです。このことが分かれば、吃音はこわくなくなります。ぜひ吃音
を客観的に冷静に見ることが出来るようになってください。
24. 吃音に対して、なぜ改善という言葉を強調するのでしょうか
幼少の時期に吃音が始まり、その状態が成人まで継続しているケースを例に取りますと、その
方は、現在まで何万回にもおよぶ吃音を発生させてきたわけです。この何万回もの吃音により
その方の気持の上で想像を絶するような相当深く大きなダメージを受けているものです。この
気持の上のダメージ(もしくは強い条件反射の形成と言っても良いのですが)を癒して治してい
くためには、数ヶ月吃音改善に取り組んだところで、どうしても不足で、治る状態に達することが
できるまでには、年単位の改善努力の継続が必要になります。従って治るという状態に達する
までに改善という期間を年単位で必要とするわけで、当ルームは改善を積み重ねて吃音の治る
状態に達するという考えから、改善という言葉を前面に出しております。改善を通して吃音の治
る状態に達することを、指導していくことが、吃音改善ルームの指導方針です。
逆に考えると、吃音を治したいと思ったら、年単位の改善努力をしていく覚悟をまず持つことで
す。この覚悟こそ吃音を直すために必要な前提条件です。方法さえ正しければ、年単位の努力
により、吃音は改善に向かい、治る状態に近づき達することはできます。
25. 吃音は、治療法がないから治らないという理屈は正しいのでしょうか
私が常日頃不思議に思っていることは、世の中には吃音は治らないのではないかという偏見
が存在することです。吃音と同じ性質の不具合があります。例を上げますと、赤面症、対人恐怖
症、高所恐怖症、書痙(人前で字を書こうとすると手が震える不具合)、イップス(ゴルフで勝負ど
ころのパットを打とうとすると手がしびれてパットを外してします不具合)等があります。難発性吃
音は、難発語に対する発語恐怖という特徴を多かれ少なかれ持っております。
赤面症、高所恐怖症は治らないという人は、いません。しかし、吃音は治らないと思っている人
が世の中にはいるのです。治らないと主張する人までいるのです。その治らない理由は、何かと
聞いてみると、吃音を治す治療法は確立されていないということです。治療法がないから治らない。
しかし吃音を治している人は私が調べた範囲でもいるのです。治療法がなくても治った人はいる。
これは何を意味しているかと申しますと、そもそも吃音とは、緊張反応や不安反応に邪魔をされ
て発語行為がこわくなって発語動作に入れなくなるという不具合です。しかしこの話せない状態を
少しでも話せる条件下に好転させるには、その人の知恵と緊張や不安を低減する知的な自己コ
ントロール能力を必要とすることなのです。この知的な自己コントロール技術は人から単に話さ
れて身につくものとは異なり、生体の防衛本性の働きを理解した上で、いかなる思考が、意識の
使い方が、またはイメージの形成が生体にどのような反応の結果となって現れるかを正確に把握
しておく必要があります。その理解の上に、イメージや意識の・持ち方使い方なり、思考方法を吃
音予期不安反応の低減に的を絞って行うことです。これは、非常に高度な知的作業と言えるもの
です。この作業をこれまで長年の試行錯誤を経た自己鍛錬によって習得して吃音を克服してきた
方が実際に確認できます。これは何もある新しい方法というよりも知恵によって時間をかけさえす
れば、どなたにも習得可能と考えられます。ですから昔から吃音を克服したという人は、歴史が語
るように存在したのです。
吃音はある治療法によって治る性質のものではありません。治療によって吃音が治るという考え
方自体がおかしいのです。なぜならば、治療を受けて吃音が治った人はいませんし、自ら主体的に
吃音改善に取り組んで治った人がいるだけです。吃音者が治療を受けるという受身の立場にたっ
て治療者から与えられたもので治っていくということは、考えられないものです。吃音者は治療とい
う受身の立場にたつのではなく、自ら自己をコントロールしていく能力を身に付けるという主体的立
場に立って自ら吃音改善に取り組むという姿勢がなくてはなりません。
話すことのできる条件を自己コントロールにより作っていけるかの能力の問題なのです。ここに、
吃音は治療法がないから治らないという理屈は、吃音の本質を全く理解していない人の屁理屈に
過ぎません。そして病院がこれまで吃音改善にほとんど無力の存在であった理由もここにあるので
す。病院は治療行為は行いますが能力の習得は病院の役割ではなく教室がその役割を担うのです。
吃音を治すことは、治療を受けることによって実現されることはではなく、自己の生体の緊張・不
安反応を思考法、意識やイメージの形成・持ち方によりコントロールする非常に知的な能力を習得す
ることにあります。これは、何度もいいますが、治療を超えたものです。
吃音は、治療によって治るものではなく、セルフコントロールの能力の習得によって治っていくもの
です。あるいは、吃音にどのように対処していけばよいかがわかり、治っていくものです。吃音を治す
ものは、治療ではなく、治療による能力の回復でもなく、新たな能力の習得にあるのです。
26. 吃音は、改善するけど治らないのではないでしょうか
当ルームの指導経験及びにルーム代表の吃音改善体験から申しまして吃音を持っておられる
方は、吃音を改善に導くに当たりたくさんの問題を解決していかなければなりません。改善する
とは、そのたくさんの問題のなかの一つか二つの解決が成されたということなのです。改善しても
まだ吃音が治らないということは、残された問題が未解決のまま残っているからです。この未解決
の問題に取り組み解消点を見つけ実行し改善をさらに進める、このようにして長い努力の末、ほと
んどの問題が解決すれば治るという状態を獲得できるのです。改善すべき余地が残らなくなった
状態が治ったということです。これは、経験から可能と言えるものです。
ただし、吃音を治したいと思うことは、別の角度から考えると話すことに関して不便さをなくしたい
という欲求ですから、改善が高度に進み、じゃっかん吃音の部分が残っていても、それが生活や
仕事にほとんど支障を来たさないレベルでありましたらその残った吃音の部分を消す必要性を、
本人は感じないはずですから、その改善取り組みは行わないという事情で吃音が残っている人が
大勢いると思われます。治らないのではなく、治す必要を感じないほどその方の吃音問題は小さく
なっているということです。
27. 吃音改善努力を長続きさせる方法はあるのでしょうか。
逆説的に申しますと、長続きしない大きな要因の一つは、あまりにも真剣に真面目に吃音改善
に取り組むからです。吃音改善はマラソンと考えたほうが良い。それを短距離走のようにゴール
を目指して全力疾走していけば、必ず途中でつぶれます。長い長い道のりと思えば、途中、気分
転換で休みをいれてもよいものです。
さらに大事なことは、吃音を優先にした考えは捨てなければならないことです。吃音だから仕事
に勉強に積極的になれない、恋愛にも結婚にも身が引いてしまうという考えは、吃音を優先した考
えで、このような考えは無くしていきたいものです。吃音だからあるこをやらないということは、ある
ことよりも吃音を優先した考えなのです。会社に入れば、吃音よりも仕事を優先しなければいけな
いという現実にもろにぶつかります。そこで相当苦労があります。その苦労を耐えて仕事を続けて
いきますと、その人間は成長して強くなります。
吃音改善努力は、仕事、勉強、家庭、恋愛友情と同時並行で行うもので、吃音が治ってから何か
をしようという考えは、一番有害で危険な思考です。
河合隼雄氏の本を読んでいましたら、大変感銘を受ける話がありました。牛に引かれて善光寺参
り、そう吃音者にとって吃音とは牛なのだと思うとなにかさとりを得たような気分になりました。
28. インターネットを利用して吃音を治せるのでしょうか
当ルームの指導経験から説明します。吃音改善を取り組むに当たりまず何から始めるかが大変
重要です。このスタートで取り組む内容は、個々に異なってきます。みな同じではありません。状態
が異なっているからです。インターネットで改善方法が紹介され、それを実行してみて結果は
出ないという経験をされた方は多いと思います。このことは、その改善方法を実行する前に解決し
ておかなければならない問題が残っているのです。吃音改善指導には、必ず段階というものが
あるということを、これまでの吃音改善指導経験からいやというほど痛感しました。吃音改善指導
を行うに当たり、その方にはどの段階から始めるかが重要なポイントなのです。分かりやすく話せ
ば2段階のレベルの方が8段階のレベルの指導から始めると必ず失敗します。
インターネットで吃音を語る場合には、一般論のレベルを超えることはできません。個別論は、
個々人に向かって話すしか方法がありません。個人で吃音改善を取り組む際の最大の問題は自
己の発語行為の問題点をどの程度細かく把握しているかです。
私には痛い思い出を持っております。メールで吃音改善指導を行い、ある時、その方と実際に
お会いする機会を持ったわけですが、その方の発語の姿は、私がメールのやり取りで想像してい
たものと相当異なっていました。そのときにメールで指導してきた内容は、その方に取って意味の
薄いものであったとすぐに分かりました。そのまえに取り組むべき事をたくさん持っていると分かっ
て大きなショックを経験しました。メールで指導する危険性はここにあるのです。カウンセラーをメー
ルで可能かという問題もここにあります。クライアントのメールを読んだところでクライアントの問題
点をつかめることはありません。クライアントの気のついていない問題にカギがあり、これは実際に
何回かお会いして話し方を観察しなければ正確につかめないものです。このクライアントの気がつ
