過日、こんなメールを頂いたのがきっかけで、往年の名曲喫茶「田園」の姿が蘇りました。
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2009/7/21 9:25  はじめまして
私の伯母は若いころ東京から仙台にきて、一番町(旧サイカワ向)にあった保険会社のビル?
あたりの建物にあった「田園」というお店に働いておりました。店主が親戚でした。
たくさんのレコードがあり、時代の流れで閉店し、それらの大半はどこかに寄付したと思います。
立ち退きで五橋中学のそばに移転し、「DEN」と名前を変えて大判焼きのお店として営業していました。
20年くらい前にそこも閉店した気がします。
店主は90才近くで茨城県で元気にしております。叔母は昨年86でなくなりました。

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昭和30年前後に足しげく通い、同店のレコードコンサートに夢中になった私にとって、
このメールは驚きでした。当時の経営に携わった人の消息が、
50年以上経ったいま突然明らかになったのですから・・・・。
早速、当時のオーナーである蓮池繁夫さんにお手紙を差し上げましたところ、
当時の「田園」店内の写真など貴重な資料を送って頂きました。



↑ 一杯のコーヒーで何時間も粘るクラシック愛好者たち(蓮池さん提供) 
↓ レコードコンサートプログラム・日替わりメニュー(井桁所蔵)



昭和31年5月2日(水)のプログラム・・・チャイコフスキー特集・・・
・ピアノ協奏曲第1番 P:ルービンシュタイン、:ミネアポリスフィル
・ヴァイオリン協奏曲 V:ハイフェッツ :ロンドンフィル
・交響曲第6番「悲愴」 指揮:フルトベングラー :ベルリンフィル

注:当時と全く同じレコードではないようですが、
you-tubeからピアノとヴァイオリンは同じ演奏者の版を見つけたので、
ごく一部をリンクしました。音質の悪いのはご容赦ください。


◇昭和20年名演奏家続々来日

戦後数年を経て戦災の傷跡が癒えない仙台に世界的に有名な
ハイフェッツ、シゲティ、アイザックスターン、コルトーら演奏家が
相次いで来演し、生の名演奏を初めて楽しむことができました。
下の写真は、そのときのプログラムと入場券です。
薄給の身から入場料を搾り出すのは大変でしたが一生の想い出です。
ピアノのコルトーS27(1952)9/30ショパン
シゲッティがS28(1953)4/3クロイツェルV.sonata
ハイフェッツがS29(1954)4/30 ブルッフv協
来日公演:仙台市公会堂



当時の「田園」は色々なデザインのマッチを作っています。その一例。



オーナーの蓮池繁夫さん(千葉県在住・大正5年生れ)からのお手紙によると、
「田園」は昭和27年から34年まで音楽喫茶、
同39年まで大判焼きの甘味喫茶として営業したが、
戦前の東京で、味自慢とレコードの店「南海」などの経営経験が
戦後の「田園」に繋がったそうです。
紆余曲折を経て音楽喫茶を辞めるときは、
河北新報の記者さんに薦められて、
東二番丁小に併設の公民館などに寄贈したことを思い出しています。
今はカラオケに夢中で老人会のスターだそうです。
山形県鶴岡市生まれの蓮池さんは、戦前戦後を通じ色々なジャンルの飲食業など
を経験され波乱の人生だったと回顧されています。

当HPの「仙台の喫茶店」コーナーの序文でも「田園」を紹介しています。

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「田園」の店頭写真が見つかりました

(2010/06 追録)

前述の、蓮池さんからも入手できなかった「田園」入口の写真が
思いがけないきっかけから見つかりました。
 



 昭和28年頃の正確な日付は分かりませんが、
仙台の北辺にある泉ヶ岳(現在の仙台市泉区)に一泊登山に出掛けた帰りに、
田園に立ち寄った時のスナップと思います。古いアルバムから見つけました。
 同行者は職場の友人、我孫子さんと、安斎さん(故人)、
それに結婚前の妻と4人で私が撮影したものです。


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◇同名異店の「田園」物語
(2012/05追録)



タウン誌「kappo」5月号「珈琲と人生」の文中に
私の昔話・東一片平の『田園』が紹介されています。

同じ号の佐伯一麦さん執筆の「闊歩する日々」
のなかに国分町の「田園」の話題が載った。
これは、内館牧子さん著「二月の街・・・・」の記事を引用したもので、
片平の「田園」時代の20年後に国分町「田園」が現れた
というややこしい同名異店のお話は↓へ。

同名異店の「田園」物語へ