言える人々と言えない人々

言える人々と言えない人々 2011_05_06

 

福島第一原発の事故はまだ収束していないが、被災地以外のところではもう普通の生活が戻っている。
買い占めも起きていないし、ガソリンなんかはむしろ余りつつあるそうだ。
発電に使う重油を作るとガソリンも出来ちゃうのに、消費はむしろ減少していくから。
テレビも震災関連の特番がほとんどなくなって、あの大惨事が嘘みたいである。
しかし、私には書きたいことがあった。
今となってはタイミングを逸してしまった感もあるのだが。

テレビを見ていると、同じ学者と言っても、思っている事を言える人と言えない人がいるのに気づく。
原子力関係の専門家は最悪の事態になったらどうなるのか?という質問にほとんど答えないよな。
うやむやな言い方をして誤魔化してしまう。
一機でも再臨界を起こしたら、他のにも全部近寄れなくなるから、それこそチェルノブイリ級では済まない可能性だってあったのにね。
2号機3号機の出力はチェルノブイリより大きいし、1〜6号機まで使用済み核燃料棒がたっぷり収納されてるんだよ。
東京あたりでも出歩くにはマスク必須、といった状況だって考えられた。
にもかかわらず、格納容器が吹っ飛んだ場合について言及している人を見たことがない。
原子力関係でメシを食ってる連中はある意味、共犯みたいなもんだから言いにくいところもあるんだろう。
不安を煽らないように、言わないように要請されているのかもしれないが。

その一方で、地震や災害を研究している人達は思いっきり言えるんだ。
この震災がどれほど甚大なものであったか、を。
また、これから大きな余震が来る可能性がある、と。
安全の見地から大きめに言ってる部分もあるんだろうけど、言って損をしないこともまた確かなことだ。
言えば言うほど、研究者にはお金がつく。

かつて阪神淡路大震災の地震をそっくりそのまま再現出来る地震発生装置を作った先生がいた。
一般公開されたときに私も乗せてもらったのだが、確かに凄い揺れであった。
手すりにつかまっていないと、座っていることすら出来ない。
しかし、阪神淡路大震災の揺れをそのまま再現することにどれほどの学術的意味があるのか、私には分からなかった。
そこで、それがどれほど凄いことなのかをお金に換算してみようかと思って、「これ、何千万かけたんですか?」って聞いてみた。
すると、えっ?という顔をして教授ははっきりとは答えてくれなかったね。
これは私の質問が悪かったのである。
桁が違っていた。
億の単位だったのだ。
この間、大手建設会社が作った似たような装置がテレビで紹介されてたけど、制作費総額20億円っていってたからな。
テレビで紹介されてたのは一回り大きかったから、あんなに高額ではないと思うけど。
いずれにしても、大震災が起きると研究者にはごっついお金が回ってくるのである。
だから、大震災を解説するのに遠慮は要らない。
思いっきりその大きさ、悲惨さ、をアピールしていいのである。

それに引き替え原子力の関係者は事故が大きければ大きいほど、ジャンルとして廃れていくことが予想されるから、あんまり悪いことは言いたくないという気持ちも分からないではない。
今頃、ホントに最悪の自体にならなくてよかった、と胸をなで下ろしているんじゃないか。
最悪の事態になる目がなくなったのか、ホントのところはよくわからないが。


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