珈琲と人生

仙台闊歩・Kappo 5月号表紙

3月某日、仙台の隔月タウン誌「Kappo」の編集長川元茂氏が、喫茶店の昔話を聴かせてくれと訪ねてきた。

昔話といっても私の通った多くの喫茶店がおよそ50年前、ほとんどが消滅しているが、それでもよかったらと

昭和27年から34年まで片平町に近い東一番丁通りで賑わった名曲喫茶「田園」を紹介した。

そんな四方山話を川元さんと交わしながら懐かしいひと時を過ごした。

「Kappo5月号」特集・[珈琲と人生]にふさわしい内容になったかは読者のご判断に任せるとして

「珈琲」の話題となると妙に舌が滑らかになって、久しぶりに元気を頂いた気分でした。



闊歩5月号のWeb紹介記事
http://kappo.machico.mu/latestissue/154/


本誌30〜31ページの掲載全文




余談・同名異店の『田園』物語

上記「珈琲と人生」川元編集長の文中に次のようなくだりがある。

仙台の喫茶史を語る上で欠かせない『名曲喫茶 田園』。井桁さんは『田園』の思い出を語ってくれた。「私は南町通に勤務していました。クラシック好きな私にとって、『田園』通いに最適な環境でした。安月給でレコード1枚買うゆとりもなく、『田園』に通いつめた時代でしたから。著名な名演奏家たちが、続々と仙台に公演に訪れた時期で、生演奏の感激を『田園』の電蓄で再現してもらっていました。ただただ静かに聴き入るために小さな物音も出さないよう、気を使った思い出があります」『田園』は1952年から1959年までの8年間営業した(その後、五橋で大判焼きに業態変更をしたという)。

同じkappo5月号の84頁に佐伯一麦さんという方が書いておられるエッセイ、
杜の日記帖「闊歩する日々」の中でこんな記事を見つけた。



内容は、内館牧子さんの著書の中で、「高校生の頃通った喫茶店『田園』の話が出てきて懐かしくなる。」と紹介され、
内館さんの叔父さんが開いた店だという。佐伯一麦さんは同書によると1959年宮城県生まれとあるから、
私が通った『南町通に近い片平「田園」』は1959年には喫茶店をやめている。どうも違う店のようだ。
そこで、内館牧子著「二月の街・・・・」を取り寄せてみた。問題の記事が見つかった。



内館さんは1948年秋田生まれだから、27歳の頃とすれば、1975年頃の話。
私はその頃なら46歳で泉区にようやく新居を構えた頃で、職場の方は中堅幹部になってかなり多忙な時期。
国分町界隈にも毎晩のように顔を出していたが、名曲喫茶で瞑想に耽る暇はなかったと思う。
従って、私は国分町の名曲喫茶『田園』を知らなかった。
そこで、同じ年頃の我が家の子供たちに聞いてみたら確かに国分町に『田園』という喫茶はあったという。
私にとっては、2代目の『田園』だが、佐伯さんや内館さんは多分初代の『田園』をご存知ないかも・・。
ちなみに、初代片平界隈の『田園』の当時のマネージャー蓮池繁夫さん(1917年生千葉県で健在)
から提供された写真裏に記した走り書きの直筆メモをご紹介しておこう。
齢80も過ぎると忘れることが仕事のようになるので、こんなデータも保存しておいて良かった。
2012/5/7 井桁章記

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