黒い刺客(2)
 幸いレイの傷は致命的なものではなかった。突然走り出したレイを無理に狙撃したため弾は急所を微妙に外れていたらしい。面会謝絶のプレートがかかったレイの病室の前で諭・ゆかり・翔子の三人はとりあえず最悪の事態が避けられたことで安堵の表情を浮かべながら立ち話をしていた。
「はあ、一時はどうなるかと思ったよ。当分は絶対安静らしいけど何とか一命は取り留めたし、まだよかったって考えなきゃね。」
「ああ。あんな奴でも死なれちまったらさすがに後味悪いからな。」
「それにしても命を狙われておられるとは伊集院さんも大変ですねぇ。」
丁度その時男が一人近付いて来たので三人は廊下の端によって通り過ぎるのを待ったが男はその場で立ち止まってスーツのポケットから手帳を取り出して見せた。
「警察の者ですが、今回の事でお話を伺いたいと思いましてね。」
警官は事件発生時の状況について一通り質問してきたが、それらは既に現場検証の時に証言済みであり、本当の目的が他にあることは明らかだった。いよいよ本題に入った警官の口調や態度は平静そのものだったが、内容は三人を動揺させるのに十分すぎる物だった。
「えーと、最後にですね、古式ゆかりさん。あなた最近誰かに恨みを買ったとか、そう言った心当たり、何かありませんかね?」
「ちょっと待って下さい。撃たれたのは伊集院でしょ?何でそんなことが関係あるんですか?」
諭が思わず割って入る。警官はやんわりとなだめるような口調でそれに答えた。
「ええ、それなんですがね。先日お友達の朝日奈夕子さんが交通事故で怪我をされましたね。そして今回の事件。ひょっとしたら古式さんの周りの皆さんが狙われているのかもしれないぞってことになりましてね。まあ念のためその線も当たってみよう
って事になったんですよ。」
そこまで話してゆかりが少なからずショックを受けていると察した警官はフォローを試みたがあまり良い出来ではなかった。
「別にそう決まったわけではなくてあくまでも一つの可能性ですから。たまたまただの交通事故と伊集院家の御曹司を狙った狙撃事件が重なっただけかもしれませんし。」
「生憎ですが心当たりはございません。お役に立てず申し訳ございません。」
心持ち青ざめた顔でそう言って深々と礼をするゆかりに恐縮する警官。
「いやいや、気になさらずに。えー、他の事でも何かお気付きになったらご連絡お願いしますよ。おっと、申し遅れましたが私は宮島と申します。」
「へえ。串カツの串に間ですか、それとも苦しい島?」
「いえ、みやしまと書いてくしまと読むんですよ。」
宮島は翔子の皮肉混じりの問いを軽く受け流した。

 「社長、フォックスハウンドコーポレーションよりご来客です。」
「む、分かった。通したまえ。」
古式不動産の社長室は機能最優先でほとんど装飾らしい物はなく、殺風景とさえ言えた。部屋に入ってきた男はビジネスマンと言うよりこういった雰囲気によくなじむものを身にまとっているように感じられる。彼はゆかりの父の姿を認めるとぶっきらぼうに、しかし何か懐かしさを噛みしめるように声を掛けた。
「よう、ワーウルフの父っつぁん、久しぶりだな。」
「スネーク、向こうは良いのか?」
「ああ、今のところフォックスハウンドが出張るようなネタは無いからな。キャンベル大佐のお墨付きだ。」
挨拶を済ませると二人は本題に入った。
「で、敵の動きは?」
「脅しのつもりか娘の友人を二人病院送りにしてきた。念のため阪蔵と風間を娘に付けてあるが連中は経済戦も仕掛けてきているので私はこちらで手一杯だ。」
「となると情報収集と攻撃は俺一人でやらなきゃならないな。久しぶりに伝説の傭兵とチームが組めるのを楽しみにしていたんだが残念だ。」
そう言って肩をすくめるスネークにゆかりの父が苦笑いを浮かべて答える。
「からかうのはよせ。実戦を離れて長いからな。今じゃソリッド・スネークの足元にも及ばんよ。」
「まあそう言うことにしておくか。目処が付いたら連絡する。」
そう言って立ち去りかけたスネークにゆかりの父がカードを投げてよこした。
「必要経費と報酬だ。足りないようなら後で請求してくれ。」
スネークは受け取ったカードをそのまま投げ返す。
「よしてくれよ。現役のアメリカ軍人が観光ビザで小遣い稼ぎしたなんてばれた日にゃ良い物笑いだ。」
「じゃあ君がビジネスマンとして我が社に来た目的は何かな?」
「表敬訪問さ。」
スネークはゆかりの父のからかうような問いかけにそう答えると片手を軽くあげて部屋を立ち去った。

