我が家からほど近いところに、やや遠縁の親戚が住んでいる。 そこの奥さんに姑の愚痴を言いに行くのが母の唯一の楽しみであった。 小さい頃の私はそれにしばしばついていったものだ。 なぜならば、そこにはビデオデッキがあったからである。 まだ全然普及してない頃で、そこに行きたくてしょうがなかった。 また、そこのおじさんは酷く私を可愛がってくれて、いつ来るか分からない私のためにアニメを録画しておいてくれた。 もう死んじゃったけどね。 私が一番好きだったのは「宇宙戦艦ヤマト」だったな。 いつもヤマトばっかり観てた。 小さい頃の話だから、正直細かいところまでは覚えていないが。 そんな私であれば格別、『宇宙戦艦ヤマト2199』も観たかったのだが、ずっと観ないでいた。 というのは、映画の『復活篇』が酷かったから。 やっぱり大人になると、いろいろ鼻につくね、あれは。 ヘンな思惑を入れて娯楽作品は創って欲しくないもんですよ。 最近になって、やっと『2199』の方も観た。 最初に軍歌歌いながら特攻する気持ち悪いシーンがあるけど、全体を通してみればそんなに鼻につく感じはなかったな。 さすがに円盤売ってなんぼの世界だけあって、敬遠されるような表現は避けた印象だ。 なぜか女性だけタイトフィットな制服を着てるのに、どっかから苦情は来ないのだろうか、とか思わないでもないが。 まずまず面白かった。 見終わってから松本零士先生の漫画版を読んだけど、「2199」はかなり漫画版に忠実に創ってあって、それが却って良かったのかもしれない。(理由は後述する) 実はここまで来て、やっと本題に入るのだが、実は『2199』を観ていて一つ気になることがあった。 オープニングの赤い地球をバックにヤマトが大写しになるシーンがそれだ。 ヤマトが地球を背負っているように見える。 なんか象徴的な意味がありそうに思えた。 それがなんかおかしい。 私が知っている松本零士先生が描く男の美学とは違うような気がするんだ。 漫画版を読んだ限りでは、これに該当する絵は見つからなかったんだよな。 おそらくあれは私が思うに、ヤマトを正義の使者みたいなイメージで描いている。 大東亜共栄圏を正当化する意図がある、とまでいうと読み過ぎかもしれないが、少なくとも、不遇の巨大戦艦ヤマトをいいもんにしてやりたい、というような意図はあるんじゃないかな。 松本零士先生はそういうことは言わない気がするんだが、さてどうか。 そもそも、アニメの「宇宙戦艦ヤマト」って人が死にすぎるきらいがあって、松本先生の美学と異なると思うんだ。 男の美学が要求するのは自分の命だけだからね。 このシリーズには著作権で揉めてたプロデューサーの意向が強く働いてるのであろうと想像は出来る。 いいもんになりたい、ということを考えてみると、戦後の日本人の嗜好とも関わりがあるのかもしれない。 日本人って、ありもしない地球防衛軍が大好きだったり、なんの力もない国連をヤケに信じているところがある。 戦争に負けて世界の悪者になったことが日本人の精神に大きなダメージを与えたんじゃないか。 死ぬのはいいけど、悪者にされるのはかなわん、というね。 『2199』を観た後に『さらば宇宙戦艦ヤマト』も観てみたけど、やたら「宇宙平和を守るため」を連呼するあたり、鼻につくモノはやはりあった。 どうしても、いいもんになりたいらしい。 『2199』は原作(原案だったかも)は亡くなったプロデューサーの名前になっているけど、内容的にはそれらしくなくて良かったのかな、と私は思っている。 昔のテレビアニメの内容をハッキリとは覚えていないので、漫画準拠なのか、アニメ準拠なのか、判然としない部分はあるのだが。 |