いていない問題点を掴み出しそれを指摘することがカウンセラーの役割であり、吃音改善を指導
する人の役割でもあるのです。問題は、クライアントの語るところとは別の方向にあるものです。
実際に合って観察することは、欠くことのできない条件です。メールで教えてもらいながら取り組
んでも、うまくいかないケースの方が多いのは以上の理由からです。
吃音を改善する最短で最良の方法は、吃音を詳しく理解している人に話し方を見ていただき、そ
の上で、アドバイスなり指導を受ける道です。メールだけでは、絶対不十分ですし逆に悪化の混乱
を引き起こす危険性があります。
私に吃音をどうしたら治るのでしょうかと聞いてくる方に対して、まず話し方を見せて下さいと言い
ます。その人の話し方の状態を見なければ、アドバイスなり改善指導は不可能であるからです。
仮にメールであるアドバイスを与えたとして、その方がそれを実行したとします。その実行のシーン
を教えた側の人は見ていないのです。教えたことが正確に実行されているかも確かめられません。
これでは、その結果に対するケア―はできません。これは、大変危険なことなのです。ケア―がで
きないことは行ってはいけない。私の経験では、吃音改善を指導する人は、野球のコーチと同じで
す。教えたことをその選手がどのように実行しているかコーチは実際の目で見ているのです。見て
さらに指導を進めます。インターネット・メール指導では、これが全くできないということは致命的な
欠陥を持っているのです。
当ルームでは、受講生に実際にロールプレイングの形で電話を使って話してもらいます。また
実際に自己紹介も行ってもらいます。この指導した内容の実行の姿をロールプレイングの形にしろ
観察することができるということが、指導を進める上にどんなに大切なことか痛感してまいりました。
29. 吃音とは、何なのでしょうか
吃音とは、話そうと思って発語しようとするときに無意識に持っている結果はこうでありたいと
のイメージを実現できないことと言えます。例えばサービス産業に勤めている方が顧客に”ありが
とうございました”と話す場合には、顧客にこちらの感謝の気持ちが伝わる形で話そうとするイメ
ージを持ってそのことを実現しようとするのですが、結果としてその方の意図を実現できない、こ
れが吃音というものだと定義することもできると考えます。簡単に述べれば思ったように言葉を
話せないです。吃音者とは、この状態が半ば習慣化され頻繁におこる傾向を持つ人であると定義
することもできます。
非吃音者は、吃音者の話そうと思っても話せない姿を見て不思議がるのですが、冷静に考えてみ
れば、これは不思議でもなんでもないのですね。非吃音者でもこれは経験していることなのです。た
とえば、大変あせってあわてた状態で何かを話そうとすると言葉がその人のイメージ通りに出ない、
これは、吃音者の吃音に陥っている状態と同じようなものだと考えています。また、人前で話す経験
を持っていない方が大勢の人前に出て話そうとすると、結果はその方がこのように話そうと思って
いたものと相当異なるものになると想定できます。これもこのように話そうと思ったが、結果として
違ったものになったという意味で、思ったように言葉を話せなかったという意味で吃音状態に陥った
ものと考えても間違いではないと思っております。
人間の話す動作は、生まれたときから身についているもではなく、親の話し方を見ながら2,3歳の
時期に学んだものでです。この時期に言葉を話す運動神経回路が脳に形成されていくと言われ
ます。この発語動作の運動神経回路の形成によって神経を通して各発語器官に脳から信号が送ら
れその信号によって発語器官が動き言葉の発声という結果になると考えられます。言葉が発声さ
れないということは、言葉を話す運動神経回路はあるのですから神経から発語器官に信号は与え
られているはずです。この信号が与えられても発語器官が言葉を発声する動きに移らないと考え
られます。なぜ移らないのかそれは、信号が与えらた発語器官の状態が本来動く状態から乖離し
てしまっていると考えられえます。つまり発語器官の筋肉の収縮度が不安・刺激によって限度を
越えて収縮状態が高まってしまっているからです。この状態では、その方の持っている話す運動
神経回路は、使い物にならないのです。解決策は、この高進された筋肉収縮度を下げること(これ
には、限界があります)および下げられないで残っている筋肉の収縮度に対していかなる種類の
信号を送れば、発語の動作を行うかを習得することにあると考えます。
吃音を改善する道には、通常の状態から乖離された緊張・不安状態においても発語器官が動く
発語運動神経回路を新たに作り上げることもあると思っております。吃音を高度に改善した方は
通常の発語運動神経回路の他に別の発語運動神経回路を複数持っており、色々な状況にうまく
使い分けていると考えたりもします。別の解釈をいたしますと吃音を高度に改善した方は、平常
状態から不安・緊張状態まで幅広く適用できる柔軟な発語運動神経回路を努力によって作り上げ
保持していると考えることもできます。これはセルフコントロールの姿であります。複数の発語運動
神経回路を作ること、柔軟な幅の広い発語運動神経を作ることは可能か。これは当然可能です。
なぜならば大人の人間が持っている運動神経回路は生後に作られたものだからです。運動神
経回路は作られるものだからです。
当ルームへの受講生には、このことを指導していきたいと思っております。
30. 調子の波はなぜ起こるのでしょうか
まずその人の吃音の状態というものがあります。その状態とは、ある刺激に対する反応の大小
と吃音発生に対する警戒心の大小にもなります。警戒心が強すぎると刺激に対する反応は強く
現れる傾向にあります。この状態というものは見えないもので正確に把握することは難しいところ
があります。この状態は、発語行為の結果から調子がよいとか調子が悪いというふうに判断して
いるはずです。この判断の誤りから波は起こるのです。人間は暗示にかかりやすいことも波の
原因です。少し調子が良くなってもう直ってしまったのかなと誤った判断を行います。そうしますと
警戒心も弱まり反応も弱まるという好循環がおこり調子よく話せる状態が続きます。しかしある
緊張を強いられる場面に置かれたり、あわてるような情況に置かれると刺激に対する反応も強く
出るようになり、自分の思っているような姿からずいぶんと異なった吃音の形が現れるのです。こ
こであれーと驚いてしまうのです。直っていると思っていたものが違っていた、自分の判断の誤り
に気が付きショックを受けるのです。この時点から吃音発生に対する警戒心が大きくなり発語の
調子が落ちます。ここでまた判断の誤りを犯すのです。もう話せなくなってしまうのではないかと
いう暗示にかかってしまうのです。そうしますと発語はさらに悪化するのですが、全く話せなくなる
という状態にもなりません。少し話せると話せなくなるという判断の誤りに気が付いて少し安心を
します。そこから吃音に対する警戒心が弱まり調子は上向いていきます。
吃音の波とは上記の繰り返しであります。この原因は、自分の吃音状態の判断の誤りからくる
ものです。判断を誤りそれに気がついて驚くという姿です。正確な判断つまりは甘めの判断をなく
すことが、波の発生を防ぐ道になります。
31. 吃音改善の目標はどのへんに置くべきか
吃音改善の目標は、どのへんに置くかは非常に重要であると考えます。吃音の完治を目標に
置くことは大変危険で有害なものになると考えます。(この吃音の完治は難しいとか言う人は、吃
音に対する理解の大変浅いことの証明にもなります)なぜならば、吃音の完治は吃音の発生を
少しも許さないという態度になることです。これは誤りなのです。人間はある条件下においては
吃音状態になることは生理学上避けられないものだからです。吃音を完治したいという思いは、
発語行動において完全なる自由を獲得したいという願いに他なりません。しかし話すことにおい
て完全なる自由を獲得している人間などこの世の中に存在いたしません。必ず話しづらさという
抵抗を程度の差はあるにしろ全てに人間が受けるわけです。話しづらさという抵抗を受けること
は、話すことに完全なる自由を獲得できない証明になります。吃音とはこの話しづらさを無視して
強引に自分の思っているように発語しようとした結果、当然のことながらの発語に失敗を重ね
その結果として自分は普通に話せないという観念を持つようになりそれが防衛本の喚起を促し
緊張や不安が高進していくというプロセスをたどるものです。吃音改善とは失敗のない発語動作
をゼロから作り直すことと言えましょう。
それでは始に戻って吃音改善の目標は、どこに置くかは、次のように考えます。
自分の話したいことを自分も相手もそれほど苦痛に感じることもなく相手に伝えられる。
話す目的は、相手に自分の意思を伝えることです。まず伝えられれば良いと考えられます。伝える
姿(話し方)は、相手のあることですから相手が苦痛に感じないものとは、話す自分が苦痛に感じ
ないものでいいと考えます。そのためには冷静さを維持することが最も重要です。不安や動揺は、
相手に伝わる性質があります。話者が不安・苦痛を表すような話し方は、聞き手にも不安・苦痛を
感じさせることは、客観的事実になります。このそれほど苦痛に感じることもない話し方は、練習・
訓練によって習得できるものです。話すことに時間がかかることは、許容する必要があります。苦
痛に感じない話し方は無理のない話し方であり、そのためには話す行為に余裕のある時間を与え
てあげることです。
吃音は、完治しないということを言う人は多いですが、吃音の不便さということに焦点を当てれば
完治しなくても、自分の話したいことをそれほど苦痛に感じることもなく相手に伝えることができるよ
