「TRAUMA(後編)」
 翌朝、みのりは気が重かった。ゆかりの言う通り沙希が精神的に追いつめられている事は昨夜の一件
ではっきりした。すぐにでも手を打たないと沙希が参ってしまうかもしれない。しかしもう少し待てばゆかりが
何か有益な情報を入手してくるかもしれない。みのりの中でしばらく葛藤が続いたがやがて覚悟を決めた。
「先輩、朝の散歩に行きませんか?」
「うん、いいわよ。」
みのりと沙希は連れだって中央公園に向かった。沙希は内心昨夜のことについて色々聞かれるのでは
ないかと心配していたが、いつもは暇さえあれば話しかけてくるみのりが公園に着くまで一言も発することが
なかった。公園に到着した後池の周りを回って広場に向かう。他の人影はまばらだった。見通しのいい場所で
付近に人がいないのを確かめるとみのりは沙希の方へ向き直った。
「先輩、何故柔道を止めたんですか?」
沙希は最初みのりの質問の意味が認識できなかった。
「どうしてそれを?」
「先輩が倒れた後に古式先輩に相談したら調べてきてくれたんです。」
「そう・・・。」
沙希はしばらく迷っている様子だったが、決心が付いたらしく話し始めた。
「あれは夏の大会があった日だったわ。そう、私にとって最後の大会・・・」

 準優勝か。もう一息だったんだけど。唯ちゃん強くなったなあ。
     あ、唯ちゃん。優勝おめでとう!でも、次は負けないからね。
           え、何?こっちへ・・・きゃあああっ!
                 唯ちゃん、唯ちゃん!大丈夫?しっかりして!

 「ああ、沙希ちゃん。来てくれたんだ。唯は今眠ってるよ。」
    そうですか。起こしちゃ悪いからまた来ます。
        あ、差し入れだけでも渡しておこう。
             「何でうちの子だけこんな目に遭わなくちゃいけないのかしら。」
                 「沙希ちゃんが悪い訳じゃないんだからな。間違ってもあの子の前でそんな
                                             事言うなよ。」
                        「分かってるわよ、その位。ただ・・・あ!」
                              あ、あの、これ・・・それじゃ!

