「徳とバザール」

Last update: 1999/02/28
ただの思い付きなんですが…。 どうしても書いておきたいので。 結構いい線いっていると思うのですが。
(私はコンピュータ以外に中国の歴史にも興味を持っていて、 歴史小説はかなり読んでいたりします。 ただ、『中国=儒教』いう考え方は間違っていると思っています)

中国には儒教がありますが、 儒教での最高の統治(政治体制)は『』によって治める 『帝者』による統治とされています (「帝」は「皇帝」ではありません)。 そして、それに準ずるのが『王者』による統治、 最も下とされるのが『覇者』による統治とされています。 そして、この3つの統治がソフトウェアの開発モデルにぴったりくるんじゃなかろうか 思い始めています。

まず『覇者』による統治ですが、 これは力と恐怖による独裁者による統治です。 『覇者』は孤独で周りにいるのは阿諛追従の臣だけであり、 『覇者』は不眠不休で頑張っているにもかかわらず 民衆は表面上は服従していますが陰で絶えず不満不平を言っています。
ソフトウェア業界でいえばどうでしょう。 あのメーカーにぴったりくるとは思いませんか?

次に『王者』による統治ですが、 これは力と尊敬による実力者による統治です。 『王者』の周りには協力してくれる多くの友がおり、民衆も満足していますが、 『王者』は絶えず最高の力を持っていることを示さねばなりません。 そうでないと『王者』は交替させられてしまいます。 いわば大統領制です。
ソフトウェアの開発モデルでいえば 「伽藍モデル」 に当たるのではないでしょうか。 誰もが認める天才ハッカーと彼に協力する人達が開発していますが、 ユーザが積極的に開発に参加することはないのです。

最後に儒教において最高とされる『帝者』による統治ですが、 これは「徳」による統治です。 『帝者』の周りには助けてくれる多くの師がおり、 民衆は自ら政治を行います。 そしてそれにもかかわらず、 民衆は『帝者』に感謝し功績は『帝者』のものだと思っています。
ソフトウェアの開発モデルでいえば 「バザールモデル」 に当たるのではないでしょうか。 Linux でいえば、リーヌス・トーヴァルズは『帝者』であり、 非常に多くの人々がすすんで開発に参加しているにもかかわらず、 皆 彼に感謝し Linux は彼の功績だとしています。

# 孔子が生きていたらどう言うかなぁ。


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