銃声とダイヤモンド_2

やってみなければ分からない 2009_06_29

 

ゲームというものは、その構成から考えれば負荷のデザインである。
うまくいかないようにワザと困難にすることでゲームは成立する。
しかし、こうやったらこうなる、とプレイヤーがイメージできなかったら、結局は可能性を総当たりでつぶしていくより他にない。
つまり負荷が時間にかかってしまう。
私の定義ではそれもゲームだけれども、性質としては好ましくない。
なぜなら、クリアしてもあまりうれしくないし、時間ばかり無駄にしてしまうからである。

『銃声とダイヤモンド』の交渉シーンについて、私はこれから書こうと思っている。
発売されたばかりだから、できるだけ具体的な内容については書かないつもりである。

この交渉シーンはリアルタイムで現れる選択肢を選び、あるいはスルーすることで進行していく。
一つ間違うと人質の命が失われるかもしれないし、展開によっては主人公・鬼塚の命が危険にさらされるかもしれない。
非常にスリリングな駆け引きを楽しむことができる。

しかし、である。
実はプレイヤーは全く分からないままプレイしている。
鬼塚が「できないことはできないんだ」といった言った時に犯人がどう反応するのか。
素直に引き下がるのか、激昂するのか。
一応、犯人のプロファイリングをしてくれるキャラはいるのだが、いつも使える訳じゃない。
結局のところは、シナリオを書いている人間のさじ加減一つである。
行為と結果の間の因果関係が明瞭でないことをゲームとしてとらえるのは非常に難しいな。

このゲーム、交渉でA判定をとらないと真のエンディングへ進めないので、何回もやり直すことになるのだが、理不尽は印象は常にあった。
次の次にどんな選択肢が出てくるか分からないから、次の選択をスルーしていいかどうか分からない。
だいたい、選択肢がどんな意味を持つのかも、やってみるまで分からないから困った話である。
◎認める ×だめだ! と選択肢が出てきても、「だめだ」の後にどう展開するのか、プレイヤーは全く分からないのだ。
何回もやっていると、ああ、この辺で話が分岐するんだな、と分かるようにはなるのだが。

すんなり進んでいるときは、すごく駆け引き面白い!と感じていたのだが、繰り返しやって構成が見えてくると、ちょっとどうかな、と思うようになった。
ゲームとして面白い、とは言いにくいかもしれない。

ただし、もちろんこのゲームを弁護することは可能である。
主人公鬼塚が「交渉はやってみないとわからない」というような事を言うシーンがあった。
実際にその場で相手の息づかいを聞いてみなければ、どう答えるのがベストかなんてわからないというのである。
あれは創り手のいいわけも入っているのかもね。
「やってみないとわからない」交渉をゲームに落とし込むんだから、これはこれで仕方ないか、という気もする。
全編がつながっているストーリーだから、交渉にランダム要素を入れる訳にもいかないからな。
完全に独立した交渉なら結果に因果関係のあるランダム要素を入れて、点数制で成否を決める手もあるだろうけど。

最後までプレイしてみて、これはこれでよかったのではないか、と私は思っている。
書いてる人の言いなりなんだけど、おかげで鬼塚というキャラは非常に魅力的になった。
それはゲームと引き替えにしてもなお余りある、このゲームの美点である。



<追加説明 2009_07_02>
因果関係のあるランダム要素、ってなんか変な言葉だな、我ながら。
会話の展開はランダムだが、表情とパラメーターに一定の関係があって、パラメーターに応じて解答を点数で評価するような構成をイメージしていた。


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