うになれば、吃音の悩みは問題にならないほど小さなものになるでしょう。よく吃音が治ったという
人に対して、完治はしていないとネガティブな発言をする人はいますが、完治していなくても吃音状
態が若干残っていることはあっても、自分の話したいことを自分も相手もそれほど苦痛に感じること
もなく相手に伝えられるレベルに改善した吃音者は数多くいるであろうし、そのレベルを目標に改善
努力を行うことは、実現可能ですし、当ルームはその方針で指導して成果が上がっています。
32. 吃音はどうしたら治るのでしょうか、教えてください。
当ルームは、メールで”吃音はどうしたら治るのでしょうか、教えてください”という質問を毎月と
いっていいほど匿名で受けます。
声を出すこと、発語すること、発声すること、これらは動作の結果であることを忘れてはいけませ
ん。思ったように発語が出来ないということは、動作に問題があるのです。動作に問題があるとい
うことは関係する筋肉の収縮と弛緩という点に問題があり、さらにはホルモンの影響もあります。
このように考えていきますと筋肉の収縮と弛緩のバランスを適正に改善させる、刺激との対処の
仕方を学んでホルモンの影響の抑制を図る、吃音改善には学ぶべきこと習得すべき技術は、た
くさんあるのです。
筋肉の収縮と弛緩の適正な感覚は、実際に発語という動作を行なった上で感覚としてつかむ
必要があります。頭で理解するのではなく肉体でその感じをつかむということです。スキー教室
でもテニス教室でも技術の習得は体に覚えこませることなのです。吃音の改善も発語動作の問
題ですから体に覚えこませることが有効な解決策です。吃音を病気と考えますと治すという考え
にとらわれ治す努力を行い迷路に迷い込む公算は大です。現状において発語という結果を出す
ことに焦点を絞って技術的な対応を行なう。この技術の習得に努力する。吃音改善努力とは、
スキーやテニスの技術の習得と何ら違いはないと考えています。極論すれば、吃音改善は技術
の習得にかかっているのです。自律訓練法は受動的注意集中という技術の獲得の問題にかか
わります。
これまで吃音の改善を果たした人は、冷静さを獲得する相当な対応力を獲得した方と考えてい
ます。この細かい対応力こそ吃音改善に必要な技術になるのです。教室は、この技術の習得を
獲得する場であります。
ディストラクション効果を利用した技術は、これは皮相的で安直な技術で吃音改善にとって技
術といえるものではありません。ディストラクション効果にとらわれない発語技術こそ永続的な
吃音改善に結びつく技術となるものでしょう。
メンタル面を発語動作に適した状態につくる、これも現代の心理療法の進歩から考えて技術
の習得・訓練により可能となるものです。
33. 言友会の吃音者宣言についてどう思われますか。
吃音者宣言を読んで感じることは辛いという思いがどうしても先に来ます。吃音者の最大の関心
事である吃音の改善の可能性について何も語られていないからです。吃音は変わりそうもないが、
吃音者自身の意識改革、社会の吃音に対する意識改革の必要性を訴えその決意を高らかに唱え
ている内容になっております。この意識改革に対して異を挟む要素はありません。
しかし前半の吃音は変わりそうもないという部分は、あまりにもトーンが重く、辛い思いが来ること
は否めません。この宣言の起草者の吃音の改善に対する可能性についての考えが語られていな
い点がこの思いを助長しています。この可能性を抜きにして吃音問題は考えられないからです。
最初にこの宣言を読んだときと異なり、現在別の視点からこの宣言の内容を読み返してみると
いろいろな思いにかられます。まず宣言の一部に次のような文言があります。
どもりを治そうとする努力は、古今東西の治療家・研究者・教育者などの協力にもかかわら
ず、充分にむくわれることはなかった。(吃音者宣言より)
結局、成功を勝ち得ていないということですが、なぜ目的が適えられてこなかったか、その原因
を分析する必要があります。一般に努力してもダメであったことは方法が悪いと思われがちで
すが、そうとも限らないのです。ある努力には、必ず目的があります。この目的に問題がある
ために結果として努力が無になることは多いものです。吃音の議論において、この目的について
あまり考えられてこなかった印象を筆者は、持っております。この目的とは、どもりを治すという
ことですが、もう少し別の見方をすると現在の状態をある別の状態に変える、つまりはある別の
状態を獲得する目的になるはずです。この目的実現のための努力であるはずです。
吃音を治すというと、吃音が起こらないようにすることではないかと単純に考えますが、この
一見あたりまえと思われる観念も疑ってかかる必要があります。吃音が治るということは本当
に吃音がなくなることなのか。たとえば、対人恐怖症の青年がいるとします。対人恐怖が治る
ということは、人がこわくなくなることか。赤面恐怖症の青年にとって赤面恐怖が治るということ
は、人前で顔が赤くならないことか。もし対人恐怖症の青年が他者をこわくならない目的で努力
したとして、その努力は対人恐怖症の解消につながるのか。赤面恐怖の青年は顔色を変わらない
努力を行なうことが赤面恐怖の解消になるのか。ここで筆者の語りたいことは、吃音を治すと
いうことは単純に吃音をなくすということではないということです。発語という行為を発語動作と
いう面から語ると吃音とは、自己の意思で発語動作をコントロールできなくなることですが、非
吃音者も自己の意思で発語動作をコントロールできなくなることは状況によって当然起こりえる
ことなのです。
吃音者と非吃音者との違いは非吃音者が一般に発語動作をコントロールできる状況において
も、吃音者は発語動作のコントロールを失ってしまうところにあります。この状態は吃音者に
おいても相当な個人差が認められます。従って吃音を治すということは、いかなる状況におい
ても自己の発語動作を問題なくコントロールできるようになるということではなく、非吃音者と
同等の発語動作コントロール能力を獲得することになるのです。
吃音を治すということは、吃音をなくすことではなく非吃音者(非吃音者にも相当な個人差が
あります)になることなのです。
このように考えると、吃音者宣言で語らえている吃音を治すということに対するネガティブな
論調も、なにかハードルが下がって可能性が見え来ると思われませんか。これまでの吃音を
治すという努力が単純に吃音をなくすという非現実的な目的に向かって行なわれてきた不毛
な努力であったということに思い至るならば新しい道が開けてくるはずです。吃音者の吃音が
治った状態とは、非吃音者に近づくことで、現実にモデルがありますから大変幸運であります。
努力は、目的に実現可能性を有することが結実の条件です。
吃音を改善する努力は、長続きせずどうしても途中で挫折に終わるということは、この目的・
目標に論理的妥当性を欠いているのです。しかしこの目標も最初から欠点のないものを作り
出すことは、到底不可能で改善努力の過程において修正を重ねながらより実現可能なもの
へと進化させる必要があります。この努力を吃音の改善を果たした人は辛抱強く行ってきた
はずです。吃音の努力を疑問視する人は、この努力を行ったことがあるのだろうかとふと思っ
たりします。
言友会のあゆみを読むと、吃音を治す努力の否定をいう言葉がでてきますが、これも努力
を否定するということが本心ではなく、これまで行ってきた努力の目的に不信の目が向かっ
たことの表れではないでしょうか。その後の言友会の活動は、新たに目的を模索する努力の
旅であったはずです。
34. 吃音の改善には、なぜ時間がかかるのでしょうか。
吃音という問題を持っていない青年が学校を卒業して会社に入り、そこから仕事での発語能
力がどのように向上していくのかを考えてみてください。入社した始めのころは、電話の応対も
緊張気味でぎこちないものです。でもそのぎこちないまでも何回も電話など繰り返していきますと
緊張が取れ自然な形に変わっていきます。この間に起こっていることは、ぎこちないまでも電話
でなんとか話せたという結果からなんとか話せるという自信が少しずつ育っていくのです。自信
が育つと不安が減少し、緊張状態も低減に向かうという良循環になります。吃音という問題を
持っていますと、電話の経験が非吃音者の場合には自信を得る蓄積になるのとは反対に自信
を失う蓄積になるのです。非吃音者は、年齢とともに話す自信が成長して大きくなりますが、
吃音者は、話す自信というものの成長が起こらず逆に自信喪失に陥ります。吃音者の問題は
吃音そのものを考えがちですが、話す自信が育たないという面を重視すべきであり、これは社
会に出て大きな問題となるはずです。
吃音の改善とは、吃音をおこす原因を把握して適切な対処を施し練習を行い、その上で最小限
の自信の蓄積につながる話し方を身につけ、この自信を辛抱強く育てるということなのです。非
吃音者と同レベルの自信を育てるということが吃音改善なのです。これは、可能です。後は、この
育てるために必要な期間になります。重い吃音の方は、数年ということになるでしょう。軽い吃音
の方でも半年はかかるはずです。話すことに対する自信は、一度に大きなものを育てることはで
きないということが筆者の経験から得られた答えです。強引に短期間に自信を育てようとすると
失敗するということが筆者の経験則です。促成栽培では丈夫なしっかりした自信は育たないと
いうことです。時間をかけて丁寧に育てる、小さな自信を数で増やして大きなしかりした自信へと
育てることが肝心です。また自信と技術はコイン表裏の関係にありますから、自信を育てるには、
それを支えるしっかりした技術の習得が条件になります。分かりやすい例えで申しますと、イチ
ロー選手や往年の落合選手などは、スランプがあっても大変に短くすぐ調子を取り戻し安定した
