空気は読むな、時代を読め

空気は読むな、時代を読め 2006_10_16

 

「空気読めよ」
最近よく耳にする言葉である。
空気を読むことで、円滑なコミュニケーションを図ることが出来る、というのは確かに間違っていないだろう。
しかし、常に空気を読めばいいというものでもないのである。
例えば。

PSE法問題がネット上のみならず、世間を大いに賑わせたのは半年ほど前のことである。
あの喧噪が今は嘘のようじゃないか。
真面目にあの問題に取り組んでいた人には申し訳ないのだが、あれは端から見ていると非常に滑稽なお話であった。
なんというか、空気を読めていない人々と時代を読めていない人々が織りなす喜劇とでもいうべきモノだったのである。

私は法律の専門家じゃないので、これから書くことは単に私の理解するところに過ぎない。
法律上、物に新品・中古の区別はない。
法律に中古についての特別な規程が置かれていなければ、当然に中古を排除する理由はないのである。
だから、中古も含まれますよ、というのは経済産業省の担当者が導き出した当然の答えである。
行政が法律で決めたことを勝手に変えてはいけない。

しかし、取り締まるつもりなどそもそもないのである。
そこら辺は空気読もうぜ、という話だった。
その代わり何か事が起こったら、こっちはあくまで建前でいくから、そこんとこよろしくね、とまで恐らくは続くのだろう。

ところが、今の時代は空気を読んでばかりもいられない。
企業のコンプライアンスが五月蠅くいわれる昨今、空気を読んで、リスクを取ることは出来ないのである。
それは困るよ、という声が大手から出た。
するとそこに、ビンテージの流通が止まってけしからん、って言い出す人々や、単にお役所を叩きたい連中が現れて大問題になった。
けしからんって言ってる方が正論だから、大上段に振りかぶって攻めてくる。
空気読めよ、と思った経済産業省の担当者は時代が読めていなかったのである。
時代が読めていれば、もっと早い段階で法改正に持っていけただろう。

なんでこんなことを書いているのかというと、私の身の回りでも似たようなことが起こっているからである。

防災訓練向けに資料を作れ、という指示が回ってきた。
詳細を読んでみると、作るのに大きな負担がかかる割に、ちっとも役に立たない資料に思えた。
そこで担当者に「こんなの、ホントに作るの?」と問い合わせたのである。
「つくれ!」と言われればやむを得ないが、担当者は何かモゴモゴしている。
よくよく訊いてみると、作れと指示は出したが、作ったかどうかのチェックはしないというのである。
担当部署はやるべきことをやったと主張する為の指示なのだ。
そこは要するに、空気読めよ、ということのようだった。

しかし、こちらは空気を読むわけにはいかない。
何かあったときに責任は、資料を作ってなかったこっちに回ってくるかもしれないからだ。
私以外にも「おかしいだろ?」と思った人が一杯いて、担当者に問い合わせがたくさん来たらしい。
担当者も思わず、「真面目に作んなくてもいいんだよ!!」と同僚に愚痴っていたそうである。

今は人間一人一人にリスク管理が必要な時代だ。
空気を読んでリスクは取れない。
空気を読むよりは時代を読むべきなのである。


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