このところ、めっきり部屋から出なくなった。 必然、私は何も経験していないのである。 全く何もしていないから、コラムを書こうにもテレビの話かネットの話ぐらいしか書きようがない。 これは困った。 余計なことは書かない方がイイと思いつつ、私はまた自分とまるで関係のない話を書こうとしているのである。 このところ、連鎖反応的に子供の自殺が起きている。 ホントに連鎖反応なのか断ずる能力を私は持っていないが、まあ、外形的には連鎖反応が起こっているように見える。 その情報はもちろんネットを通しても伝わってくるが、主にその印象はTVのニュース番組を通じて獲得したものである。 私はニュース番組を観ていて、これは復讐だな、と感じていた。 いじめた側に対して、あるいは、いじめに気付かなかった(黙認した)教師に対して、本来ならば死なせてしまった親に対しても。(申し訳ないけど、なぜ親御さんがガッコの先生を責める気になるのか、私にはいまいち理解できない。) そして、同時にそれは娯楽であった。 ガッコの先生が位牌に土下座したり、教育委員会の教育長がつるし上げられている様子を我々は娯楽の一部として見ている。 どうも番組を作っている連中や新聞記者というのは、社会的に地位の高い人の頭を下げさせることを目的としているようなのだ。 鬼の首を取ったように攻めまくる。 私が思うに、それを観る人や読む人が希望するからだろう。 憤慨したフリをして、自分は正しい側にいるような気分になるのである。 私はそれを酷く低俗だと感じるけどね。 一連の報道を見ていると、自殺による復讐の手助けをしてあげる代わりに、娯楽の素材を提供して貰う、という構図があるように思えてならない。 まあ、それも今の時代、仕方がないのかもしれん。 いや、時代は関係ないか。 人の不幸に同情するフリをして喜びを得るのが、そもそも人間の姿だと言うべきなのかもしれないな。 しかし。 それは許容するとしても、あるべきメッセージが欠けているだろう、と私は思うのである。 嘘でもイイから、ニュースの最後には必ず「絶対に死んではいけない」とでも言ったらどうなんだ。 きれい事で人を責めるなら、徹底してきれい事で押し通して見せろよ。 それすらもしないなら、「もっと自殺してくれ。仕返しは俺たちに任せろ!」と言ってるのと同じだぜ。 |