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     体験的吃音論
                                              by 市川


     これから10回に分けて私の吃音に関する覚書を述べていきます。この覚書
   は、私が吃音改善体験を実際に経験してみて、その体験から吃音症の心理的
   分析を試みたものであります。 

    吃音とは、発語行為の過程で、発語するかしないかの意思決定の混乱とい
   うとらえかたが、私個人として非常に強いものがあります。その混乱の原因は、
   状況として話さなくてはいけないという意識と、一方では、どもるのではないか、
   発語は、止めたほうが良いのではないかという意識、この二つの相反する意識
   の葛藤から生じているものです。
   

   

  第1回  ひとりごとでは、なぜどもらないのだろうか

    吃音者は、どもることを恐れると一般にいわれますが、それは正しくありま
   せん。正確にいえばどもることを恐れているのではなく、どもった結果、自己
   が受ける被害、不利益を恐れているのです。ひとりごとで、どもったとしてな
   にか自己の不利益になることが、あるでしょうか。人から笑われますか、何
   もないのでは、ないでしょうか。ひとりごとでは、発語という行為に何も恐れ
   るものがないので心理的な制止がかからず入っていけるのです。歌を歌う
   場合には、声が出なくても歌詞を忘れたぐらいですまされますから恐れる要
   素は、ないのです。それで、吃音者も歌では、不安も喚起されず歌う行為に
   制止がかからず入っていけるのです。
   
   人に対して話すということになるとそうは、いきませんね。どもることが、これは
   悲しい現実なのですが、人からマイナスイメージとしてとられてしまう。(理解の
   ある人は、マイナスには、とりませんが一般論としてです)。従って、どもることに
   より人からマイナスイメージをもたれてしまうという不利益をこうむる、この不利
   益を恐れるのです。この、人に対してどもっては、不利益になるという恐れの気
   持ちから心理的な制止がかかり発語行為に不具合が生じるのです。
   意識の奥にある無意識、下意識では、ひとりごとをいう行動が自己にとって危険
   性があるのかないのかを、一瞬のうちに計算し判断しそれが行動に現れるのです。

   
  第2回  ことばにつまるとは、何がおこっているのだろう
       (難発について その1)
 

    前回、吃音者は、どもった結果、自己が受ける不利益を恐れていると述べました。
   では、その恐れを持つ発語行為を行わなければならないときに人間は、どのような
   行動を取るでしょうか。
     スケートを例に取ります。始めてスケートを習う人は、転ぶことを怖がります。その
   ため、習い始めは、すべる前に転ばないように体を支えるものを要求し実際手すり
   につかまったり、人の肩を借りたりします。つまり目的のすべる行為に入る前に、
   何か支えてくれるものに、自ら力を入れてつかまる行動を取るのです。このことを、
   念頭に置いて発語行為を考えてみましょう。
     吃音者は、発語行為に入ることを恐れる。それで、発語行為に入る前にスケート
   のように、発語行為と関係のない何かにつかまる行為を自らの意思で取るのです。
   その行為がブロックの息の出口を自らふさぐ、あるいは、のどの奥に考えられない力
   を入れてしまうのです。
     ブロック行為は、自らの意思で行っていることである点を認識する必要があります。
   その行為を繰り返すうちに条件反射行為に変わり意識しなくても無意識にブロックに
   進んでいってしまうのです。そこで何が起こるのかと申しますと、無意識にブロックに
   進んでいっても本人はあくまで発語しようと努力したと思い込んでいます。そして発語
   努力をしたのにもかかわらず、発語ができなかったと誤った認識をしてしまう。
   このようにして発語しようとしても発語ができないかもしれないという観念が形成され
   ていくのです。しかしその発語できなかった原因は、発語行為に入る前に回避行動を
   取ってしまったこと、そしてその回避行為から発語行為への切り替えができなかった
   ことにあるのです。この正確な把握が混乱が生じている吃音者の心理状態では、でき
   ないことに真の問題があるのです。

   
   

 第3回  随伴運動は、何のためにするのだろう
       (難発について その2)
 

