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笑いの性質 2003_09_04

 

このところ、笑いの性質について考えていた。
私達の笑いは冷たいのである。

どうしてこんな事を考えるようになったかというと、明石家さんまはどうも一流じゃないよなあ、と感じていたからである。
あれほど面白いのにね。

じゃあなんでさんまが一流じゃないのかというと、彼が子供やお年寄りを笑いのネタとして使うことに全く躊躇しないからである。
子供やお年寄りは自分が笑われるということが、どういう事なのかわかっていない。
ビデオレターなんかで「私こんな事言って、笑われてしまうわー」と恥ずかしがっているおばあちゃんが思っている笑いと私達の笑いは違う。
私達の笑いは非道く冷たいのだ。
わかっていない人間をこの冷たい笑いにさらしていいのか?という問いかけが彼には全くないのである。
どんなに面白くても、私はそこが気に入らない。

『恋のから騒ぎ』なんかは全然問題ない。
彼女たちは自分が笑われることがどういう事なのか理解した上で笑われているからだ。
あの番組でさんまがどれだけ彼女たちを滑稽に扱おうと、私は素直に笑うことが出来るのである。

こうやって考えてくると、どうしても笑いの性質を考えずにはいられない。
なぜ私達の笑いは冷たいのだろうか。

よく言われることだが、今の芸人には「芸」がない。
正確に言うと、「芸」では笑いの消費におっつかないのだろう。
「芸」を作り上げるには時間が必要だ。
しかし、私達は笑いに関しても贅沢になっているので、「芸」をどんどん消費していってしまう。

だから、今時の芸人には「芸」よりも、フレキシブルに対応する能力が求められるのだ。
素人さんを使ったり、他の芸人さんとからんだり、あるいは自分のプライベートをばらしたり。
その結果どうなるのかというと、私達は芸人の表層的な「芸」を笑うのではなく、その対象自体を笑うのである。
つまりそれは対象の人間性そのものを笑っているのだ。
「濱口優」なんかはその代表選手なんじゃないか。
彼を笑う私達の笑いがひどく冷たいことに気づくはずである。
同じ笑いを子供やお年寄りにも向けていないか?

私は冷たい笑いが悪いとは思わない。
ただ、やはりわかった上で笑われて欲しい。
わかっていない人達を笑いに晒していいのか?という問いかけは、常に持っていたい。
もちろん、明石家さんまだけの話じゃなくてね。


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