高成績を残しています。この偉業は、心身ともに優れた高度な技術の裏づけがあってのもので
す。この技術も不断の辛抱強い繰り返された練習の結果です。声が出るということは、筋肉の
収縮・弛緩の結果なのですから、どのようにこの収縮と弛緩をコントロールするかは練習によっ
て悪い形から適切な形に変えることは可能なのです。例えるならば、吃音者は、大きなスランプ
に陥って、そこから抜け出せない人です。抜け出すには、技術的欠点の自覚とフォーム矯正の
徹底した練習です。理に適った無理のないフォームの習得により成績が安定して自信が育って
いくのです。
よく吃音者は、どのように話せば吃音がおこらないかと考えますが、たとえそれが分かったとし
ても、分かったことで吃音から解放されるのではなく、このことは吃音改善の出発点に立ったに
過ぎないのです。そこからいかに自信の蓄積を図って自信を上手に育てられるかに吃音の改善
の成否は、かかっているはずです。
吃音改善には、なぜ時間がかかるのかは、失った自信を非吃音者レベルの自信まで育てなけ
ればならないからです。自信を育てることは、大変時間のかかることなのです。
35. 努力逆転の法則を使って吃音改善努力を否定できるでしょうか
人間だれしも楽をしたいと思っていますから、努力は誤りだと言われるとうれしくなってしまい
ます。ああこれから努力せいと言われずにのんびり好きな事を楽しめると子供などは喜んでしま
います。これをささえる言葉が筆者のきらいな”努力逆転の法則”です。深くものを考える人は、
この”努力逆転の法則”という言葉を軽蔑するのではないでしょうか。つまり、浅い考えから出て
きた言葉なのですから。ある目的を得るためにある努力を行なう。結果は目的を達成できないど
ころか、かえって状態が悪くなった。努力が犯人で逆の結果になってしまったというものです。
吃音を治そうとして努力したがかえって吃音状態が悪化したという例にこの言葉が良く使われ
ます。ここで重要な事は、努力の内容を問う事をしないで、努力をして悪化したという考えです。
ある目的を達成するためにある努力を行なう、この努力が目的を達成させるが力を持つかは、
努力の内容次第なのです。つまり努力が悪いのではなく、努力の内容が目的達成を実現するもの
ではなかったということです。問題は努力の内容であり質でもあるのです。努力そのものには、
全く意味はないのです。努力の内容に意味があるのです。
”努力逆転の法則”は、努力という言葉が内容を問わずに、がんばろうという狭い意味で使われ
ているはずで、この努力という言葉の中には人間の知恵というものが全く含まれていない単なる
言葉の遊びで、単純にがんばろうと全力を尽くしたところで吃音は治らないよ、不眠症の人が眠
ろうとがんばったところで眠れないよという常識を語っているに過ぎないのです。この”努力逆転
の法則”という考えから努力をしても問題解決につながらない性質の不具合がこの世の中には
あり、吃音というものは、その代表例のようなものであるという考えを持つとしたら、それは大き
な誤りを犯している事になるのです。吃音は、単純な努力では、改善しないだろし、逆に単純な
がんばろうという意気込みが悪化という逆転の結果を招く性質を持つものですが、原因に立脚し
て原因の低減に結びつく努力を辛抱強く積み重ねることによって、改善が進み治っていくものな
のです。
不眠症の人が、自律訓練法に取り組んで不眠症が改善したという例はよく聞かれますが、この
方は、自律訓練法に努力して結果として不眠症が改善されたのです。つまり不眠症の方が、眠ろ
うと努力したのではなく、自律訓練という内容のある努力を行なうことによって目的を達成された
のです。
”努力逆転の法則”という言葉の努力の意味は、努力の内容は含まれていないで、単なる”が
んばろう”という狭い意味で使われているのです。広い意味で捉えると誤った大変害のある努力の
内容も否定するということになり、この誤った使い方には気をつけたいものです。
吃音の解消を進める力のある努力の内容は、当然存在するものです。吃音の改善につながる
努力とは、ずばり申して、結果として吃音の原因を小さく弱める事につながる努力です。ただがん
ばるは、吃音の原因を弱めることにはならないので、無意味なのです。
筆者のこの”努力逆の法則”という言葉がきらいな理由は、これまで人間は、知恵を使っていく
たの困難を克服してきましたが、この知恵に信を置かなければ進歩は止まってしまう、問題解決
能力の退行がおこるのです。吃音は、個人の知恵のレベルで随分と改善される性質の不具合だ
ということが、筆者の吃音体験から得た思いでもあります。
36. 吃音は、なぜ病院で扱ってもらえないのでしょうか。
吃音の原因を考えてみてください。まず吃音の記憶、この記憶がまた吃りやしないかという予期
不安をおこすもとになっているものです。さらに非吃音者と比較すると吃音をおこさないで話せた
という経験回数(これも記憶で、自信の源です)が絶対的に不足しているのです。では、この吃音
の記憶を病院で取り除いてもらえるでしょうか。ある自分に取って好ましくない記憶だけを削除し
てもらうことを病院が扱うでしょうか。さらに病院では吃音をおこさずに話せたという記憶を人工的に
脳に移植するなんてことはできるでしょうか。病院で吃音を扱うには、困難な問題があるのです。
解決策は、吃音を改善する取り組みを決意したならば、その時点から向こう数年間で不用意な吃
音をおこす回数を減らして、これから新たな記憶(吃音をおこさずに話せたという記憶)を作るとい
う努力にあります。
もう一つの大きな原因、発語動作上の癖、スランプに陥った野球のバッターのフォームの乱れと
同じようなものですが、この特徴は吃音者本人に全く自己の発語動作上の悪癖の自覚がないこと
にあります。この悪癖の矯正を病院で扱うでしょうか。スランプに陥って悩んでいる野球選手が病
院に行くことを考えるでしょうか。この悪癖は、野球ならば野球のことを経験して細かい事を隅から
隅まで知り抜いている人でなければ見抜けないものです。病院で悪癖を直すことは、全く出来ない
でしょう。この悪癖を直せるところは、教室になるのです。その理由は、吃音なり野球なりの細かい
ことを知り抜いている吃音経験者だけがこの悪癖を経験から把握しているからです。
吃音の原因を考えてみてください。吃音をおこしたこれまでの記憶、発語動作上に染み付いてし
まった不適切な癖、これらを改善する能力を、病院は持ち合わせていないのです。将来、病院で扱
ってもらえるという幻想は、論理的に考える人ならば持てないはずです。吃音改善の役割は、病院
ではなく、教室です。
吃音を治すという考えは、どうもおかしいものです。治すという考えから病院を考える、ここに誤り
がおこるのです。その理由は、吃音の記憶というものは消せないからです。消せたとしても、次の
吃音をおこさないで話せたという記憶もありません。ではどうするか、発想を変えるのです。新しい
記憶をこれから未来に向かって作ることなのです。吃音をおこさないで話す実行により吃音回数を
減らす、その結果新しい吃音をおこさないで話せた記憶が古い吃音がおこっていた記憶よりも優
勢になれば、吃音は改善に向かいます。治すという考えではなく、吃音をおこさないで話すことがで
きたという新しい記憶を未来に向かって時間をかけて作り上げていく努力を持続する。この努力に
より、吃音の原因である吃音の記憶の変質がおこるのです。吃音をおこさないで話すためには、発
語動作の誤りを自覚した上で正し、誤りのない発語動作を繰り返しの練習によって習得する必要
があります。
ぜひ吃音をおこさないで話せる能力を習得したい方は、改善教室をご利用ください。
37. 吃音を経験していない人が吃音改善を指導することは難しいのでしょうか
吃音の改善指導の難しさは、他のスポーツと比較するとはっきり分かります。例えば野球のバッ
ティング動作は、外からフォームが見えますから、前に突っ込みすぎだとか体が開き気味だとか、
ボールを呼び込んでいないとか、形として観察できるのです。ところが、吃音の場合には発語にい
たる動作の形がフォームとして見えないのです。発語動作はあたかもブラックボックスに入ってい
て結果(発語結果)だけが、表に現れるのです。さらには吃音者の発語を行う際の意識状態、思考
状態も発語動作と同様に吃音理解に対して大変重要な要素になりますが、これらも見えないもの
です。ここに、吃音を経験していない人が吃音というものの発生原因を理解する上での困難さがあ
るのです。吃音者と非吃音者の発語動作の違い、意識状態の違い、思考状態の違い、全て見えな
いもので、これらを詳細に調べられる器械等も筆者の知りうる範囲ではこれっといったものは話題
になっておりません。ここにおいて吃音を経験していない人が、吃音改善指導する場合に原因の
軽減に結びつく指導方法を考え出すためには、あまりにも材料がとぼしいと痛感するはずです。
吃音経験者や吃音者は、発語動作が見えなくても感じることはできるのです。発語の際の意識状
態、思考状態も感覚としてつかむことができます。この感じこそが吃音というブラックボックスに入っ
た不具合要因を手探りで感じ取ることの手助けになるものなのです。この感じ取る作業は、吃音を
経験していない人には大変困難な仕事です。
さらには、このようなことを試みると結果としてこうなるという多くの事例を吃音改善者は、経験と
して保持しています。この経験に基づいた知恵、知見こそが吃音改善に至る道しるべでもあるので
す。吃音を経験していない方は、経験に基づいた深みのある知見に劣ることは否めません。
吃音を経験している人でも吃音に対して語るとそれぞれ違った形になります。これも見えない世
界を手探りで感じ取ったものを言葉で表現することの難しさによるものと考えられます。
38. 吃音の恐れを低減させるには ?
