黒い刺客(1)

 その日はひどい土砂降りで、古式ゆかりと朝日奈夕子は古式不動産で
雨宿りをしていた。雨はなかなか止みそうにもないためゆかりが自宅に
迎えの車を頼み、夕子も送り届けることにした。
「まだ来ないかなぁ。ちょろっと見てくるね。」
夕子は傘を手にそそくさと店を出て行った。間もなく派手なエンジン音が
近づいて来たが、速度を緩める気配もなく通り過ぎて行った。その直後
から妙に表が騒がしくなったので気になったゆかりは様子を見に行くこと
にした。まず夕子に尋ねてみようと思ったが店の前には誰もいない。左
の方に人集りがあるのでそちらにいるのだろうと探しに行ったがそれらし
き顔は見あたらない。ゆかりが困り果てているとサイレンを鳴らして救急
車が到着し、人の波がさっと分かれて救急隊員のために道を開ける。そ
の道の行き止まりに夕子が横たわっていた。ゆかりは夕子が担架に乗せられ、救急車に運び込まれる様を呆然と見ていた。いつの間にか傘が手
を離れ全身がずぶ濡れになっていたが、そんなことを気に留められる状
態ではなかった。

 陣館諭が病院に駆けつけた時、不安げに寄り添って立っていたゆかり
と星野翔子が急ぎ足で近寄ってきた。
「容態は?」
「一命は取り留めたのですが、まだ意識が戻りません。」
「そうか・・・」
ゆかりは俯いてか細い声でつぶやいた。
「このようなことになってしまって、朝日奈さんのご家族に何とお詫びすれ
ばよいのでしょう。」
翔子はゆかりの肩にそっと手をおいて話しかけた。
「別にゆかりのせいでこうなった訳じゃないんだから、そんなに思い詰め
なくてもいいよ。」
「ですが・・・」
「星野さんの言う通りだよ。悪いのはひき逃げした奴だって位誰にだって
分かる。」
諭はここで話題を変えることにした。
「犯人が早く捕まるといいんだけど。結構目撃者もいるだろうから割と楽
なんじゃないかな。」
「いや、それがね。」
翔子が力無く答えた。
「あの雨だから人通りはほとんど無くて、わずかな証言もあやふやなもの
であまり参考にならないそうよ。それと極めつけが一つ。現場からそう離
れていない所に一台の自動車が乗り捨ててあったんだけどね。事故の
直前に盗まれたんだって。」
「つまり、犯人は車盗んで逃げる途中で事故っちまったって事か?朝日
奈さんもとんだとばっちりをくっちまったな。」
諭は病院の窓から相変わらず大量の雨をばらまき続ける空を眺めなが
らつぶやいた。
「こいつは・・・長引きそうだな。」

 「骨折、打撲、その他諸々ひっくるめて全治三ヶ月か。重傷って言え
ばそうなんだけど。」
「下手すりゃ即死だったかも知れないんだ。そう考えればまだましな方
だろ。」
「早くお見舞いに行って差し上げたいですねぇ。」
きらめき高校の校庭で三人は先日とは打って変わった明るい表情で
話していた。夕子の意識も戻り、心配された後遺症の恐れも無いと言う
ことでまずは一安心と言ったところだった。もっとも夕子本人にしてみれ
ばほとんど身動きできない状態での退屈な入院生活、そして次には思
い通りに動かない体に言うことを聞かせるためのリハビリの毎日が待ち
構えている訳で、とても喜ぶ気にはなれないに違いない。とは言えや
はり周囲の人間にしてみれば命が助かっただけでも良しとするのは無
理の無いことだった。
「やれやれ。庶民同士で盛り上がっているようだが何か良いことでも
あったのかね?どうせ下らない事だとは思うが。」
いつも通りの嫌味を口にしながら伊集院レイが諭達の方に近付いてき
た。特に諭と翔子が一緒にいる時はむきになってちょっかいを出して
くるように思われる。ただしゆかりもいる場合は何故か露骨に避けるの
だが、今回はたまたま二人の陰に隠れる形になったゆかりに気付いて
いないらしい。
「今、朝日奈さんの状態がそれほどひどくなくて良かったって話してた
んですよ。ま、伊集院のお坊ちゃまにとっては下らない事でしょうけど
ね。」
敵意も露わな翔子の返答に不快そうな表情を浮かべたレイが咄嗟に
やり返す。
「心外だな。僕だって彼女の容態は気になるさ。第一彼女は我が伊集
院家の系列の病院で万全の体制を以て治療中だ。どうせ諸君は何の
役にも立ちはしないのだから無意味な心配はしないでプロに任せておき
たまえ。」
レイの発言が前半だけならば翔子も黙って引き下がるしかなかったが、
その後の迂闊な追い討ちが翔子達の怒りを招いた。
(諭君、行くよ。)
(OK!)
二人はこっそり合図を交わし、すぐさま翔子が愛想笑いを浮かべて
レイに話しかけた。
「そりゃどうも。そこまで手を尽くしてもらえれば安心して朝日奈さんを
お任せできます。いつもすいませんねぇ、色々お世話になっちゃって。」
翔子に何か狙いがあるのはレイにも察知できたが、その内容までは予想
もつかなかったため、翔子のおべっかに答える言葉の端々にかすかに
緊張が感じ取れた。
「何だね、いきなり改まって。君に礼を言われる筋合いなど無いが。」
「いやあ、病院にしても学校にしても、伊集院家が運営する施設を結構
利用してるからねえ。」
頃合いを見計らって諭が口を出す。
「そうそう。文化の伊集院、スポーツの古式。いや全く見事な連携だよ
な。」
「これだけ息がぴったり合ってるのも、両方の家が本当に仲がいいから
だよね。」
お膳立てが整ったところでいよいよ諭は攻撃を開始した。
「丁度同い年の娘と息子がいるんだし、実は二人は婚約者、なんてあり
そうな話なんだけど、実際の所どうなのかなあ?」
「それがですねえ。実は伊集院さんは・・・」
「うわああああ!やめろおおお!」
いきなり諭達の背後から聞こえたゆかりの声に激烈に反応したレイは
猛然とダッシュして翔子の横から回り込み、ゆかりの口を塞ごうとした
が、途中で力を失ったように倒れ込んだ。
「あーあ、情けないなあ。体育さぼってばかりいるからこうなるんだよ。」
からかうようにそう言った諭だったが、レイが起きあがる素振りを見せな
いので少し心配になって近寄った。
「おい、どうしたんだ。頭でも打ったのか?」
「駄目よ、動かしちゃ。」
諭が声のした方に振り返ると制服の上に白衣を羽織った紐緒結奈が
腕組みをして立っていた。
「撃たれたようだけど、そこなら致命傷ではないわね。もっともさっさと
手当するに越したことはないけど。」
そう言われてよく見るとレイの制服にシミが広がっている。
「翔子ちゃん、救急車!」
翔子は諭の声に反応して全速力で駆け去っていった。
「どうやらあのビルから狙撃したようね。ふん、面白くなってきたわ。」
良い退屈しのぎに巡り会って不敵な笑みを浮かべる結奈の傍らでは
ゆかりが青ざめた顔をして立ち尽くしていたが、諭にそれを気遣う
余裕は無かった。