 「結局そのあとひどく落ち込んじゃって、こっちに越してきて・・・。落ち着くのに一年ほどかかったわ。」
沙希の告白を聞いている間にみのりにも大体の事情は理解できた。目の前で友人でもあるライバルが交通
事故に遭い大怪我をしたショックが記憶の底にまるで不発弾のように眠っていた。それが先日偶然呼び覚ま
された。今回の件はそれで説明が付くはずだったがみのりは何か釈然としない物を感じていた。ありきたりな
表現だがパズルを完成させるためのピースが足りない。それが何かみのりは必死で考えた。
(何か不自然なのよ。今聞いたは話では引っ越さなきゃいけないほどの事だとは思えない。)
性格的に回りくどいやり方が苦手なみのりは沙希に正面から疑問をぶつけてみることにした。沙希は意外に
あっさり隠し事をしていたことを認めた。その顔には沙希らしからぬ苦笑が浮かんでいた。
「何やってるのかな、私。隠したってそう言うことがあったのは変わらないのに。あの時病院から駆け出して
振り返ったら、唯ちゃんが窓から外を見てた。眠ってなんかいなかった。きっと会いたくなかったんだね。
嫌われちゃったんだよ、きっと。」
「だから逃げてきたんですか?」
沙希の告白に対するみのりの感想は普通では考えられないほど苛烈な物だった。さすがの沙希も表情が
強張ったが、反論の余地を与えることなくみのりは畳みかけるように話を続けた。
「顔を合わせるのが怖くて逃げ出して、負い目に耐えかねて柔道を投げ出して・・・きっと唯さん先輩のこと
恨んでますよ。」
「分かってるわよ、その位。だから・・・」
「いいえ、分かってません!」
拗ねたような口調で反論しかけた沙希を制するみのり。
「唯さんはきっと自分の分まで先輩に頑張ってもらいたかったはずです。でもあなたはそこから逃げ出して
唯さんの想いを裏切った。」
「何よ、まるで見てきたみたいな言い方して。唯ちゃんの事なんか何も知らないくせに!」
思わず声を荒げる沙希。みのりは今までと一転して静かに答えたが、力強さはむしろ今までで一番だった。
「いいえ、よく分かってます。だって先輩が認めた人だもの。」
それを聞いて言葉に詰まる沙希に助け船を出すかのように声が響いた。
「秋穂さんの言うとおりですよ。」
二人の知らぬ間に近くまで来ていたゆかりが歩み寄りながら言葉を継ぐ。
「皆川さんにお会いしてお話を伺って参りました。虹野さんがお見舞いに行かれた日はまだ怪我のショックから
立ち直っていなくて他のお友達のお見舞いもお断りされたそうです。退院されたときは既に虹野さんの行方が
分からなくて悲しい思いをされたそうですよ。」
「そんな、私、何てことを・・・」
ゆかりの話を聞いて動揺する沙希。そんな沙希にゆかりは淡々と話しかける。
「そうそう、皆川さんから伝言をお預かりしていました。私はこの人と競い合ったことがあるんだと誇りに思える
ような選手になって下さい、とのことです。」
ゆかりに託された唯の想いが沙希の心に居座り続けた重石を打ち砕いた。
「そう、唯ちゃんが・・・。うん、分かった。頑張るわ。いつか胸を張って唯ちゃんに会えるように。」
「あはっ、先輩ーっ!」
みのりははしゃぎながら沙希にしがみつく。
「あん、みのりちゃんったら。」
「やっぱり元気な先輩が一番です。」
喜びを体中で表現しながら沙希にじゃれつくみのりの背後から声がかかる。
「秋穂さん、今回は虹野さんが強い方だから上手く行きましたが、もしかしたら取り返しのつかないことになって
いたかもしれませんよ。」
人の心の問題は素人が扱うには荷が重い。ゆかりは十分な情報を得たら専門家に任せるつもりだった。
「えーと、先輩があまり苦しそうだったんでつい。でも確かに無茶でしたね。」
みのりも事の重大さに改めて気付いて反省している。
「まあ、いいじゃない。上手くいったんだし。二人ともありがとう。」
大きなわだかまりが消えて沙希の元気に一層の磨きが掛かったようだった。

 「二段背負い投げ!」
「あひゃあああああ・・・・」
「超山嵐!」
「うきゃぁぁぁぁぁ・・・!」
「大・雪・山おろしいいーっ!」
「ひょええええ・・・・!」
沙希が活動を再開するに当たって一つだけ問題があった。きらめき高校に女子柔道部は存在しない。とりあえず
柔道部に籍を置くことになった。女子部員、現在二名。
「調子はいかがでしょうか。」
ゆかりが様子を見に訪ねてきた。
「みのりちゃん、飲み込みが良いから教えがいがあるわ。」
しばらく実戦から遠ざかっていたとはいえ勘を取り戻した沙希にとって男子のレギュラーでも役不足の感は否めな
かった。そこでどうせならと言うことで現在はみのりを鍛え上げることに専念している。
「でも二人だけだと少し寂しいかな。そうだ、古式さん、あなたも移ってきてくれないかな。あなたには根性が
あるわ!」
「はあ、折角ですが、今いるところは気に入っておりますので。」
「そう。残念だけど仕方無いよね。」
ちょうどその時大技をくらってのびていたみのりが起き上がった。
「あら、秋穂さん。ご気分はいかがですか?」
「うーん、まだはっきりしないけど、一つだけ言えるのは・・・」
軽く頭を振った後みのりはにこやかに答えた。
「どんなきつい状況でも落ち込んだ虹野先輩見せつけられるのに比べればまだましって事ですね。」

 後書き
 これはいわゆる「贈り物」として作ったものなんですが、どういう訳か初めに考えていたものより重い内容になるし、
キャラクターは元ネタとはほとんど別人だし、なんだかこんなのでいいのかなって感じになりました。
でも個人的に「柔道家の虹野さん」は気に入ってます。