「TRAUMA(前編)」
きらめき高校サッカー部では地区予選突破を目指して練習に余念がなかった。
とは言っても周囲では決勝進出は当然のこととして受け止められており、関心は
その後の展開に向けられていた。しかしながら勝負に「絶対」等あろうはずもなく、
当人たちにとって見れば練習にのめり込むことで不安を忘れ去ると言う意味が大き
かった。その気持ちは練習を見守る二人のマネージャーも同じだった。
「みんな良い動きしてますね。これなら来週の試合もいい感じで行けそう。」
秋穂みのりが隣にいる虹野沙希に向かって同意を求めるように話しかける。
「ええ、そうね。みんなここまでよく頑張ってきたもの。きっといい結果がでるわ。」
沙希の自信あふれる返答に心強さを感じつつうなずくみのり。しかしその時なにやら
向こうの方が騒がしくなった。見るとサッカー部員たちが集まって騒いでいる。
「何か起こったのかな?行ってみよ!」
二人は人だかりに向かって駆け出した。

 人の輪の中央では二人の部員が地面に転がっていた。一人は上半身を起こして
顔をしかめながら足を押さえているが、もう一人は痛みが激しいのか体を丸めるように
して呻いている。
「練習中に勢い余って激突したようですね。担架の準備・・・それとも動かさずに救急車
呼んだ方がいいのかな?どう思います、先輩・・・先輩?」
不測の事態に動揺して一人でまくし立てていたみのりは沙希の反応がないのが気に
なって沙希の様子をうかがった。沙希の顔色は真っ青で、すごい量の汗が流れ落ちて
いる。まるで酸素が足りないとでも言いたげに喘ぎながら呼吸を続ける。
「先輩、どうしたんですか?すごく苦しそうですよ。」
ただならぬ沙希の様子に不安を感じたみのりが声を掛けるが気づいた様子はない。
みのりが肩に手を掛けてもう一度呼びかけるとようやく反応した沙希がのろのろとみのりの
方を向く。
「え、ああ、大丈夫。何でもないの。何でも・・・」
そのまま重傷らしい部員の方へふらふらと近付きかけたが、突然がくんと膝をつくと地面に
倒れ込んだ。みのりはとっさに沙希に駆け寄り抱き起こす。
「先輩、しっかりして下さい!先輩!」

 それ以来沙希の顔から笑顔が消えた。正確に言えば一応笑っては見せるのだが、
その笑顔はどこかぎこちなく、何かにおびえているような影がちらついていた。
事あるごとに物思いに沈んだ様子を見せる沙希を心配して友人達が事情を尋ねても
「心配無い」の一点張りで本当のことを話す気配はない。あの沙希がここまで頑なな態度を
とるのだからよほどの理由があるのだろうと考えたほとんどの者はそっとしておいてやろうと
考えたが、一人だけそれを良しとしない者がいた。
「口じゃ大丈夫とか言ってるけどどう見たって困ってるわよ、あれは。放っとける訳無いじゃない。
でも虹野先輩が何で悩んでるか分かんないと手の打ちようがないしなあ。」
しばらくあれこれ悩んでいたみのりだったが、やがて一人で考えていても仕方無いという結論に
達した。
「あの人に相談してみるか。意外と頼りになるかもしれないし。」
そうつぶやきながらみのりは目的の人物の元へ向かった。

 「・・・と言う訳なんですけど、どうすればいいんでしょうか?」
「なるほど。部員の方が足を怪我なされたのを見た途端に虹野さんの様子がおかしくなったの
ですね。」
みのりは古式ゆかりに沙希の事で相談を持ちかけていた。みのりの交際範囲はあまり広い方では
ないが、編み物競争の一件以来ゆかりとは割と親しい間柄になっている。
「恐らくそれはトラウマですね。」
「は?虎馬?そんな動物聞いたこと無いですよ。」
「いえいえ、動物ではありませんよ。精神的外傷、つまり心の傷と言う意味の言葉です。」
ゆかりはみのりの勘違いを訂正して話を続けた。
「虹野さんには足の怪我に関するつらい思い出があるのです。それが呼び覚まされて、体が
その場にとどまり続けることを拒否したのでしょう。」
「でも虹野先輩の性格から言って怪我人放り出して逃げ出せるはずがないから・・・」
「そう。恐怖心と責任感の板挟みになって気を失うよりほかに無かったのでしょう。」
しばらく沈黙が場を支配した。やがてみのりがおずおずと口を開く。
「ようはそのとらうまっていうものを無くしちゃえば虹野先輩は元に戻るんですよね?」
「はい、そうですよ。」
「じゃあ、すぐにでも・・・」
意気込んで立ち上がりかけたみのりをゆかりが制した。
「一つだけ確かめさせていただきたいのですが。」
「はい?いいですけど。一体何を・・・」
「あなたの覚悟です。」
ゆかりは今まで人前で見せたことがないような厳しい表情でみのりに念を押した。
「虹野さんのトラウマを直すと言うことはその過去を調べなくてはなりません。分かりますね?」
「あ・・・」
事の重大さに気付いたみのりが言葉を失う。
「忘れたい過去に触れられることで新しい傷を得ることもあります。全てが上手くいっても
虹野さんに嫌われてしまうかもしれません。それでも構いませんか?」
みのりの表情に迷いは見られなかった。
「虹野先輩が元に戻るのならそれで十分。私、やります!」

 真夜中の虹野家。悪夢にうなされて苦しそうにしていた沙希が跳ね起きる。全身汗びっしょりで
息づかいが荒い。しばらくして呼吸は収まったが、今度は涙が止めどなくあふれ出る。
「私・・・最低だ・・・」
自らを責める沙希の声が夜の闇に染み透った。