この世界

この世界 2001_08_27

 

私は最近ときどき胸が苦しくなることがある。
幸いにして病気だというわけではなく、この世界というものの儚さについて考えていると、激しい不安で胸が苦しくなるのだ。

このいま目に見えている世界は、当然にここにあるものだと思って私達は生活している。
いわゆる客観である。
しかし、本当はそうではない。
自分がこの世界を知覚しているから、この世界は存在しているのである。
つまり、客観は主観に包含されるのだ。

例えば自分が死んだとしよう。
その後に世界は残るだろうか?
確かに物も自分以外の人も残されているはずである。
ところが、実は何もないのだ。
なぜならば、それを知覚する自分が存在しないのだから。
死だけが全てを無にする。

私はいま突然誰かに頭を打ち抜かれて死んでしまったとしたら・・・、なんて考えてしまったりするのである。
手が震えて、胸が苦しくなる。
いずれ自分にも死が訪れるだろう。
その日を思うと、いま何かしらやっていることが無意味なのではないか?と思ったりして、何もかも投げ出したくなるのである。
神を想定しなければ、生きることも死ぬこともままならぬ、という気持ちも分からなくはない。

こんな事を考えるのはいまに始まったことではなく、就職浪人時代からのことである。
人間というのは暇があって初めて考えるものなのだろう。
もちろん私はこの件について、既に答えを用意してあった。
用意していなければ、私も生きてはいけない。

私の答えは、この世界は永遠なのだ、というものである。
自分が知覚してはじめてこの世界は存在する。
ということは自分が知覚している限り、この世界は永遠に続くということである。
私達は眠りに落ちる瞬間を知覚することが出来ないように、死を知覚することも出来ない。
つまりこの世界には終わりがないのだ。
訪れるはずのない終わりに怯えてどうする!

私はこの答えに満足している。
しかし、やはりこの胸をしめつけるような不安から逃れることは出来ない。


戻る