あんまり褒めすぎるとウソ臭い。 ましてや難易度が高くて、ゲーマー的には褒めざるを得ないというゲームであれば、尚更ウソ臭い。 そういうゲームって発売直後にやってれば自分も褒める側に回れて楽しいんだけど、いざ出遅れるともうプレイ出来なくなってしまう。 何を書いてもウソになってしまうから。 その典型的な例にあたる作品が私にとってはDSで発売された『超執刀 カドゥケウス』だった。 面白そうだなとは思っていたのに、結局プレイしないまま来てしまった。 しかし、『HOSPITAL. 6人の医師』を終えた後、やっぱりやっとかないとまずいかな、と思うようになった。 『HOSPITAL.』は全然難しくなかったから、「カドゥケウス」の反省もあるんだろう。 元がどうで、どう反省したから『HOSPITAL.』になったのか、知りたい気がしたのである。 私は『救急救命カドゥケウス2』をプレイすることにした。 『1』ではなく『2』をやったのは、新しい方が少しはこなれているだろう、という程度の理由である。 プレイしてみると、この『救急救命カドゥケウス2』を褒めたくなる気持ちはすぐに分かった。 このゲームをやると、これ絶対無理だろ!という気分になるからである。 ある一定の水準まで手早くできないと傷の悪化するペースに負けちゃうから、最初は絶望的な感触があるんだ。 敢えて傷を全部治さずにバイタル(体力)の回復を優先した方が良い場合とかもあるんだけど、それは何回かやってみないと分からないから、プレイヤーはやっぱり無理だと思うんじゃないか。 普通のゲームは、ゲームオーバーになってもプレイヤーに「やれば出来そうだな」と思わせるように作ってあるのだが。 だって、そうしないと投げ出しちゃうでしょ。 ところがこのゲームはそうじゃない。 そうじゃないから、褒めたくなる。 絶対に無理だと思うほど高い壁を越えられたら、得られる喜びは途轍もなく大きいはずである。 やってることは「脳トレ」みたいなもんだ、実は。 ただし超ハードな。 手順を守って単純作業を全力で早くやる。 手順を守る部分には短期記憶のトレーニングが混じっていると思えばいい。 「脳トレ」だって脳が活性した訳じゃなくても、慣れれば数字が上がっていくように、このゲームもやってればいずれ手技は速くなる。 更に、1回だけ使える超執刀(スローモード)をどこで使うかが分かってくれば、まあ、大抵のステージは初見の印象に反してクリア出来るだろう。 予想外であればあるほど、大きな達成感を得られるはずだ。 さすがに最後のステージはちょっとどうかと思ったけどな。 とても出来そうに思えないだろ。 『1』の方がもっと難しいらしいから、まあ、褒めちぎりたくなった人達の気分は推して知るべしである。 おそらく褒めてもらえるほどには売れないから、『HOSPITAL.』がああいう形になったんだと推測は出来る。 大きな負荷を乗り越える事を重視せず、置き換え元が持っている力を活かす形にした。 もっとも、『HOSPITAL.』だって日本では売れていないわけだから、「カドゥケウス」路線が駄目だったという結論にもならない。 創ってる人達は「どうすりゃええねん」と思っているかもしれないな。 |