      前回、吃音者は、発語に不安・恐れがあると発語行為に入る前に何かにつかまる
   行為を取りますと話しました。その状態で発語の行為に入るためには、そのつかまる
    力を取り除く必要があります。その方法として、吃音者は、ブロックを起こすその瞬間に
    何か他のことに力を入れれば、その発語器官にかかろうとしている発語を阻害する力
    が別の対象に移り発語行為の阻害要因が取り除けると直感的に感じ取るのでしょう
    。この理由からブロック性吃音者は、発語のときに随伴運動(足で床を蹴る、手足を
    振る、こぶしを握る、等)といわれる行為を自ら起こすのです。ただしこの随伴運動は、
    一時的に発語に成功する効果は、ありますが長続きしない欠点を持ちます。その理由
    として次回、心理的側面から期待形成について述べることにします。

    
  第4回 期待形成について

     吃音を悩み始める段階になると、どうしたらどもらないで話せるかいろいろ考え始め
     ます。そしてどもらない方法を考えます。そしてそれを、使うのですが、使い始めの
     何回かは、結構どもらないで調子が良い状態を経験します。しかしそのうちにまた調
     子が悪くなり元の不安定な状態に戻ってしまう、そしてまた別の方法を考え出す、この
     ような経験の繰り返しをなされた吃音者は、結構いると思います。なぜこのようなこと
     が、起こるのでしょうか。
     それは、それまで試したことのない方法は、始めてという理由だけで、失敗の経験が
     ないため、うまくいくかもしれないという期待が気持ちの中に生まれるのです。その期
     待形成が、吃音者の発語を阻害している不安・恐怖のレベルを押し下げる働きをする
     のです。それによって、話そうという意欲が増していき、話すことができるようになる。
     しかし、その方法それ自身に、不安・恐怖のレベルを押し下げる要素がないと、何回か
     実行するに従い一端押し下げられた不安・恐怖のレベルが徐々に上昇していき、調子
     が下降に向かいます。そこで、その方法が吃音を治すことに結びつくのだろうかと考え
     たとき、どうもそうなりそうもないと評価すると始めに生まれた(吃音克服)期待形成が
     一変にしぼんでしまうのです。その結果、押し下げられていた不安・恐怖がもとに戻っ
     てしまいまた不安定な状態に引き戻されます。随伴運動もこの理由で、始めは良いの
     ですが、すぐその効果は、なくなっていきます。
     改善方法は、この不安・恐怖のレベルを押し下げる効果があるか、その持続性を持つ
     かで評価できるでしょう。

   
  第5回  発語不安の根底にあるものは

       吃音者の発語不安の根底にあるものについて、今回は考えてみます。
     発語行為は、共同体という集団の中で情報伝達の役割を果たします。また個人から見
     ると発語行為は、自己のアイデンティティの証明および主張の重要な武器になるわけ
     です。このように考えると、発語行為に障害があることは、共同体の一員としての役割
     を果たし得ない自責の念から自己否定に陥ってしまう危険があります。また共同体の
     中に居場所が見つけづらい現実から、自己は共同体に受け入れてもらえるのだろうか
     、たとえ共同体の中に入ったとしても自己の吃音の問題で共同体から排除されるので
     はないかという恐怖を持ってしまう。このことを避けたいがために、どもってはいけない
     という意識が強く働くのです。その気持ちの裏側で、どもったらどうしようという意識から
     発語不安が生まれるのです。この恐怖・不安があるレベル以上になると、その関係する
     行動、つまり発語行動に心理的に制止がかかり、発語行為に入っていけなくなります。
     その代表的なものが、難発性吃音です。難発性吃音は、心理的な制止が強く働いたも
     のと考えます。
           

