感動を消し去る衝撃

感動を消し去る衝撃 2015_01_25

 

ピアノを捨てようと思った。
昨年11月あたりからずっと実家の片付けをやってたんだけど、だんだん人生の無駄遣いをしてる様な気がしてきたのである。
片付けるにしても、片付けることによって自分の暮らしが豊かにならないと意味がない。
一番邪魔なのは何か、と考えたとき、誰も弾けないのに三十数年間放置され、子供部屋の一角を占領しているピアノを捨てる以外にないと思った。
せっかく2面をガラス戸にしてあるのに、そこにピアノを置いたもんだから、光も入らないし、ガラス戸も開けられない。
ピアノをどければ、私の暮らしは相当豊かになるのではないか。
だって私は子供部屋で寝起きしてるんだから。

ただひとつ、ピアノを捨てるに当たって心配なことがあった。
アップライト型とはいえ、ピアノは相当重い。
これを運ぶにはたくさん人が要るだろう。
ということは、ピアノ+人の重さを床は支えなければならないわけである。
果たして耐えられるのか?
家は古いし、床はギシギシいってるし、床が抜けるんじゃないか、と私は心配になった。

ところがいざ回収業者を呼んでみると、何と作業員は二人であった。
その場で聞いてみたところ、ピアノは250Kgぐらいあるらしいのだが、それをたった二人で運び出すというのだ。
それも全く筋肉質には見えない30〜40歳ぐらいの小男二人で。
一階の庭に面した部屋だから確かに位置的には出しやすいけれども、段差だって多少はあるのに。

人間の力って凄い。
ピアノに幅広のベルトみたいなモノを巻き付けて、そのベルトを肩に引っかけて二人で運んじゃうんだ。
背筋を伸ばすと縦方向の力には案外耐えられるらしい。
担いだまま段差を降りた上に、ちゃんと靴まで履いて作業員は出て行った。
これにはちょっと感動したな。
書類にサインしながら、「ホントに二人出せるんだね、凄いね」などと私は作業員に話しかけた。
ここで終われば良かったのに。

その後、二人の作業員は後片付けを始めたが、その一方がトイレを貸してくれ、と言ってきた。
そりゃトイレ貸してくれと言われて貸さないわけにはいかない。
トイレに案内すると、彼は用を済ませてすぐに出てきた。
そして二人は帰っていったのである。

二人を見送ったら、私も尿意を催した。
ピアノを搬出するための前準備をやってて、私も全然トイレに行ってなかったのだ。
すると、トイレに入ってビックリ。
明らかに便臭がする。
あいつ、うんこしてたの!?
あの短い時間で!?
そもそも他人様んちでうんこするとか信じられないよ。
こっちは客だぜ。
しばし呆然とした。
しかし、いつまでもそうしているわけにも行かない。
三十数年間一度も掃除していない床とガラス戸が現れたのだから。
今日中に掃除しないと私が寝られない。

さすがに三十数年間降り積もった埃は掃除機ぐらいでは吸い取れなかった。
完全に床と一体化している。
消毒用のアルコールスプレーを吹き付けながら、雑巾でこそぎ落としていくより他になかった。
一畳強の床とガラス戸4枚を掃除するのに2時間ぐらい掛かったかな。
仕事した感は満載であった。

全てを終えて、私は風呂に入った。
風呂に入りながら今日の出来事を振り返ったとき、思い出されるのは、他人様んちでうんこされたということばかり。
二人でピアノを運んでいったという感動は消し去られていた。
あいつ、ホントに余計な事しやがった。
コンビニかどっかでトイレを借りていれば、いい仕事をした二人組の記憶が私の中に残ったというのに・・・。


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