吃音をかくしたいという心理は、吃音への恐れからくるものだと考えています。この吃音への恐れ
を持つ限り、吃音の改善は難しいという現実があります。吃音という恐れているものを、持っている、
恐れているゆえに、かくしたいという心理が働くと見ています。従って、この恐れの程度が減少する
に従って、かくすという程度も弱まっていくものです。
吃音の改善とは、吃音の恐れの低減と比例するものです。なぜならば、恐れが低減されれば、冷
静になれるという原理からです。冷静になれば、発語という課題を実行しやすくなります。
吃音の恐れを低減させる方法は、いくつかありますが代表的なものは、次の二つと考えています。
@ 吃音症状の発生メカニズムを理解する。具体的な理解は、難しいですが抽象的な理解は、
可能です。理解をすると恐れは低減します。古代人は、日食を非常に恐れたといわれています。
現代人は、日食の原因を理解していますから恐れません。このように、理解できると恐れは
なくなります。
A 吃音状態を冷静に受け止め、観察してみる。吃音状態を恐れ、吃音状態になるとこの状態か
ら逃れよう逃れようとする方向にエネルギーが向かうのではなく、吃音状態とは、いったいど
ういうものか、どのような性質があるものか、冷静に観察を行う。その観察から吃音状態の姿・
性質をつかめるようになり、そこから新たな吃音の対応を学ぶことができる。吃音状態と冷静
に正面から向き合って吃音状態を観察することにより吃音の対応を新たにつかむことができ
れば、吃音の恐れは低減します。
当ルームの受講生は、吃音状態の発生メカニズムを抽象的にでも理解できたことの結果により、
随分と気持ちが楽になりましたと発言しております。この楽になったということは、吃音への恐れ
の低減の証明になり、吃音改善の始まりがおこるのです。
39. 吃音改善努力の挫折を防ぐ方法はあるでしょうか ?
吃音の改善努力は、どうしても長続きしないということが、一般の傾向です。なぜ続けられない
かと申しますと、単純に考えまして短期間では目標が達成できないからです。ここでの問題は、
ある目標を立てて、その目標は標準でどの程度の期間で達成できるかが、事前に分からない
ことです。いつ目的地に到着するか分からない電車に乗っているようなものです。普通なら、辛
抱しきれずに降りるというものです。
筆者の経験では、現在の状態を、目標の状態に強引に近づけようとする努力は、失敗するもの
です。目標に向かってがんばろうとすると、常に目標と発語結果を比較して、そのへだたりに落
胆し苛立ちます。この結果は、意識過剰に陥り、意識過剰は、吃音改善の逆行になります。
では、目標を置かずに吃音改善努力を行なえるのかという問題ですが、目標は立てずに現
状の実力を少しでも向上させるという方針で臨むのならば、吃音改善努力は、継続可能にな
るのです。少しでも向上が図られれば、それで良く、現状維持も許容範囲に入れておく考えです。
このような方針を立てると、実際に気持ちは、落ち着くものですし、最も改善に害のあるあせり
の防止にもなります。なぜならば、発語結果は、目標と比較するのではなく、以前の状態と比較
するからです。以前の状態と比べれば、すこしは良い方向に向かっているかと思えれば、落胆、
苛立ちは防止でき、改善努力の頓挫はおこりません。目的地にいつ到着できるか分からないも
のですから、視点は、目的地に向けずに、足元に向けることです。
難発語を自由に話せるようになりたい、電話で緊張することなく話せるようになりたい、これら
は目標として反対するものではありませんが、現在の実力(状態)と自由に緊張することなく話
せるようになる状態との距離は、どの程度あるかは、個人個人違いますし、いつ到達できるのか
を予測することは大変困難なものです。ただし、現在の実力・状態を、少しでも向上させる努力
を行うならば、この距離は、小さくなっていくのです。でも距離があるために、自由に緊張なく話
せない、ここで、この結果に失望するか、距離は小さくなっていることに、小さな満足を見て、さら
に努力を続けるか、ここに挫折を防げるかのポイントがあるようです。
目標を置かずに、一歩一歩時間をかけて状態の向上を図り、自信を育て発語の安定を育てて
いく、この方針も大変有効な吃音改善の道であると筆者は、考えます。
40. 個人指導と集団指導の長所と短所を教えてください。
吃音という言葉の問題を持っている人に接すれば接するほど、吃音状態は、個々に随分と異な
るということが、身にしみて分かります。一番予想外であったことは、随伴運動の有無で、かなり
随伴運動を持たない吃音者がいるという事実です。筆者自身この随伴運動に悪戦苦闘した経験
を持っているのですが、この随伴運動という問題を持っていない方で結構吃音の悩みを抱えてい
る例は、多いのです。さらには、音読は、上手で話は苦労する人と、話は上手ではあるが、音読
となると冷静さを失ってしまう人もおります。難発語以外は、一般の人よりも話が上手な人と、全
体的に、話になると大変困難を覚える人とがおります。難発語でも、カ行系が苦手な人、タ行系
に限定される人、母音系が苦手な人、濁音や破裂音が苦手な人と、色々多岐に別れております。
電話でも、かけるよりも受ける方に問題を持つという人が多い特徴もあります。また、緊張・不
安が強く出る人と、あまり出ない人もおります。話すスピードも速い方からゆっくりな方まで、大変
幅が広いものです。
以上のように、発語に違和感を感じるという言葉の問題を持った人(吃音者)でも、個々にこれだ
けの違いがあるのです。吃音の大きな特質は、多様性です。この多様性のために、吃音改善の
取り組みの内容は、微妙に個人個人異ならざるを得ないのです。このように様々な異なった特徴
を有する言葉に問題を持っている人を、集団で改善を指導することは、不可能に近いことになりま
す。集団指導はどうしても、内容が抽象的にならざるを得ない弱点を持ちます。受講生は、その抽
象的な話から、自分自身の問題を解決すべき道を自ら作り上げるという難題を課せられることに
なります。さらに、ある考えによる方針は、吃音の軽い人にはプラスに働いても吃音の重い人には
逆にマイナスに働くということが実際におこりえるのです。ここが吃音の集団指導の弊害です。
個人指導は、その受講生の個別の問題に焦点を当てて指導を受けられる事から、原因から対応
の自覚を促しやすく、練習も受講生の問題に適合したものを行えます。
集団指導の長所は、他者の吃音を客観的に観察できることから、他者の吃音を聞いて受ける反
応が、自分の吃音を他者にどのように感じられているのかを想像できる点です。他者の吃音に接す
ることにより、吃音を客観的に見る目を養いことができるようになるという長所です。
もし発語能力の向上を願っているのでしたら、発語の上手な人に混ざって仕事なり活動を行うと
いうことが大変重要です。なぜ、大リーガーに野球選手がいきたがるか、なぜ欧州のプロリーグに
サッカー選手がいきたがるか、それは、能力の高い人に混ざってもまれる事により必ず、自己の
能力がアップされるという原理です。勇気を持って難しい環境に身を置くということの重要さを理解
していただきたいものです。吃音という問題を持っている人も、難しいと思われる話の上手な人達
のいる環境に入って、もまれるということは、発語能力アップのためにも、自己の成長のためにも
不可欠のことになるでしょう。
41. 発語練習は、吃音改善に必要かそれとも不必要なのか。
吃音改善に関するサイトは、増加傾向にあります。その中で、発語練習に対する考え方は、
分かれております。カウンセリング重視の考え方のサイトでは、発語練習は、意味がないという
意見さえ、公然と語られております。カウンセリング重視の主張を詳しく読んで見ますと、吃音は
自然治癒されるという考えがそこにあるようです。吃音は、自然治癒されるのなら、なにも発語
練習など不必要になります。カウンセリング重視の方が、発語練習も必要だなどど語るものなら
自らの信念である吃音は自然治癒されるという命題と矛盾を起してしまいます。カウンセリング
重視の方で、吃音は自然治癒されるという信念を持っているならば、吃音改善に発語練習は
無意味であるという主張を強いられるはずです。練習などしなくても自然治癒で治るのだからと。
しかし、発語練習を重視するサイトが現にあるという事実は、何を語っているのかを考えてみ
る必要はあります。発語練習重視派は、発語練習による効果を実際に見てきて、効果の確認も
行っているのです。発語練習否定派は、発語練習の効果を確認できないでいるという事実を語っ
ているのです。