 レイが撃たれた翌日からゆかりと翔子の関係が妙にぎくしゃくした物になっていた。正確にはゆかりは何も変わっていないが翔子がゆかりに対してよそよそしい態度をとるようになっていた。
「私、何か星野さんの気に障ることでもしたのでしょうか。お訊ねしたいのですが私のお話を聞いていただけそうにありませんので・・・」
ゆかりが困り果てた様子で諭に相談に来た。
「確かにおかしいな。分かった、早速聞いてみるよ。」
翔子は諭が話を切り出す前に屋上へ行こうと提案してきた。他に誰もいないのを確認して翔子が先に口を開く。
「ゆかりの事でしょ?」
「ああ。古式さん、気にしてたぞ。一体どうしたんだ?」
「この前の病院の話、覚えてる?」
「ああ、古式さんの身近な人間が狙われてるって、あれか。まさか翔子ちゃんあれを真に受けてるのか?」
諭の問い掛けに非難するような響きが混じる。
「ゆかりの周りにいるから狙われるかどうかはまだ分からない。でも事件のことを嗅ぎ回れば多分狙われる。普通そうだよね?」
「まあ、そりゃそうだろうな・・・って、ひょっとして?」
「うん、そう言う事。」
事件のことを独自に調べていて何かあった時ゆかりと関連付けられるのを避ける。翔子の真意はこれで分かったが、諭としてはここで話を終わる訳にはいかなかった。
「よせ、危険すぎる。事件の事は俺が代わりに調べる。」
「大丈夫よ、無理はしないから。ゆかりと距離とってるのは念のため。それと役目の交代だけは認められないのよね。諭君に冷たくされた日にはゆかりがどんなに落ち込むか分かったものじゃないから。」
「へ、なんで?」
その場の緊張感をいきなりぶち壊す諭の間抜けな問いに翔子は思わず額を押さえながら言いづらそうに答える。
「それは君がゆかりにとって特別な人だからよ。私の勘なんだけど多分間違いないわ。」
「ふーん、本当かねぇ。」
口ではそう言いつつも諭はまんざらでもない様子だった。それを見て不機嫌になる翔子。
「とにかく!ゆかりの事は任せたからね!しっかりやってよ!」
そう言って大股で歩み去る翔子を諭は呆気にとられた様子で見送った。

 「うーん、今日も大した収穫は無かったなあ。」
翔子は進展が見られない調査に焦りを感じていた。素人が少々つついたくらいで何か分かるなら世話はないのだが、それにしても糸口さえ見つけられず、相手のガードはかなり堅い様子だった。
「まあいいか。慌てていい結果が出るとも思えないし。じっくり行こう。」
気を取り直して歩き続ける翔子。その時突然前方から来る自動車のライトが光量を上げた。目が眩んで身動きがとれない翔子に向かってエンジン音が近付いていたが途中でブレーキ音が加わりそのまま翔子の脇を通り過ぎると間もなく後方で激突音が響いた。おそるおそる翔子が振り返ると塀に激突して大破した車から二人ほど出てきた。負傷したらしく車内に残っている者もいるが、二人組は助けを呼びに行く様子もなくまっすぐ翔子の方へ向かって来る。どうも驚かせた事を謝りに来ると言ったような穏やかな様子ではないと見て取った翔子は迷わず向き直って全速力で走り出した。追いつかれる前に人通りの多い場所にたどり着けるかどうかが勝負だった。道路をまっすぐ駆け抜け、突き当たりの公園に飛び込む。月明かりに照らされた公園の中を走る翔子の髪が風になびく。しかし公園の半ばまで来たところで翔子は足をもつれさせ、そのまま倒れ込んだ。テニス部で鍛えていると言っても全速力で長距離を走るような無茶に耐えられるものではない。軽い酸欠状態に喘ぎながら起き上がりかけた翔子の耳に近付いてくる足音が響いた。のろのろと振り返る翔子の目の前に立った男達は無表情で翔子に冷ややかな視線を向けると無言のままスーツの中に手を差し入れ、黒光りのする金属の固まりを取り出した。それが拳銃だと分かっても翔子の中に恐怖心は無かった。まるで目の前で起こっているのが他人事であるかのような感覚に支配されている翔子がふと夜空を見上げて一言つぶやいた。
「諭・・・」
押し殺したような銃声が二回、夜の公園にかすかに響いた。