   第6回  1次不安と2次不安
       
       前回、吃音者は、どもっては、いけないという意識が強く働くと述べました。それでは、
     どもることを、避けるためにどのような行動をとるか、考えてみます。
      発語行為者と入試に臨む受験者の心理に共通性を考えれば、受験前、いろいろ見直
     しをするように吃音者も発語行為に入る前に、点検を行う傾向があります。まず、どもら
     ずに話せるか考えるうえで発語器官(発語に関係する全ての器官)の緊張度に注意を向
     け点検を行ったりします。その点検で発語器官に緊張を認めると、何が起こるでしょうか。
     それは、その緊張が発語行為に好ましい状態ではないとの判断し、また吃音になるので
     はないかと予測すると、その判断・予測が、結果として発語不安・緊張の増大を起こします。
     不安と緊張は、コインの裏表の関係から不安が増していけば、緊張のレベルは、それまで
     の状態に比べ上昇します。このようにして発語行為の成立条件から離れていく結果となり
     ます。
       ここで整理するために不安を1次不安と2次不安に分けて考えます。1次不安は、発
     語行為に入る前に意識、判断と関係なく条件反射で喚起される不安と定義すれば、2次
     不安は、行為者の判断によって喚起される不安と考えられるものです。
       もし、吃音者が発語器官に注意を向けなければ、発語器官の緊張度からいかなる情報
     も意識的に受け取らなければ、または、発語器官に注意を向けたとしても、そこからいか
     なる判断・予測もしなければ、不安・緊張の発生元に情報は送られることは無く、不安・緊
     張は、1
次不安の状態のままで増大に向かうことは、ないでしょう。
       また発語器官に注意を向け緊張を認めても、それは、条件反射による緊張で1次的なも
     ので時間とともに弱まっていき問題にすることは無いと判断すれば、不安のレベルの増大
     は、起きないでしょう。このように、自己の判断内容によって不安の増減が起きることを理
     解する必要があります。キイになるものは、その判断が自己にとって好ましいか好ましくな
     いかです。
      *観念または判断によって喚起される不安も心理学では条件反応、無条件反射の一種
        といわれますが、ここでは単純に観念・判断により起こされる不安としてあります。
      私の吃音体験から申しますと、吃音の改善には、発声練習、会話練習、あるいは度胸強
     化よりも、このような吃音不安の喚起を自己の意思によってコントロールするテクニックを
     身に付けることが必須の条件となったことを、強調しておきます。私の吃音改善体験でど
     のようなスペシャリストになれたかと言いますと、上記の吃音不安・緊張のレベルが自己
     の意思により調整可能となったことです。それは、判断次第なのです。


   第7回    早口と吃音
    
       早口の傾向のある人は、吃音者の中によく見られます。今回は、早口と吃音の関係に
     ついて述べてみます。なぜ、早口になるか考えますと、その早口の人は、話すことがうまく
     できるかできないかについて確信がないため、不安が生じてしまい、その不安という不快
     な気持ちを起こす発語行動を早く終わらせたいという欲求から発語行動を必要以上に早
     く行うと考えられます。
      健常者は、早口の傾向のある吃音者にゆっくり話すことを助言しますが、吃音者にとっ
     てこの不快な気分と長く付き合いたくない欲求は、強い点と、ゆっくり話すことは、不安と
     正面から対面せざるをえなくなり、かえって不安が増大し発語行為の困難さが増してしま
     います。そのために、吃音者は、早口の選択を強いられるのです。この早口の傾向は、
     辛抱強く吃音不安のレベルを下げていく試みによりおのずと解消に向かっていくものと
     考えます。


