消えない明かり

消えない明かり 2010_06_27

 

ワールドカップが始まったからといって急にサッカーづくのはイヤ!
私の美観に反する!
とはいっても、、やっぱりそれなりに観るよね。
強豪同士が本気で戦うんだから、観ない方がむしろ不自然じゃないか。
これを書き上げたら、ドイツ対イングランドを観ようと思っているぐらいだ。
日本では第2試合が23時から始まって、終わるのは25時近くである。

このところ私は25時を過ぎてランニングに出かけることが多くなっていた。
そうすると、25時になってもまだ明かりがついていることに気づく。
小学校の明かりが、である。

実家のすぐ近くに私の卒業した小学校があり、ここは夜も門が開けっ放しで入りたい放題。
小学生の頃は夜の9時頃によく遊びに行った。
ママさんランナーが校庭を走っていて、子供も一杯ついて来ているので、誰にもとがめられなかったのである。
その当時から明かりはつきっぱなし。
一階の校庭に面した大部屋は職員室になっており、ここは職員が一人でもいれば電気がついているので、明るくても不思議はないのだが、問題は各教室の明かりである。
夜の9時ぐらいだと大半の明かりがついていた。
いつまで経っても先生が帰らなかったのである。
ヤケに教育熱心な先生達が集められている小学校だったのだ。
どうもその伝統はいまも続いているようで、25時になっても明かりがいくつか点いている。
校庭からは南校舎しか見えないので、こっそり侵入して北側の校舎も見てきたが、やはりいくつか明かりが点いていた。
恐ろしい教師達である。

電気が点いているからといって先生が残っているとは限らないんじゃないの?と思うかもしれないが、私はたぶん実際に残っているだろうと思っている。
というのも、自分の小5・6の時の担任がそうだったから。
自分の子供が脳水腫で死にそうになっているのに、なかなか帰らなかった。
毎日、父兄に配るための学級新聞みたいなのを書いていたようだ。
いまと違ってコピー機を使うと高くつくので、ガリ版でやってたから時間がかかったのかもしれない。
涙流しながら子供を叱るような熱い人だった。
私はスレた子供だったので、なんか暑苦しくてイヤだったな、当時はそういう担任が。
自分の子供が大変なんだから、はよ帰れや、と思ったものである。
卒業式の日なんかは、「毎日学級新聞を発行するとこの学級を受け持った時に誓ったのに、守ることが出来なかった・・・」とか言って泣いていた。
とにかく分からなかったな、当時はあの人が。

今どきの世の中に、あんな人達がまだいるのかな、とちょっと不思議な気がしないでもない。
昔の先生は子供の日常生活にまで気を配っていたけど、伝え聞く今どきの先生方はそうでもない印象だ。
モンスターペアレントに怯える教師達と私が知っている連中は全然違うのである。
あんな連中がいまでもいるとは思えない。
私はモンスターペアレントに怯える教師像の方がしっくりくるのだが・・・。
でも、明かりは今でも点いている。
それだけは確かである。



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