「俺は何でも泣くな」と思った。 私は『ゼブラーマン』を観て泣いていたのである。 『ゼブラーマン』というのは、哀川翔主演100作品目ということで、ちょっとだけ話題になっていた映画のことである。 Vシネの帝王哀川翔が主演100作品目だからといって、別にどうって事はないので、知らない人は知らないだろう。 私はゲームをしようが、映画を観ようが、漫画を読もうが、小説を読もうが、とにかくすぐに感動して泣く。 自慢じゃないが涙腺の弱さには自信があるのである。 いや、自信があるという以上は自慢かもしれない。 大体からして、何事も楽しめた方が得なわけで、これは大変素晴らしいことなのだ。 しかし、いつも泣くかというと、実はそうでもなくて、マジメな話だと泣けないことが多い。 はじめからおとぎ話だと思っていると素直に楽しめるのだが、現実の話として捉えてしまうと、どうにもいけないのである。 些細なことが気になったり、自分の信念と照らし合わせて受け入れられないと激怒したりしてしまうのだ。 そこには心の壁みたいなものがあるんだろう。 やっぱり物語というのはおとぎ話がイイ。 現実世界では様々なことに気を配り、バランスを取りながら生活しなければならないわけだが、それは原則として美しくないのだ。 枝葉をそぎ落として、幹だけズドンっと通っている話の方が感動しやすい。 その為には現実の話じゃないと最初に思っておいたほうが良いんだな。 『ゼブラーマン』なんか凄いよ。 だって、冴えない小学校の先生だった主人公がどうしてゼブラーマンになれるのか、なんの説明もないんだから。 ただゼブラーマンが好きだ、というだけの話なのである。 ところが、最後に飛べないはずのゼブラーマンが飛ぶと感動するし、ゼブラーマンコールが沸き上がっても感動しちゃう。 しらないうちに心の壁が崩されちゃってるんだろうな。 まあ、より日々を楽しく生きるためには、心の壁を自分で壊す技術みたいなものを手に入れると良いのかもしれない。 具体的にどうやって壊すか?というと、よくわからないけど。 |