当ルームは、発語練習重視派です。なぜ重視をするようになったかと申しますと、吃音改善
指導を始めた初期の指導方法は、言葉による指導を中心に行ってきました。カウンセリングサ
イトに書かれている内容とそれ程異なったものではありません。しかしこの言葉だけによる指導
では、どうしても限界を感じさせられました。発語も動作であり、動作に問題があるのならば、そ
の吃音という問題を持っている人は、どのように話してよいか適切なイメージを喪失していると
捕らえることができます。このケースでは、もう一度原点に戻って、適切な発語動作のモデルを
通して、真似るという発語練習が必要になるという結論に達するものです。
吃音改善によく出てくる条件反射という問題も、二つに分けて考えるべきものだと思っており
ます。一つは、反応としの条件反射であり、もう一つは、一般に癖といわれる条件反射的に取ら
れる動作です。ある刺激に対して条件反射的に反応(緊張、不安等)がおこる。これだけではなく、
ある刺激に対して条件反射的にある動作・行動を取ることが起こるのです。そして条件反射的
に反応が起こらない時でも、条件反射的にある動作、行動を取るために吃音が生じることが、
吃音者は、経験から知っているはずです。試しに、独り言で、吃音や難発の真似をして見てくだ
さい。簡単に言葉は、出なくなることが分かります。このように緊張や不安という反応の生じて
いない場合でも、条件反射的に取られる動作・行動によって吃音は簡単に起こりえるのです。
この条件反射的に取られる発語動作・行動は、繰り返し行ってきたという理由で習慣になってし
まい独り言では、この癖はでなくても、人前という条件では、無意識に不適切な発語動作をおこ
すのです。この代表となる動作に随伴運動があります。カウンセリングは、この悪癖を自覚という
手法で解決を図ろうとしていることが読み取れますが、自覚だけでは本人の気が付かない悪癖
が残ってしまうのです。当事者の自覚まで待つというカウンセリングの手法は、大変な時間を労
するもので、待ったとしてもその自覚にたどり着けるかは、保証の限りではありません。プロスポ
ーツ選手がなぜあれだけ優秀なコーチの指導を受けたがるかは、彼らには待つという時間など
持ち合わせていないのです。自ら自覚するのではなく、コーチを信頼して指導に委ねる。専門家
の見方に信頼を寄せる。吃音改善も専門家の見方に信頼を寄せて、指導をうけるという道は
有効性があります。事実、専門家に指摘されて始めて不適切な癖を認識するということが実際に
多くあります。問題を持っている本人は、細かい悪癖を自覚するなど大変困難であります。
この癖をなくすには、野球選手が悪い癖を修正するために必ず行う正しいフォームでのスイング
練習と同じように、その癖を使わない発語動作・行動を実際に繰り返し繰り返し実行して癖のな
い発語動作の習得がどうしても必要になります。そして、この治すべき問題となる癖は具体的に
何なのかは、専門家の指導のもとで行われなければなりません。吃音者が一人で発語練習を
行っても効果が表れない理由は、治すべき癖の実態を理解していないからです。発語練習は、条
件反射的吃音動作癖を有する人には、必要になるのです。条件反射を反応面からのみ捉えて
いる吃音理解は、不十分であります。条件反射における反応は、吃音を起す要因のワンノブゼム
に過ぎないということは、重い吃音経験を有する人ならば理解しているはずです。
それほど、発語動作における不適切な癖がついていない吃音者も中にはおります。この方の
場合には、特別に発語練習は、必要はなく、発語練習もなく吃音が改善されることも考えられま
す。その方が、ご自分は発語練習を行わないで吃音が改善したという経験から発語練習は、意
味がないと主張することは、吃音者は、皆同じだという危険な誤謬に陥っているのです。(吃音
者は皆同じで、私がこのようにして治ったのだからあなたも私の方法を使えば治るという危険で
誤った考え。もっと問題になる私の吃音改善の過程では、呼吸法や発語練習は行わなかった経
験から呼吸法や発語練習は、意味がないという誤った考え。ある改善の経験が役立つ条件は、
その改善された方と同程度の吃音の状態に限定される場合が多く、その方よりも程度の重い吃
音の改善には、役立たないことが、よく起こりえる。吃音者は、同じと考えるよりも、一人一人随
分と異なると考えた方が自然です。異なるがゆえに、ある方法が、Aさんには効果があっても、
Bさんには、効果がないことは、当然起こるのです。従って呼吸法は、ある種の吃音者には効果
があり、ある種の吃音者には効果が表れないということがあります。)
条件反射で、反応とは別に条件反射的動作が染み付いている吃音者の改善には、この癖の
除去を目的とした発語動作練習・訓練は、必要不可欠になります。
結論といたしまして、発語練習は必要か必要ではないかは、吃音は、自然治癒で治るのか治
らないかの一点に絞られると考えられます。当ルームは、成人の吃音で自然治癒で治る人は
大変少数ではないかという見方を持っております。大部分の成人の吃音者は自然治癒の道よ
りも発語練習・訓練による再条件付けが必要と考えております。
42. 吃音は、治った人のまねをすれば、治るのでしょうか。
一番大切なポイントは、何から始めるかという優先順位になります。治った人のまねをすれば、
治るということはありません。例えて言うならば、大学受験を考えますと分かりやすいのです。東
京大学の入試に合格した人の受験勉強を教えてもらって、それをそっくりまねをしたとして東大に
合格するでしょうか。このことが成立する条件は、受験勉強のスタート時点で、東大に合格した
学生の学力と同等ならばです。受験勉強のスタート時点で東大に合格した学生よりも数段学力
で劣っているならば、真似は意味がなく受験勉強のやり方は、当然異なって当然です。
このことは、吃音にも当てはまるのです。ある吃音が治った人の体験談を聞いて、それをまねし
て効果があるかは、その治った人の吃音と治そうとしている人の吃音が同等の性質を持つかが
大変重要なポイントになります。治った人の抱えていた問題点よりも、治そうとしている人の問題
点の方が多く重い場合には、真似をするよりもまた別に何から始めに取り組むべきかの優先順
位が必ずあり、それを冷静に分析する必要があります。このように、吃音は治った人のまねすれ
ば治るだろうという考えは実現性は低く、ご自分の持っている問題点を把握したうえで、何から取
り組むべきかを間違わないことです。吃音改善で始めに取り組むべき優先順位は、個々に皆違っ
てくるのです。
43. 吃音の改善は、再条件付けか自然治癒か
吃音を条件反射と捉えるならば、その改善手法は、この条件付けをいかに壊すかに、かかって
くるものと考えております。心理療法を勉強するならば、条件反射に原因を見る不具合は、この条件
反射をなくす働きを持つ別種の条件反射を形成させる手法を取ります。吃音のケースでは、吃音を
起こすことによって、不快感が与えられ、この不快感の蓄積が発語時に不安・緊張(筋肉収縮)とい
う条件反射をおこす原因の大きなもとになります。そうしますと、発語時にこの吃音による不快感と
いう経験を極力少なくしていけば、さらには楽に発語できたという快感の蓄積が成されれば、新た
に発語は楽なものだという条件付けが形成されます。
吃音の条件付けが、新たに発語は楽なものだという条件付けにより変質されて吃音は、改善とい
う道を歩み始めます。この再条件付けを促す訓練の誕生こそが吃音改善を願う人に待ち望まれて
いると思われます。当ルームは、以上の考えを基本に据えております。
自然治癒は、幼児期の吃音はある率で自然治癒されるとあります。幼児期を越えて青年、成人
になりますと、この自然治癒が働かないということが、一般に言われております。その理由は、この
条件付けが幼年時から青年期へと長期継続していますと、強固なものに変わっており、自然治癒
が働きにくくなっているという考えです。青年期でも、気にしないでいたら、治ってしまったという自
然治癒が働いた事例は、多くはありませんが、実際にあるようです。しかし成人の吃音者が一般
に難しいと見られている吃音の自然治癒に過度の期待を持つことは、好ましいことではないと思っ
ております。
当ルームは、この自然治癒が働くか、働かないかは吃音の程度の軽重にあると見ております。
軽い程度の吃音は、改善までの距離は短いと見ております。この距離の短さゆえに幸運な偶然
などが重なると成人でも自然治癒は当然起こりうると考えられます。しかし、吃音の程度が重い
人は、治る状態までの距離があり過ぎて自然治癒は、難しいと見ております。重い人は、再条
件付け等の訓練が必要であると考えます。
