価値は放射線状に伸びる

価値は放射線状に伸びる 2005_06_08

 

東京には至る所に踏切がある。
私は普段自転車通勤しているが、幸いにして踏切を越えなくて良い。
これは素晴らしいことだな、と感じていた。

引っ越し先を決めなければならないのだが、依然として決まっていない。
休日になると探しに行く元気がなくなるのである。
大体からして、まずどこに住むのかを決めなければならないだろう。
自転車通勤可能な地域として、私は幡ヶ谷・笹塚あたりをターゲットに下見を敢行した。

ところが、途中に踏切がある。
夕方になるとちっとも開かない。
朝はもっと酷いそうだが、私には耐えられないな。
5分待っただけで私はぶち切れそうである。

何故この街の人たちはこんな理不尽を受忍しているのか?という疑問を私は持った。
だって踏切の向こうにあるお店に行こうと思わないでしょ。
土地の持つ価値が線路によって減少していることは目に見えて明らかである。

一方でもう少し広い視野で線路を眺めると、線路は放射線状に価値を生み出している。
都心からの移動時間で土地の価値が決まるからである。
中目黒から幡ヶ谷への移動時間で決まるのではない。
線路は価値を創造している。
だから電車を否定することは出来ないのである。

私は高架工事しろ、とまでは言わないけど、せめて自転車がわたれる歩道橋を作って踏切が開くまでの時間を表示しろ、と言いたいな。
放射線方向に進む人だけが恩恵を受けて、横断方向に進む人が不便を強いられるなんてのは公平じゃない。
幡ヶ谷・笹塚あたりに住むことに決定!!とか思い始めていたのだが、踏切で待たされてから急に住みたくなくなった。


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