「どんぐりと山猫」問題点の解答 2002.07.04 山戸朋盟

一郎

問一 どうして一郎ははがきをもらったぐらいでとても喜んだのか。なぜいたずらだと思わなかったのか。

 一郎は、あまり友達が多くない、一人で夢見がちな少年だろう。それは、手紙が山猫から来たとき、それを「そっと学校のかばんにしまって」などから推測される。また、栗の木やリスや滝とも話をしていることからも分かるように、自然に親しんでいる純粋な心を持っていた。山猫も、一郎にとってはただの動物と言うより、もっと親しい存在だったのだろう。前に一度か二度、山の中で山猫を見たことがあるのかもしれない。

問二 なぜ一郎は山猫から来た手紙を「そっと学校のかばんにしまっ」たのか。一郎には兄弟姉妹はいるのか。

 手紙を親に見せたり見つかったりすれば、「馬鹿だねえ、いたずらに決まっているでしょう」と言って笑われたり、「誘拐犯かも知れないから、行ってはいけないよ」などと言われてしまうから。君たちだって子供の頃、親に内緒で遊びに行ったことがあるでしょう。こういう場合、弟がいれば、その話をして一緒に連れて行くなどということがあるが、一郎にはいないらしい。名前が一郎なので、兄がいないことは明らか。姉・妹は、いないような感じだが、仮にいたとしても、女の子は男の子とは別世界に生きていることが多いので、あまり関係ない。要するに一郎は、一人でものを考えるタイプの子供だったのだろう。

問三 はがきが来たのが何故九月十九日で、土曜日の夕方なのか。

 秋の訪れの早い東北地方では、九月中旬は、どんぐりが落ちる時期。明日は日曜日なので、土曜日の夕方、一郎は、「面倒な裁判」の招待状を山猫から受け取る。合理的に解釈すれば、明日、山にどんぐりを拾いに行こうと思いつく。様々な形のどんぐりを今から想像し、それらが誰が一番偉いかお互いに争う情景を想像し、山猫の裁判長が判決を出せずに困っている情景を想像してワクワクする。

問四 何故山猫は一郎を裁判に呼んだのか。

 手紙にも「ごきげんよろしいほでけっこです」とあるように、山猫は前々から一郎のことを知っている。一郎の賢さやしっかりした意志を認め、是非知恵を貸してほしいと思ったので手紙を送った。お寺の坊さんのお説教をよく聴いているくらいだから、賢い子供としてある程度村の中で評判だったのかもしれない。

問五 一郎は山に登るとき、手に何か持って行ったと考えられる。何を持って行ったか。

 ○「山猫から来たはがき」…多分違う。はがきに「当日このはがきを受付にお示し下さい」などと書いてあったか。ない。はがきに地図や住所・電話番号などが書いてあったか。ない。はがきを相手に見せて、一郎本人であることを示す必要があったか。ない。現に一郎は、別当にも山猫にもはがきを示していないし、一郎と別当の、はがきの文章に関するやりとりを読んでも、一郎ははがきを持っていない感じがする。

 ○「はがきを入れた学校のかばん」…はがきを持っていかなかったのだから、学校のかばんを持っていく必要がない。また、学校のかばんは大切な教科書などが入っているので、山へ行くときには持って行かないのではないか。君たちだって、日曜日に遊びに出かけるとき、学校のかばんを持って行ったことがありますか。

 ○「弁当」…多分違う。家の人に内緒で出かけたのだから、弁当を頼むことはできなかっただろうし、夕方までかかるとは思っていなかったのだろう。持って行って悪いということはないが。

 ○「パチンコ(飛び道具)」…絶対違う。

 ○「どんぐりを入れる『ます』」…多分正しい。この「ます」は、「別当は、さっきのどんぐりをますに入れて、はかって叫びました。『ちょうど一升あります。』」と、最後に近く「一郎はじぶんのうちの前に、どんぐりを入れたますを持って立っていました。」の二箇所に出てくる。また、「山ねこの黄いろな陣羽織も、別当も、きのこの馬車も」すべて消えてしまったあとも、どんぐりと一緒に消えずに残っている。一郎は家を出るとき、どんぐりを入れるために「ます」を持って行ったと読むべきだろう。入れ物を持って行かなければ、どんぐりを持って帰れないではないか。

問六 一郎は何年生なのか。なんで大学が五年まであるのか。

 一郎は「奇体な男」(山猫の馬車別当)に「五年生だってあのくらいには書けないでしょう」と言っている。五年生は、尋常小学校の最上級生。一郎は別当に対して、お世辞を言うために、「最上級生だって、あのくらいには書けないでしょう」と言ったのだ。「…だって、〜でしょう」という仮定的な表現に注意。だから、一郎はまだ五年生になっていない。しかし、別当に気を使ったり言動が大人びていることを考えると、まあ、小学校四年生くらいということになる。

 「大学校の五年生」というのは、もちろん、一郎が別当を傷つけないために、とっさについた嘘。「一郎はおかしいのをこらえて」とあるから、一郎は大学が四年までしかないことをたぶん知っているのだろう。しかし別当はそれを知らない。だからものすごく喜んだ。

問七 なぜ別当を馬鹿にしなかったのか。

 一郎は、どんぐりたちのように「自分が偉い」と主張する存在に対しては厳しい態度をとるが、別当のような哀れな存在に対しては逆に優しい態度で接する。宮沢賢治の仏教思想の反映だろう。

問題に戻る。