44. 話しの内容に意識を向けることは、難発を治す力を持って
いるのでしょうか。
条件反射理論から吃音を考察しますと、話すことは条件刺激になります。条件刺激に意識
が向えば、条件反射は起こり緊張反応が生じます。話の内容は、話すことよりも条件刺激と
して弱い傾向はありますから、話の内容に意識を向ければ、条件反射の喚起の抑制になり、
話す条件は改善されます。しかし実際に話す段階になれば、それまで話す内容に向ってい
た意識は話すことに向いますから条件反射は、そこで起こってしまいます。難発語を話すと
きには、どうしても話す瞬間になると意識は話すことに向います。これは、避けられません。
従って、話の内容に意識を向けるを実行していても、話す瞬間に近づいたならば、意識は
話すことに向います。難発は、その難発語を話すことに意識が向うと強い条件反射が生じる
特徴を持っています。この条件反射が抑制されなければ、難発の改善は、難しくなります。
話の内容に意識を向ける工夫は、話す瞬間になるとそれが実行不可能な理由で難発の
条件反射を抑制させる力は弱いのです。話の内容に意識を向ける工夫は、重い難発の改善
には、力が弱いと当ルームは見ています。
話すことに意識が向っても、条件反射が強く喚起されないように、難発語の発語練習によ
る条件反射抑制訓練が、どうしても難発の改善には、必要になってくるのです。
45. 吃音が治るということは、どのような状態になることなので
しょうか
この問題は、かなりはっきりしています。吃音が治るということは、対人において平均的な
大人と同等の発語能力を獲得することです。この能力とは、対人、大勢の人の前、電話での
発語能力です。
冷静に考えてみれば、吃音者が自己を吃音と規定するきっかけは、他者との違いを意識
するようになってからです。回りの人が、自己と話すことにおいて同じでありましたら、自己の
発語能力を問題視することはありません。他者との違いに問題意識を持ち、悩みが始まった
ことを、思い出すべきです。従って、吃音が治るということは、他者と違いがなくなる、対人に
おいて平均的な大人と同等の発語能力の獲得に他なりません。
吃音状態を話しづらさの高進した状態と定義するならば、この話しづらさは、程度の差はあ
りますが、人間には一生つきまとうものです。吃音が治るということは、話しづらさから解放さ
れることではないのです。緊張する場面で話しづらさを感じていても、何とか話すことはできる
という状態が平均的な大人の姿です。吃音が治るという状態は、話しづらさは感じるが結果と
して話すことはできる状態になることなのです。
吃音の悩みの本質は、他者との違いにあるのです。吃音の悩みの解消は、他者との違いを
なくすことで、このハードルは越えられないものではないのです。
46. 吃音を治すためには何に頼ればよいか
吃音者と非吃音者の違いで最もはっきりしている点は、それまでの人生で吃音のおこった
回数になります。非吃音者も吃音はおこる、しかしその回数は、吃音者と比べて少ないのです。
この回数に着目すれば、話すという行動の可否に対する経験的判断にはっきりした違いが現
われます。非吃音者は、それまで吃音はおこってこなかったという経験からこれから行う発語
行動は問題ないという経験的判断を瞬時に持ちます。吃音者は、それまでの経験から発語と
いう行動は、問題がおこる可能性が高いという経験的判断を持つのです。
従って、吃音者が吃音をなくしていくためには、経験的判断に頼ることはできないので、論理
的思考判断に切り替える必要が生じてきます。これまでの吃音が生じてきた要因の把握と、こ
の要因の抑制につながる新たな対応を取れば、発語行動に問題は生じないであろうという論
理的思考判断です。これまで吃音を相当高度に改善された方は、吃音の因果関係について
細かく正確な理解を持っておられます。これには、理由があるのです。この深い理解から論理
的思考判断が働き、予期不安の抑制につながっているはずです。
吃音を無くすには、意識してはいけないという考えが時々見受けられますが、逆に意識に
よって吃音不安をなくすことが可能になると考えます。吃音不安をなくすには、論理的思考
判断に頼るほかなく、論理的思考判断とは、最も意識的な行為なのですから。
吃音が治るとは、非吃音者になることで、非吃音者と同じように経験的判断によって話す
ことができるようになることと考えております。そのためには、吃音発生回数を非吃音者並に減
らし、問題のない発語の回数を相当数実現させる必要があると考えます。この考えから当ルー
ムは、吃音が治るために要する期間は数年は最低限必要あると主張しているのです。
47. 受講生の吃音は、改善しているのでしょうか
吃音が治るとは、自由に抵抗なく話せるようになることではなく、平均的な人間と同程度の
発語遂行能力を獲得することに他なりません。この実現も長い年月をかけて一歩一歩近づく
他ありません。吃音の改善とは、ある吃音者が100の話すケースのうち何とか対応できる
ケースは、30くらいなものであったものが、35に増えた、40になった、個々のケースでも苦痛
度は、10%軽減されるようになったというものです。この対応できる数を増やしていく努力が
平均的人間に近づく結果になります。
さて当ルームの受講生の吃音は改善しているかという問題ですが、吃音改善指導を長いこ
と行なってきた経験から申しまして、受講生に対して吃音は改善していますかという質問は、
行なわない方が良いと思われます。改善しておりますかと聞くことは、どうしてもプレッシャー
をかけることにつながります。プレッシャーをかけずに、辛抱強く指導内容を丁寧に実践して
いるかを観察することが大切になります。従って受講生に直接、改善していますかと聞くこと
は、いたしません。受講生から自発的に最近の状態を話せていただけることはあります。結
構良い状態の話が最近は増えてきています。
当ルームの指導は、吃音改善に効果を有するのかという問題は、受講生のレッスン継続性
で判断しております。長く継続していただけるということは、当ルームのレッスンが吃音の改善
に結び付くという受講生の思いの表れでもあるからです。最近は、殆どの受講生が半年を越え
て利用いただいたている結果に大変手ごたえを感じております。教室は、受講生が育てるも
だという思いは、日々強まるばかりです。
48. 再度、吃音の原因は、分かっていないと言われますが。
あるアカデミックな吃音のサイトを読んでいましたら、現在、吃音の原因は、分かっていません
という言葉に出会いました。このような言葉は吃音という問題を持っている方に大変な誤解を与
へ、吃音者に取って一番好ましくない吃音を恐れるという方向へ導くかも知れません。
吃音の原因は、本当に分かっていないのでしょうか。この問題は、分かっているか分かってい
ないかという二者択一問題のとらえかたをするのではなく、どの程度わかっているかの問題とし
て考えることのほうが、好ましいと思われます。
筆者の考えからすると、吃音を仮に50%程度改善した方は、吃音の原因の50%は理解してい
るというものです。90%程度、改善して実生活で不便を感じなくなった人は、吃音の原因の90%
は、理解していると考えて間違いありません。つまり吃音の原因は、その本人が納得できる形で
どの程度理解しているかということが非常に大切なポイントになります。インターネットでも、実社
会にも吃音が相当に改善された人は、多くおります。その存在が、吃音の原因は、分からないも
のではなく、分かる対象であるということを物語っているのです。
吃音の原因とは、そんなに難しく考える必要はないと思っています。吃音者は、対人で話すこと
は難しい、いやな思いをするものだと過去の経験から連想するものです。そうしますと吃音者は
対人で話すという行為は、自己に取って大変不利益をこうむる危険な性格を持つものだと判断し
ます。この判断から人間の体の自己防衛機能は働きます。この自己防衛機能は、発語行為とい
う危険な行為に入らせないように働きます。発語をいう危険な行為に入らせないような働きとは
発語行為に入る前にそこで使われる筋肉に強度な収縮を起させればいいのです。このようなこ
とが、吃音者には、おこっているのです。この結果、意図した発語の動きを作れなくなります。意
図した動きと実際の発語結果の差異が違和感となり、この違和感こそが吃音の根底にある姿で
す。吃音の原因の底に流れているものは、このように人間に備わっている防衛機構が過度に働
く状態を見て取れるのです。
吃音をよく知らない人が、吃音者の落ち着かない話し方を見て、ゆっくり落ち着いて話