   第8回   条件反射不安 その1

       吃音者が発語行為の過程で生じる吃音不安には、条件反射で起こるもの、自己の思
     考、判断結果により起こるもののふた通りあると考えられます。その不安は、それらが
     入り乱れる結果、吃音者には、訳がわからなくなり、不安に対する対応ができなくなって
     しまう結果、吃音者の発語行動に不具合が生じると言えます。この二種類の不安の対応
     は、当然異なるゆえに、どちらの不安か瞬時に正確に把握した上で、それに適した対応
     を取る必要があります。
       今回は、条件反射に焦点を絞って考えを進めていきます。
     吃音者と健常者を区別する大きな違いは何かと申しますと、発語に関して条件反射(不安)
     が神経回路に形成されているかいないかです。条件反射理論からいいますと、吃音の初
     期段階で発語行為で失敗をすると、失敗から落胆し、また失敗しはしまいかと不安な気持
     ちになり、それが繰り返されると脳の発語行為と不安な気持ちを起こす部位に神経回路が
     ブリッジのように形成されてしまい、発語行為に意識が向くたびに、考え判断に関係無く、
     反射的に不安が生じるようになると言われています。このことは、しっかり理解しておく必要
     があります。
       難発性吃音の場合には、難発語というものが多く見なれます。言いにくい語です。条件反
     射理論から言いますと、難発語は、条件刺激と定義できます。難発語の発語を繰り返し失敗
      しているとその語と不安が結びついてしまい、その難発語に意識を向けただけで反射的に不
     安が喚起されるというものです。この不具合の対応には、次の三つ点を上げておきます。
       1. 条件反射を解消していくために条件反射が生じる対象(条件刺激)に意識を向け
         たとき、その不安が軽減できる再条件付けができるのかどうか。
       2. 条件反射は、条件刺激に意識を向けなければ起こらない性質から、当面の暫定
         対策としてテクニックを使って条件刺激に意識を向けないで発語ができるかどうか。
       3. 反射という性格上、持続性はなく一時的なものでありその不安は、だんだん減少
         していくことから、条件反射不安が起こっても少し時間を置いて不安を静めてから
         発語行為にはいることができるかどうか。

          
        この2の条件刺激に意識を向けないで発語することは、どもりそうになったときに、ちょ
      っと気を他に向けることにより不具合を回避する方法で、吃音者の発語行動に良く見られ
      る傾向ですが、この方法では、吃音不具合の根本的解決にはつながりません。これは、あ
      くまで緊急避難的な対応と考えるべきものです。根本的解決は、再条件付けです。


   第9回   条件反射不安 その2      
  
        吃音改善は、一言で申しますと再条件付けの成否にかかっていると言えるかもしれ
      ません。私個人の考えでいいますとこの再条件付けは十分可能ですがそれまでの条件
      反射を消し去ることには、非常に困難さがあるということです。
        吃音改善に絶望している方は、この再条件付けにどうしても成功しなかったことが原
      因となっていると想像します。吃音の条件反射は、私の体験で申しますと、再条件付け
      に成功すれば徐々に減少していくことは確かですが消え去ることは無いかもしれません。
      この条件反射は、脳の神経回路に物理的に形成されてしまっているものと考えられてい
      ますので、一つの運動神経と同じであると考えれば、なくなることは考えないほうが良い
      かもしれません。要は、吃音の条件反射不安が生じても恐れる必要は全くなく、条件反
      射が生じた場合の適切な対処を取るならば、発語行動に十分対応していけるのです。

        私個人の経験でも吃音改善が6,7年以上経過したにもかかわらづ、この条件反射
      不安は、以前に比べ随分弱くなりましたが依然起こることが止まりません。ただし、条
      件反射不安が生じたときの対応行動を適切に取ることによって吃音時代の発語行為
      にうろたえることは、なくなりました。従って、条件反射不安にこだわり過ぎて、不安が
      生じるからだめだと考えることは、かえって吃音改善にとって好ましくないことでしょう。

        よく吃音の方から意識しなければ吃音は改善するという声が聞かれますが、吃音を
      意識しないことを実行して吃音が改善する方は、吃音の軽い人と想像します。重度の
      難発性吃音の場合には、上で述べましたように条件反射不安を起こす神経回路が脳
      細胞に形成されていますので吃音を意識しないという方法だけでは不十分で、この条
      件反射の喚起を弱める処置を辛抱強く続けていくことがどうしても必要になります。こ
      の点は、強調しても強調しすぎることのないほど重要な事項です。



   第10回   最終回(吃音が治るとは、どういうことなのだろう)   

