吉野屋に見る経営学とバイトのお姉ちゃん

吉野屋に見る経営学とバイトのお姉ちゃん '99_04_19

 

私はしばしば吉野屋を思う。
なんの時にかというと、ランチを出しているお店で食事が出てくるのを待っているときにだ。

というのも、出てくるのが遅い店が多い。
しかも食べるのに時間がかかるもの(魚の塩焼きとか)ばかり出していたり、食後にコーヒーを出したりするところもある。
結果として、客の回転が遅くなる。
自分がせっかちなせいもあるんだろうけど、そんなんじゃダメでしょ、とか思いながら待っていることがある。
私がついこの間まで勤めていた六本木というところは、地代が非常に高く、よほどのことがないとなかなかペイしない。
もっとも、夜飲み屋になるお店がランチを出しているだけなので、問題ないという話もあるのだが。

今の吉野屋は、決して「安いから食べる」というものではない。
弁当類が格段に安く美味しくなった今日、敢えて吉野屋にはいるのはそれ以上に美味しいからだと私は思っている。

だが、出てくるのが早い、というのも一つの理由ではある。
手っ取り早く食べたいときにも、吉野屋は重宝する存在だ。
この早さが、客の回転を早くする。
なぜ早いかといえば、いちいち調理する必要がなく、品数が極端に少ないからだ。
そして、「どんぶりもの」の性質からして、箸をあちこち動かす必要もなく、あっという間に食べ終わってしまう。
座席もカウンターのみ。
つまり吉野屋の全ての要素は、早い回転を生むように作られているのである。
この完成されたシステムを考えた人間はえらいと思う。

しかし、今日、そんな吉野屋に入ってカウンターに座っていると、あることに気づいた。
カウンターが狭い。
一人しか通れない。
バイトのお姉ちゃん一人で20近くある座席全ての注文を取り、配膳し、会計も済ませる。(厨房には3人ぐらいいるんだけど)
一人が10分で出ていくとして、席の利用率が70パーセントだとすると、一時間に84人こなさなくてはならない。
実際、キャパシティオーバーらしく、私が注文したものを忘れられてしまった。

こんな所に日本的な感覚があるな、と感じた。
そこには「人間やれば出来る」という思想がある。
高々時給800〜1000円程度の労働力に、あれだけのことをやらせるのだ。
ちょっと出来ることではない。

決して利発そうには見えないお姉ちゃんが、オロオロしながら働いていた。
一人そのお姉ちゃんだけではなく、全国の吉野屋で働いているだろう。
あるいは多くの日本人がそうかもしれない。


戻る