今更なのだが、エヴァンゲリオンの話を書きたい。 なぜならば、今頃「シン・エヴァンゲリオン劇場版」を観たから。 映画の内容を書くつもりはないのだが、かつて私が予想したことを書くので、何も知りたくない方は読み進めないで下さい。 私は特にTV版のエヴァンゲリオンが凄かったとは思っていない、当時から。 あくまでも「サービスゥ」の部分が好きだっただけである。 しかし、一応予想はした、何が目的なのかを。 映像からではなく、ネーミングから。 「人類補完計画」とか、磔にされた人型の何かを「アダム」と名付けているところからね。 おそらく、人類はそもそもアダムとイヴに別れて生まれてくるべきではなかった、最初からやり直そう、みたいな話だろう、と私は予想した。 人間は寂しい生き物だから、一人では耐えきれない、と。 ライターが何を考えたら、そういうネーミングが出てくるのか、を考えることで私は結論を予想したのである。 その後、映画版が公開されるたび、一応は観た。 でも、観ることによって何かを感じることはなかった。 私はただ答え合わせをしたかっただけだから。 しかし、いい加減待つ事にも飽きた。 正直どうでもよくなったのである。 「シン・エヴァンゲリオン劇場版」が公開されても、もちろん映画館に足を運ぶことはなかったし、ブルーレイをレンタルしようとも思わなかった。 ところが、いい世の中になった。 公開されてまだ日も浅いのに、アマゾンプライムでもう観れちゃうのだ。 それでもあんまり観たくなかったのだが、義務感に駆られてようやく観た。 観る前は長すぎるだろ、と思ったが、さすがに映画版だけあって案外すっと観られたな。 結果、予想はなかなかイイ線を行っていたんじゃないか。 私が思っていたよりも大仰な展開だったが、概ね私は満足。 私が生きているうちに答え合わせが出来て良かった。 ホントに終わって良かったって感じ。 <余談> 今にして思えば、問題意識はスタンリー・キューブリックの「Eyes Wide Shut」なんかと同じなのかもしれん。 スタンリー・キューブリックは「セックスしろ」と結論づけたが、日本のオタクにはそう思えなかったのかもしれん。(エヴァの方が先だけど) |