        吃音者にとって、話すという行為は、吃音不安・緊張のなかで発語という課題達成を
      しなくてはならないことであり、健常者には想像のつかない難しい行為なのです。この
      発語行為は、そのときの行為者の心理状態の影響を受けやすい非常にデリケートなも
      のです。吃音者とは、この心理的な影響が、本人の意思で制御できる限界を超えて
      高まってしまっているともいえます。この発語の際に受ける影響を意思で制御できる技
      術を学び制御可能となったときに、自己の吃音は改善するのではないかという望んでい
      た希望が現実の意識に変わるのだと思います。この吃音不安・緊張を自己の意思で制
      御していくと、吃音不安・緊張のレベルが徐々に下がっていき、吃音の改善が実感でき、
      その改善の道のゴールが吃音が治るということでしょう。真に治るという段階に達する
      まで何年かかるのか分かりません。ただし吃音の状態を永続的な改善の方向へ向ける
      こと、言いかえるならば吃音の改善の道にのることは、可能なのです。

      
 吃音を改善するには、吃音を改善するのだという強い意志を長期計画で持たなければ、
      なりません。また吃音の改善知識を断片的に持っても(吃音改善者から吃音改善のヒント
      をもらっても)それだけでは吃音の改善には結びつかず、その改善知識がなぜ吃音の改善
      につながるのか、その理由が分からなければ、吃音を改善の方向へ向けることは、難しい
      でしょう。


      
***** 吃音改善者とは *****
       吃音の自己改善に成功した方の話しからすると改善まで数十年かかったと述べておりま
      す。10代、20代と悩みつづけ決して諦めることなく粘り強く理詰めで考え続け、その努力の
      結果、30代,40代になってやっと改善を果たしたという話しです。なぜこのように長い期間が
      かかるのかと申しますと、吃音に対するものすごい多くの疑問を辛抱強く一つ一つ解いてつ
      ぶしていく作業をするのです。だれも教えてくれる人がいないのであるから十年や二十年は
      すぐかかってしまいます。その疑問の答えは、言葉ではなく直感でわかる場合もあります。
      直感の場合のほうが多いかもしれません。従って言葉で言い表わせなかったために吃音
      改善のノーハウを他の吃音者に伝えられなかったことが現在に吃音問題を残している大き
      な原因の一つと考えられます。なにしろ、吃音改善者は、様々な試行錯誤を繰り返しながら
      吃音の疑問を簡単なものから解いていって疑問の中心をなす難しい問題を解いていき吃音
      の姿が見えてくるのです。吃音の実態が見えてくるので対応が取れるようになるのです。そ
      の段階になった時点で吃音改善に対する意識がマイナスからプラスに変化するのだと私の
      吃音改善体験からもわかります。


       
ですから吃音改善を果たした人は、話せるかどうかを考えたときに論理的に話せると結
      論付けられる人なのです。なんの根拠もなく話せると言うのではなく、論理的に話せると結
      論付けられることによって発語行為における意思決定の混乱がなくなるのです


      
****************************
   結論
      
最初に戻って吃音とは、発語行為における意思決定の混乱という考えを再度提起します。
      吃音に少しでも理解できない問題があると発語行為に入る際に、この未解決の問題のため
      どもるのではないかという不安・意識を取り除くことができず、話そう、いや止めた方が良い
      という意思決定の混乱が起こり、それが発語行為に現れます。その現われが吃音と呼ばれ
      るものと考えられます。

      従って吃音を治すということは、発語行為の意思決定の混乱をなくすためになぜ今まで
      どもってきたのかそこのプロセスを正確に理解把握することであり、そうならないためには、
      何によって実現するのかを各自の吃音症状に合わせて立案し実行することなのであります。


      
 
   



       吃音の改善の取り組みは、その個人に取って一大事業です。甘く考えれば、辛抱が
      なければ、挫折は、必至です。しかし大いなる覚悟を持って挑むだけの価値はあるもの
      です。勇気を持ってチャレンジしてみてください。
       
       この10回の雑文で自己の吃音体験の一応の整理は、付いたと思っています。技術
      的な詳細な話しは、ここで述べる性格のものではないので触れてはいません。

        最後に、私のこの駄文を読んで吃音に対する考え方が少しでも変わった方がいらっ
      しゃれば望外に喜びです

    
       
      ご意見、ご質問等ありましたら下記電子メールで対応させていただきます。

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                       iti@mvg.biglobe.ne.jp


           更新日:2001/03/02    あなたは、  番目のお客さんです