公なる時間

公なる時間 '99_05_25

 

勤め先が移転して変わったことがいくつかある。
その一つがエレベータだ。
以前はエレベータなどなかったし、2階だったこともあって特に苦痛を感じることもなく階段を使っていた。
また、階段を駆け上がるのを、一種の趣味にしてもいた。

しかし、今度は3階になってしまった。
しかも四角状の巻き階段なので、駆け上がる楽しさも今一つ。
ついでに言えば、1階から2階までが非常に長く、実質4階ぐらいの高さなのだ。
つまるところ、エレベータを利用することが多くなった。

かつてアメリカに駐在していた兄の下に遊びに行ったときのこと、エレベータに乗っていて兄が突然言いだした。
私達以外の乗客が全て降りて誰も乗ってくる気配がなかったので、『閉』ボタンを押そうとしたときのことだ。
「日本人って『閉』ボタン押しちゃうんだよね。
 こっちの人って押さないよ。
 扉が開いてる時間って、乗ってる人だけのものだけではないっていう考えが浸透してるからかなあ。」

その言葉には、日本人特有の自虐的な意味合いが込められていたが、なるほど『閉』を押してしまうことに無頓着かもしれない、と思った。
誰かのエレベーターに乗る機会を一方的に奪っているという事実に、もう少し目を向けなくてはならないだろう。
あれから、もう3年以上が経っている。

ある日、トイレに行った帰り、エレベータに乗ろうと思ってしまった。
3階には男子トイレがなく、2階のトイレを使った帰りだったのだ。
エレベーターに乗ると、そこには見知らぬ人がいた。
私は何となく気恥ずかしくなった。
たった一階のぼるのにエレベーターを使うなんて。

エレベーターが3階で止まる。
同乗者は6階まで行くようだ。
私は扉が開くと同時に『閉』ボタンを押しながら外に出た。

しかし、そこにはエレベーターに乗ろうとしている人がいたのだ。
開いてすぐに閉まる扉に、彼は驚いて立ちつくしていた。
たまたま知人だったので、軽く謝ってその場を離れることが出来たが、あまりにも問題のある行動だった。
自分のことしか考えていない。

なるほど、私には「公なる時間」への意識が足りない。


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