友人から結婚式の案内が届いた。 まあ、出ねばならないだろう。 正直言うと出たくないのだ。 面倒だから。 2月に名古屋まで行かなくてはならないと思うと憂鬱になる。 正月に実家にかえって、また2月に帰るのは、実に面倒なのだ。 果たして、自分に友人と呼べる人間がいるだろうか?と思うことがある。 私は高校生以前の友達で、今でもつきあっている友人が一人もいない。 新しい環境になれば、それなりに友達を作ることは出来る。(クラス替えとか) でも、クラスが変われば、前のクラスで友達だった連中とは、まるでつき合いがなくなってしまうのだ。 ひょっとして、自分は人間が嫌いなのかもしれないと思ったりもする。 今も、つきあっている友人というと、大学時代の部活の仲間と研究室の仲間だけだ。 どういうわけか、彼らを捨てきれないでいる。 飲みに誘われれば、一応、色好い返事をしてしまう。 自分でも不思議に思う。 どうしてなんだろう? その2つのグループに共通しているのは、共に酒を飲んだ仲だということか。 酒を飲むと本音も出る。 古文でいうところの、気の置けない人々なのだ。(現在の意味とは反対) あるいはそれだけではないかもしれない。 私はかけがえのない学生生活を過ごした。 それは怠惰な毎日だったが、確かにかけがえのない日々だった。 今の自分の原型がそこにある。 それ否定することは、今の自分を否定することになってしまうのだ。 友人の結婚式に出ようと思う。 そして祝福しようと思う。 誰のためでもなく、自分のために。 |