なさいとアドバイスする光景はよく見かけます。冷静に吃音者を観察すれば、吃音者の行
動様式は、落ち着くことを拒否しているような印象を観察者に持たせます。なぜか。この
状態は、高所恐怖症と関連付けて考えますと分かりやすいものです。高所恐怖症の人が、
高い所に立たされて下を見るようなものなら、頭の中は真っ白になり恐怖反応が体内に起
こります。高所恐怖症の人は、自分が今高いところに立っているという認識が刺激の源に
なっていると考えられます。それでは、吃音者は、どうかと言いますとゆっくり落ち着い
て話しなさいとアドバイスされ、それを実行しようとすると、これからある難発語を発語
しなければいけないのだという観念をしっかりと持たざるを得なくなります。吃音者があ
る難発語をこれから発語しなければいけないのだという認識は、あたかも高所恐怖症の方
が高いところに立っているという認識と同じもので、その人に冷静さを失わせ体内に不安
反応を起させます。つまりこれから、ある難発語を発語しなければいけないという観念が
大きな刺激となって発語をさらに困難にさせるために、ゆっくり話そうとしても話せない
のです。この対策として、この観念に意識が向く時間的余裕を与えないように、早口にか
ける吃音者は、数多く観察できます。
しかし、早口はこの観念から逃げているだけで、根本的な解決にはなり得ないのです。
根本的解決には、これから難発語を発語しなければならないという状況に置かれた時に、
どのように発語動作を進めるるならば発語という結果を獲得できるにかを学び、それを実
践していくことにあります。もしこれができるようになれば、難発語を話さなければなら
ないという状況に置かれても、冷静に発語動作を進められるようになります。よく吃音者
の中には、発語に意識的方法はないというようなことを語ることがよく見られますが、す
べての動作のはじまりは意識的なものです。意識的なものが習慣化され意識を使わずにで
きるようになり無意識で行なっているという錯覚に陥るのです。意識的な方法は、ないと
いう考えは、根本的に誤りで新しいものは、全て意識的なものから始まるのです。
もう一度、はじめから発語動作を意識的に作り改めていくこの作業を辛抱強く行なうこ
とに吃音改善のカギがあります。当ルームも崩れている発語動作を新たに安定した発語動
作に意識的に作り上げることを基本指導方針としております。
50. 一人で発語練習等を行なって吃音を改善できるでしょうか。
56. 個々の吃音の違いをどのように指導されているのでしょうか
吃音は、全く同じ吃音というものはなく、微妙に異なっています。難発語も個人個人異なって
います。ではどうするか。解決策は、今現在の話し方、発語動作のつかり方を捨て去るのです。
捨て去って、一から発語動作を作り直すのです。このようにするならば、個々の吃音の違いは
問題になりません。スタートラインに全ての人が戻るのです。指導されたことを、正確に実践
できれば、改善は育ちます。ご自分の型を変えることのできない人、抵抗する人は、このような
教室で成果を得ることは難しいかもしれません。吃音改善もリストラクチャリングなのです。勇
気を持って、今までのやり方をきれいさっぱり捨て去る。その勇気と意欲があるのか、ここに再
生のカギがあるのです。
57. 吃音は、病気なのでしょうか
吃音は、病気なのか病気ではないのか。これは、病気という言葉の定義によってどちらにで
も取ることができますので結論は、つきません。筆者の考えでは、吃音は病気ではないという
見方を取ると、その見方が吃音改善にプラスに働くのです。吃音は、人間に生まれながら備わ
っている危険から身を守ろうとする防衛反射(無条件反射)が過度に働くと、その影響が発語
器官に強く表れる資質をもった人間に出やすい性質をもっています。吃音を病気と見ると吃音
は、自分には手におえない恐ろしいものという見かたを無意識に持つようになるかも知れませ
ん。そうしますと、吃音は恐ろしい、その恐ろしいことがこれから起こるかもしれないと予期す
れば、防衛反射は、強く表れます。逆に、吃音は病気ではない、自分でコントロールすることが
できるものだという見かたを取れるならば、吃音を恐れることはなくなり、そのことが防衛反射
の抑制につながります。
別の角度から吃音を考えれば、吃音とはある限られた時間内にある課題を遂行できないと
いう性質を強く持ちます。名前を名乗る課題に対して、2、3秒という限られた時間内に名乗れ
ない、では名前を名乗れないかと言えば、10秒くらい与えられれば、名乗れる。このように
吃音は、ある限られた時間内にある行為を行なえないという姿、これは病気でなく、個人差と
という見かたを取ろうとすれば取れるものです。遂行能力は、個人個人皆異なり、早い人から
遅い人までいることが現実の姿です。小学生に50メートルを走らせて時間を計れば早い人か
ら遅い人までいます。遅い人に向って、あなたは病気だと言ったりはしません。テストの点数
で、平均よりも下の人に、あなたは病気だと言ったりはしません。他に類似の例を上げるなら
ば、練習では威力のあるボールを投げることができるが、大観衆注視の場面でプレッシャー
に押しつぶされてしまう投手に病気というレッテルを貼る人はいません。それならば、平均的
な人よりも名前を名乗ることに時間のかかる人に向って、病気ということはおかしいことがわ
かります。病気ではなくて、個人差なのだろうという見かたの方が説得力を持つと筆者は、思
っております。この個人差を平均的なレベルまで向上させるということが、改善であり、吃音も
効果的な練習を創出することによって速く走れるようになるように、テストの成績を上げること
ができるように、プレッシャーのかかる場面でも冷静に課題を遂行できる選手に成長できるよ
うに、語ることに要する時間を平均的なレベルまで向上させることはできるものです。
吃音は、病的に見られることが多いが、吃音を持っている人は、吃音を病気と思って思い悩
む人が多いが吃音を冷静な目で病気ではない、吃音は、改善される対象だとの見かたを取れ
るようになると心は、安定化へと向かいます。吃音を病気と見ることは、吃音を重くさせる働き
があるのです。吃音は、病気ではないという見方は、吃音を軽くさせる方向へ働くのです。
58. 女性の吃音改善の問題点は
吃音改善に必要な条件は、自己の吃音と冷静に向き合えることができるようになるかという
問題です。女性の弱点は、この自己の吃音と冷静に向き合えない方が、多いという点です。
女性は、他者からどのように見られるかという大きな関心事に大変敏感なために自己の吃音
と冷静に向き合うことを難しくさせているようです。しかし吃音を改善させるためには、この自
己の吃音に冷静に向き合える習慣をぜひとも付ける必要があります。さらに自己の言葉の問
題から目をそらさないで、冷静に自覚をすることも必要です。この自己の問題点を冷静に自覚
したならば、どのようにこの問題点を小さくしていくかを勇気を持って冷静に考えてみることも
必要になるでしょう。問題点をすぐにゼロに解消させることは難しくても、小さなものにするこ
とは可能なのですから。
吃音を恐れないで、嫌がらないで、自己に生じた吃音に対して、冷静に向き合う覚悟を作っ
て冷静さを維持すること、これができるようになれば、吃音改善の一つの条件は、整うのです
59. 吃音者と非吃音者の違いは、どこにあるのでしょうか
吃音者とは、自分には吃音という問題がかなり高い頻度でおこると自覚している人を指すと
考えています。非吃音者にも言葉の乱れが起こることはそう珍しいことではありません。しかし
非吃音者は、この言葉の乱れを例外的なものと判断していると考えられます。心理的に見ます
と発語に対する判断が、非吃音者はなんとか出来るだろうという思いを持っていることに対して
吃音者の発語に対する判断は、また出来ないかも知れないという思いがあるのです。従って吃
音の改善には、この発語に対する判断をいかに変えていかれるかが大変大きな要件になりま
す。発語に対する判断は、経験と思考から形成されます。つまり経験的判断と論理的判断から
ある一つの判断が形成されていきます。吃音の改善で、経験的判断を変えるには、今までより
も自分の作ったイメージに近い発語経験を重ねていくこと、さらには論理的判断を変えるには、
吃音の原因よりも吃音の性質を深く理解する学習が必要になるでしょう。
ご意見、ご感想をお待ちしております。 iti@mvg.biglobe.ne.jp
更新日:2004/9/7
あなたは、 番目のお客さんです。
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